あなたはやって来る Dear Santa (小谷美紗子)

リクエストカード(62)

「芸術の秋」ともいわれる季節の終わりに、展覧会を一つ観てきました。個人的に大好きな有元利夫という画家の作品展(1/13まで)です。▼彼は今から15年ほど前、38歳という若さで、多くの人にその才能を惜しまれながら、この世を去った“天才画家”です。▼この作品展が開かれているのは、東京駅のシンボルである赤レンガの建物の中にある東京ステーションギャラリーというところです。▼有元利夫は日本や西洋の古い絵に魅せられ、自分の作品にも、観る人にそうした古さを感じさせたい、と苦心を重ねたと聞いています。▼その彼の作品を展示するには、朽ちた赤レンガがそのまま美術館の壁に用いられている空間は、まさに打ってつけといえそうです(→ 本サイト内関連ページ)。

グッドバイからはじめよう (佐野元春)

リクエストカード(61)

今ではほとんどの人が携帯電話を持つようになり、私のように、持っていないと逆に不思議がられたりします。ま、私の場合は、世の中の流行に逆らっている、わけではなく、ただ単に電話に出るのが億劫な理由からですが。▼関野さんは携帯を持っていますか?▼電車に乗っていても、いきなり隣の人の携帯に電話が入って会話が始まったりします。でも、その会話を聞くともなく聞いていると、「今どこそこの駅を通過したところ、、、」というような内容が多いです。▼私自身は隣で電話されても気にならない方ですが、それよりもそうした場所で平然と電話で話せる神経の太さを感心してしまいます。

2002/11/22 自然体の田中耕一さん

昨夜は、私がいつも見ていますNHKのドキュメンタリー番組「にんげんドキュメント」(木曜/21:15~21:58)を見、感銘を受けました。

この番組では、有名無名を問わずスポットを当てた人を取材して番組にしています。昨夜はすっかり時の人となった今年度のノーベル賞受賞者に決定した田中耕一さんを取り上げた「生涯一エンジニア ノーベル賞・田中耕一さん」が放送されました。

2002/10/12 ノーベル賞ダブル受賞

二日連続となる日本人二人のノーベル賞受賞決定のニュースは、最近停滞気味の日本に久方ぶりの明るいニュースとなりました。

お一人目は小柴昌俊さんで、カミオカンデ、スーパーカミオカンデという大がかりな実験装置を使い、ニュートリノの研究をされている東京大学名誉教授です。

門外漢の私には、「ニュートリノ」も「スーパーカミオカンデ」も名前は聞いたことがありましたが、実際にはどんなものなのかはよくわかりませんねぇf(^_^;)

そんな私からは、ノーベル賞を受賞されるような方は、子供の頃から優秀で、神童だったのではと思いきや、ご本人がおっしゃることには、むしろ出来の良くない子供だったというのですから意外です。

それはともあれ、書物に書かれていることを鵜呑みにするのではなく、何でも自分で実験して確かめてみないと納得できなかったという性格が、その後の成果につながったといえそうです。

もうお一人の田中耕一さん(43)はさらに異色の存在です。現在は島津製作所という民間の企業で現役のサラリーマン生活を送られています。

2002/11/19 ノルシュテインのアニメ作品

本コーナーでつい先日「私は日頃アニメは見ない」というようなことを書きましたが、その舌の根も乾かない昨日、早速アニメーション作品を一つ見てきましたf(^_^;)

現在、ラピュタ阿佐ヶ谷東京都写真美術館を会場に開催中の、「第3回 ラピュタ・アニメーション・フェスティバル 2002」(11月9日~29日)で上映されたアニメ作品です。

私が向かったのはラピュタ阿佐ヶ谷の方で、お目当ての作品は『外套』というロシアのアニメ作家、ユーリ・ノルシュテインの作品です。

2002/10/01 泡沫人?秋山祐徳太子

今日の地方紙・ブックレビューのコーナーに、私の関心を引く書評が載っています。

美術家・秋山祐徳太子19352020)の近著『泡沫傑人列伝 知られざる超前衛』二玄社/1500円)の紹介記事です。

私が秋山の存在を知ったのは、毎週日曜日に放送されています「日曜美術館」にゲストで出演された時です。

忘れもしません。1989年5月21日の放送で、その日は画家・牧野邦夫を紹介しました。私はそれまで聞いたことのない名前の画家でしたので、午前9時からの放送は寝転がって何の気なしに見始めました。

孤高の画家 牧野邦夫

まさかないだろうという気持ちで「まきのくにお」と入力し、「牧野邦夫」と変換してみる。続いて検索のボタンをクリックする。思いがけず、彼牧野邦夫のサイトが見つかった。正直いって驚いた。まさか本当に見つかるとは思っていなかったからだ。ネットを始めて3カ月(1999年11月下旬時点)、これまでこの名前を検索しないでいたことが不思議なほどだ。

私が初めて彼の名前を知ったのは、「日曜美術館」(NHK教育)でだった。今回彼のサイトで確認したら、その放送があったのは1989年であったらしい。ちょうど10年前ということになる。その放送を見て、鳥肌がたったのを今でもよく憶えている。「こんな画家がいたのか」と。その時の放送はビデオに収めてあり、その後何度も繰り返して観ることになる。

その放送があった翌年、彼の作品を実際に観る機会に恵まれた。新宿の小田急百貨店内の「小田急グランド・ギャラリー」で開かれた『牧野邦夫展』でである。

それまで彼の作品を幾度となくビデオで見ていた私は、会場で実物を目にしたとき、何とも不思議な懐かしさを覚えた。また、その会場内で自分ほど彼の作品を識る者は他にいないだろう、というヘンな自負も持った。

その時に会場脇の売店で買った『見る人間・牧野邦夫』(牧野千穂 著)は今も手元にあるが、繰り返し読んだこともありボロボロになってしまった。この本の中に、次のようなことが書かれている。牧野邦夫という人間を端的に表現していると思われるので、引用させていただく。

Nちゃんからおおよそのことは聞いていたので、普通の絵描きさんとは少し違う人だろうとは思っていたが、ドアを開けてくれた牧野の顔を見て、これまでに出会ったことのない、まったく異質の世界の人だと感じた。強く鋭い視線で見られると、そこが痛くなりそうな気がした。澄んだ目と、身体全体から髪の毛が逆立ちそうなピリピリした緊張感が伝わり、ただでさえ固くなっている私は怖いと思った。(『見る人間・牧野邦夫』p.4)

私は、レンブラントよりもスタートが30年遅れている。従って、彼のような絵を描くためには、63歳で死んだレンブラントよりも30年余計に生きなければならない。

これは彼が残した言葉だ。彼はレンブラントを心から尊敬し、少しでも彼に近づこうとしていたのだ。残念ながら牧野は90過ぎまで生きることはできず、61歳でこの世を去っている。先に書いた「日曜美術館」の中でゲストの秋山祐徳太子氏は、「それは、牧野さんが師であるブラントの影を踏まずの精神で、師よりも2年早くこの世を去ったということなんでしょう。この辺りにも牧野さんの優しさを感じます」といい表している。