画面の縦横の比率と表現の幅

油彩画を描くのに最も用いられる支持体カンヴァスです。昔は板に描かれることが多かったようです。

今でも絵画作品を「タブロー」といったりします。これはおそらく「テーブル」から派生した言葉(?)で、板に描かれた油彩画を昔はタブローといったりしたのかもしれません。

ルーベンス15771640)の作品は板を貼り合わせたパネルに描かれています。

ルーベンスは大きな工房を持っており、多くの弟子を使っていました。ルーベンスには外交官の一面もあり、注文を受けた作品さばくため、ルーベンスが下絵だけを描き、あとの工程を弟子たちに任せることが多くありました。

はじめから終わりまでルーベンスがひとりで描いた油彩画は、ルーベンスの油彩技法の特徴がよく表れています。

ルーベンスがパネルを好んだのは、平滑な画面を求めたからです。パネルには、今のジェッソのような下地材を塗り重ね、それを平滑に磨きます。

その上に油絵具をつけていきます。その際、暗部は溶剤で薄く溶き、透明性を持たせます。一方、明部はシルバーホワイトなどで不透明に塗ります。

2013/01/11 サムライのイメージ論・芸術家の場合

質問をひとつさせてもらいます。「侍」と聞いてあなたはどんなイメージを持つでしょうか?

正直な話、私は、昔に侍といわれた人たちが日々をどんな風に過ごしていたか、すぐにイメージすることができません。

ネットの辞典ウィキペディアにある記述にさらっと目を通してみますと、世の中が安定してからは、彼らは支配階級に仕える下級役人で、今の多くのサラリーマンと同じように、上昇志向を強く持っていたようですね。

だとすれば、小説や映画、ドラマなどに登場する侍像というのは、ごく一部に一定数いた、あるいはいたかもしれない「はねかえり」を誇張して描いていることになりましょうか。

私自身、軽はずみなことはよくしでかし、ほかの人から、はねかえりに近いと思われる部分も多分に持っているであろうと自覚していますので、その意味の侍であれば嫌いではありません。

もっとも、はねかえりの性格を持つ者は、同じようなはねかえりの性格の人間とうまくいくはずもなく、似ているが故に、どちらかが折れてはねかえり度を弱めない限り、うまく付き合うのは難しいでしょうが。

大衆と無関係であればAIがどんな力を得ても影響を及ぼせない

人工知能(AI)が急速に発達したことが、あらゆる方面に影響を及ぼしています。

今後、それが多くの分野へ浸食し、それまでは人間の手で行われていたことが、AIに置き換わっていくのではと見られています。たしかに、AIに置き換わる業種はあるでしょう。

たとえば、テレビのニュースでニュース原稿を読むだけや、ドキュメンタリー番組で、原稿通りのナレーションを読むだけであれば、人間のアナウンサーに代わり、AIの音声に任せた方が、読み間違いが起こらないなど、便利なことが考えられます。

声だけの仕事であっても、リアクションが求められるようなものであれば、人間がしたほうがいいかもしれません。

国会で速記を取る仕事も、AIの文字変換精度が上がれば、AIに置き換わっていくのではないでしょうか。

速記というのは、特別な訓練を経て身につけるものでしょう。それが、AIの登場によって、仕事の場をなくすというのであれば、長くその仕事に携わってきた人には無念に思われるでしょう。

それぞれの会社で行われている事務の処理も、AIに任されるものは、どんどん、それに任せるような方向へ向かうかもしれません。

あなたにもある「知らない世界」

「あなたの知らない世界」などと書きますと、何やら、ミステリーや超常現象を扱うテレビ番組のタイトルのようです。

普通に生活している人が「知らない世界」は無数に存在しています。それが専門分野であれば、普通の個人には「知らない世界」です。おそらくは、一生知らないまま過ごすことになるでしょう。

もっと日常的なものでも「知らない世界」が、知らないところで存在し続けていたりします。そして、それに気がつくことで、自分がそれを知らずに生活していたことを気づかされます。

私は昨日、そんな気づきを得ました。

ネットの動画共有サイトYouTubeには、ほぼ無数といっていいほどのチャンネルが存在します。私も日常的に利用していますが、自分が接するのは、ごくごく一部になりましょう。

そして、それまで接したことがなかったチャンネルの動画を見ることで、自分の「知らない世界」がそこにあることに気づかされます。

美術の分野にも非常な博識を持つ人に山田五郎1958~)という人がいます。

私が山田氏を初めてテレビで見たときのことを今も憶えています。今も深夜に放送されているであろうテレビ番組(私はその番組を見ないので、想像形で書いておきます)に、『タモリ倶楽部』があります。

2005/05/22 ルオー展

私は昨日、美術展をひとつ見てきました。

その昨日の朝、出かけ前に私の頭にはふたつの美術展がありました。そしてほぼ想像通り、最初に向かった美術展を見ることは叶わず、ふたつ目の美術展を見ました。

見るのを諦めたのは、本日まで東京・竹橋の東京国立近代美術館で開催されていた「ゴッホ展 孤高の画家の原風景」です。

しかし、この美術展については、会場に着く前から、見られるか見られないか半々の気持ちでした。というのも、数日前に、2時間待ちの行列ができていると新聞にあったのを見ていたからです。

会場へ着くと、2時間待ちのお知らせがあり、道路の向こう側に大勢の人が列を作って並んでいるのが見えました。私は諦め、近代美術館をあとにしました。

本日の豆動画1
会場周辺をビデオカメラで撮影したものを編集し、短い動画にまとめました→「『ゴッホ展』120分待ちで残念断念の巻」。
2005年ゴッホ展の会場周辺風景

次に向かったのは、同じ地下鉄東西線沿線にある東京都現代美術館です。こちらは、「ゴッホ展」が見られない場合を想定して予定に入れておいた美術展「ルオー展」2005年4月16日~6月26日)が開かれています。

油絵具の扱いが少しわかりかけた

やはり、油絵具に接する時間は楽しいです。最も楽しいと感じられる時間です。

しかしこの感覚は、最近になって持てるようになりました。昨年の12月ぐらいからです。

それまでは、ときに、何となくいけそうだ、と感じることがありましたが、長続きしませんでした。その感覚が途切れたときは、油絵具に接していても、悩む時間が多かったです。

PCを使い始める前は、油絵具に接しながら、ノートをつけていました。絵具の扱いが主ですが、気がついたことがあるとノートに書き残すことをしました。

根っこの部分は今の本コーナーにつながるもののような気がします。

今のテレビ界を象徴する漫画家の死

漫画の神様といわれた手塚治虫19281989)が、テレビアニメを嫌っていたことはご存知でしょうか? たしか、そういう態度であったと記憶しています。

日本のテレビアニメが手塚の「鉄腕アトム」で始まったことを思うと、逆のような気もするかもしれません。しかし、手塚はテレビアニメを嫌っていたのです。

理由は何となく理解できます。

日本のアニメの長寿番組に「サザエさん」があります。これも、作者の長谷川町子19201992)はどんな風な思いを持っていたでしょう。

原作とテレビアニメは似て非なるものです。

長谷川町子が残した「サザエさん」の原作が4コマ漫画であることを知る若い「サザエさん」ファンはどのくらいいるでしょうか? 私は「サザエさん」のテレビアニメは見ないのでわかりませんが、ほとんどは、原作にはないことが描かれているのではありませんか?

なくなられては困る物

時が移ると、昔は手に入った物が手に入らなくなることがあります。私は昔、油絵具でそれを経験しました。

油絵具を使う人は、それぞれで、必要な絵具の色は違うでしょう。

油絵具のパレット

私は肌の色を作るのに使う、土が原料のある絵具を昔使っていました。それは、フランスの画材メーカー、ルフラン&ブルジョアの「フレッシュ・オーカー」という赤系統の絵具です。

この絵具が、作られなくなったのか、日本に入って来なくなりました。

私が考える天才の条件は二つ

あなたは、「天才」と聞いてどんなことや人をイメージしますか?

朝日新聞は、新年幕開けの紙面に、「天才」を巡る考え方をたしか六回にわたって取り上げました。

その最終回に、同時代を生きる天才として、大谷翔平選手(1994~)と藤井聡太八冠(2002~)を挙げ、書評家の渡辺祐真氏(1992~)が次のような考えを示しています。

大谷翔平選手や藤井聡太八冠がこれだけ人気を集めているのは、能力だけでなく人格も優れているから。いまは両方がそろって初めて天才だと認められる。

渡辺氏のこの指摘に、私は首を傾げました。私が定義する天才像からかけ離れているからです。

私は昔から、奇人や変人、天才に惹かれてきました。本サイトは、1999年10月17日に始め、今に続いていますが、本コーナーでは、そのときどきに私が着目したそんな人たちについて書いています。