ゴッホもよし レンブラントもよし

前回に続いて、油絵具を使った絵画表現について書きます。

私は油彩画に興味を持ったのと、17世紀のオランダの画家レンブラント16061669)に興味を持ったのがほぼ同時であったように思います。

版画家、棟方志功19031975)は自分を板画家(はんがか)と名乗りましたが、はじめは油彩画を描きました。

ふるさと歴史館49「棟方志功の生涯前編 世界のムナカタの誕生」

棟方が絵を描き始めるきっかけの話が、棟方の人となりと制作風景を記録した『彫る・棟方志功の世界』という映像に残っています。

私はその映像作品がビデオになったものを持っています。

ビデオ版『彫る・棟方志功の世界』のパッケージ画像

棟方は子供の頃から極度の近眼でした。青森の長島小学校へ通っているときモーリス・ファルマン(MF.7)という飛行機が飛来したというので、学校の児童みんながそれを見に駆けつけたそうです。

油絵具を発明した人に感謝

日本には四季があるといわれます。しかしそれが、最近は感じにくくなっているように思います。

こんなことを書くと、それは地球が温暖化したせいだ、といわれてしまいそうです。

最近になって地球温暖化を「騒いで」いますが、これは、今に始まったことではないように思います。相手が地球という宇宙に浮かぶ天体ですから、人類の思い通りにはなりません。

温暖化しているにしても、昨日今日始まったわけではありません。そして今後、寒冷化に向かうかもしれません。

ということは、私が子供の頃から今でいう地球温暖化が始まっていたのでしょうか。その頃は、日本には四季があると思い込んでいたので、春・夏・秋・冬と分かれているように感じただけで、その頃も、今と同じように、四季が明確に分かれて感じられたわけではなかったのかもしれません。

ともあれ、夏の猛暑が終わったあとは、秋らしい秋を感じる間もなく、気温が下がり、冬の足音を聞く季節になったような感じがします。

30年以上経って気がつくこともある レンブラントの技法書

17世紀のオランダの画家 レンブラント16061669)が描いた『パレットを持った自画像』を一冊の絵画技法書で見ています。

私は購入したものに、購入した日付を残す癖があります。この技法書には【1990.12.27】と日付がかかれてあります。今から35年前に手に入れた技法書です。

『巨匠の絵画技法 レンブラント』購入日日付

わたくしごとながら、母が亡くなったのは1992年11月です。その2年前に本書に接する機会を得たことになります。

書名は『巨匠の絵画技法 レンブラント』です。私はこの本を常にそばに置き、35年間にわたって見続けてきました。技法書はシリーズ化され、ほかにも次の画家の技法書が手元にあります。

ゴッホモネゴーギャンルノワール
ドガターナールーベンス

英国で出版されたものを翻訳し、日本の出版社が出版したものです。

本の構成はシリーズで共通し、まずは画家の「生涯と作品」を解説し、続いて、これも特徴のひとつですが、画家が使った絵具を分析します。

そして、画家の作品を何点か選び、部分の描写を分析します。そして、それぞれの作品の最後には、1ページを使って、作品の部分を実物大で紹介します。

レンブラントの絵具マジックにほんの少しだけ接近

油絵具を使い始めて長い年月が流れました。ここ最近になり、絵具の扱いに光明のようなものが射し始めたように感じています。

私は油彩画を独学で始めました。私が手本としたのは、17世紀のオランダの画家、レンブラント16061669)です。レンブラントが油彩技術に最も習熟していると考えたからです。

レンブラントにしても、初期と晩年では絵具の扱い方が大きく変化しています。だから、レンブラントであっても、油絵具の扱いは、描きながら独自の技法を見つけ、それを獲得していったのだと思います。

私は、レンブラントの晩年の技法には感嘆するばかりです。

欧州で油彩が生まれ、発展していきます。油絵具が登場する以前は、テンペラフレスコで絵画表現をしていました。どちらも乾きの速い絵具です。

原始感覚と油絵具

本コーナーの前回の更新で、夭折した画家の有元利夫19461985)について書きました。

私は記憶だけで書いているので、自分で書いたことがどこまで正しいかは自信がありません。

有元が使った絵具として、私はアクリル絵具と書きました。

気になって、昔にNKK教育テレビジョン(今はNHK Eテレ)で放送され、ビデオに録画してある有元を特集した回を部分的に見ました。

有元利夫の世界

放送の中では、岩絵具も使っていると話しています。

私は、有元は岩絵具だけでなく、アクリル絵具も使っていたと考えています。

私は岩絵具を使ったことがなく、知識を持っていません。ネットの事典ウィキペディアの記述を読むと、主に日本画で使われる絵具で、顔料染料で溶いて使うそうです。

【日本画講座】岩絵の具の溶き方・使い方/How to use mineral pigment

有元は綺麗な石を見つけると、それを拾って家に持って帰り、砕いて粉状にし、絵具として使ったというような話もあります。

有元利夫がいた時代

私は昔から、見るテレビ番組が決まっています。そのひとつに、日曜の午前9時からNHK Eテレ(昔はNKK教育テレビジョン)で放送される「日曜美術館」があります。

途中で「新日曜美術館」に番組名が変わることがありましたが、今は元の番組名です。

民生用ビデオレコーダーを使うようになった1980年代はじめ頃からは、ビデオで録画しながら見るか、あるいは、録画しておいて、あとで見るようになりました。

こんな馴染みを持つ「日曜美術館」ですが、その後、見ないことが多くなってしまいました。このようになったのはいつ頃からか、確認してみました。

昔の「日曜美術館」は、番組の進行役がNHKのアナウンサーで、アシスタント的に、タレントや知識人が加わる形でした。

私があまり見なくなったのは、進行役に知識人を使うようになってからであることがわかりました。

私が感じる油彩画の魅力

あらゆることをデジタル技術で処理しようという今、物質性の強い油絵具を使って絵を描く人は多くないかもしれません。

そういうわけで、多くの人の関心を集めないかもしれないことで、私がある気づきを得たので、それについて書きます。

現在進行形で生み出されている油彩作品を私はよく知りません。どうしても関心は、過去の偉大な画家によって描かれた作品に向かわざるを得ません。

中でも私が最も敬愛するのが17世紀のオランダの画家レンブラント16061669)です。

それよりも前の時代に活躍し、若くして世を去った天才画家にカラヴァッジォ1571~ 1610)がいます。

精神的な目覚めの瞬間:カラヴァッジョの『聖マタイの召命』

カラヴァッジォが世を去ったのが1610年でレンブラントが誕生したのが1606年です。

ネットの動画共有サイトYouTubeには、それぞれの人のアカウントに、その人が「高く評価した動画」を登録できるようになっています。

油絵具でアクリル絵具のように描けたら

今回は、いつもにも増して個人的な話です。しかも、話の内容は油彩画の技法についてです。絵の描き方に興味のない人には、役に立ちません。

私は、油絵具を使いだす前は、結構長いこと、アクリル絵具で絵を描いていました。

アクリル絵具の画像
アクリル絵具の画像

その期間は、NHK-FMで平日午後6時から生放送されていた「夕べのひととき」(東京発は「夕べの広場」)と土曜日の午後に生放送されていた「FMリクエストアワー」のリスナーとリクエスター(「リクエストする人」の意味で使っています)をしていた期間と重なります。

当時は、ハガキで番組宛てにリクエストカードを書きました。私はそのカードの裏に、リクエスト曲にちなむような、あるいは、ちなまないような(?)絵を描くことをしました。それを描くのに使った絵具がアクリル絵具です。

アクリル絵具を知らない人に説明をしておきます。

芸術作品の評価を操るもの

松本清張19091992)の長編小説『天才画の女』1979)を読み終えました。

本作は、清張が1970年代に、『週刊新潮』に連載した「禁忌の連歌」シリーズの三話目にあたる作品です。私は、本シリーズ4作品すべてを読もうと思い、読み終えました。

きっかけは、本シリーズ四話目の『黒革の手帖』1980)を読んだことです。その作品が同シリーズに含まれた一作であることを知り、同シリーズのほかの三作品に興味を持ち、全4作品を読んだのです。

本作は『週刊新潮』に1978年年3月16日号から同年10月12日号まで連載されたのち、翌1979年2月に単行本が刊行されています。

本作について書かれたネットの事典ウィキペディアを見ると、単行本化された翌年にNHKで一度テレビドラマ化されています。そのドラマは多分見たことがないと思います。

郵便の原型はテレパシー?

芸術について語る人は多くいます。しかし、芸術と郵便を関連付けて論じた書物や、それを語る人はあまりないのではないでしょうか。

どう考えても、普通の考え方を持つ限り、芸術と郵便が結びつくようには思えないからです。しかし、これを結び付けて語る人の映像を見ました。しかも、今から32年前に記録された映像でです。

この土曜日(24日)、NHK Eテレで横尾忠則1936~)が出演した過去の番組が放送されるのを知りました。個人的には横尾の人間性に興味を持つので、録画しました。

その時放送されたのは、1993年2月に放送されたNHK教育の「教育テレビスペシャル」です。その回では「横尾忠則と瀧と冒険」のタイトルで、その頃、横尾が興味を持ち、集中的に描いた瀧にまつわる作品とともに、横尾の考え方を番組にしています。

横尾は1936年の生まれですので、番組が作られたときは57歳です。