2日にNHK Eテレで放送された「日曜美術館」を録画し、昨日見ました。
私は昔から同番組を見る習慣がありました。それがいつからか、疎遠になりました。理由は、昔に比べて内容が浅くなったように感じたことなどです。
昔の同番組は、美術の専門家をゲストに招くようなスタイルでした。それが、2000年代に入ってしばらくした頃からでしたか、タレントが多く出演するようになりました。それだけ、バラエティ色が強まっています。
そんな感じで、最近は同番組を見ないだけでなく、放送内容をチェックするのも疎かな状態でした。
新年度になり、同番組の制作スタイルに少し変化があったようです。新聞のテレビ欄を見て、見てみたいような放送をしているのに気がつきました。
2日は「変容するイラストレーション 宇野亞喜良」。一世を風靡したイラストレーターでグラフィックデザイナーの宇野亞喜良(1934~)を特集しています。
この回の放送は、前の週の5月26日午前9時から放送されています。私は上に書いたような理由で見逃し、2日の午後8時から放送された再放送を録画して見ました。
それにしても、宇野亞喜良はずいぶん前に活躍したイラストレーターです。寺山修司(1935~1983)の周辺にいたイメージが強いですから。
私は昔、『イラストレーション』という雑誌を購入し、内容を確認していました。そうしたことから、その当時のイラストレーターのことは知っています。
番組が始まってすぐに映った今の宇野を見て驚きました。宇野は90歳になっていますが、非常に若々しかったからです。90歳の高齢者には見えません。
髪は白髪になっていますが、彼が住んでいる東京・麻布十番の街をひとりで歩いていました。腰も曲がらず、杖もついていません。着ている服もおしゃれです。
それもそのはずで、宇野は90歳になった今も現役のイラストレーターだそうです。大企業の依頼でイラストを描き、その一方で、地元の祭りのポスターを頼まれればそれも描くそうです。
彼のアトリエは、自宅があるマンションの一室で、現役を感じさせるエネルギッシュな空気に包まれています。
宇野が描くイラストレーションで何といっても特徴的なのは、線で描かれた少女像です。笑わない少女は物憂げな雰囲気をまとっています。
番組の冒頭、宇野がイラストを描く様子が紹介されました。おそらくは宇野の制作の場面を私は初めて映像で見ました。そして、宇野の技術の高さに驚かされました。
近年は、頼まれた仕事ではなく、自分の創作意欲のようなものからでしょう。自分が選んだ俳句からイメージしたイラストを描くことをよくしているようです。
おそらくは取材のディレクターから、イラストを描いて欲しいと頼まれたのでしょう。宇野は『寺山修司の俳句入門』から「鰐狩りに 文法違反の 旅に出き」という一句を選びます。
宇野が描くイラストですから、宇野独特の少女は欠かせません。その少女に、俳句にある鰐(ワニ)を絡めて描こうというわけです。
宇野は左利きですね。真っ白なイラストボードか何かに、左手で持った茶色の色鉛筆か何かで、いきなり描き始めました。下書きも何もありません。
資料も何も見ずに、一筆書きのように描いていきます。まずは鰐の長い口を描き、眼を描いています。宇野の頭の中には、描き出す前に完成図のようなものがあるのでしょうか。
躊躇なく鉛筆を動かしていきます。鉛筆の芯は太く、先は尖っていません。粘性が強い芯のようで、強い線が伸びていきます。
続けて見ていると、鰐の口が大きく開き、その中に宇野独特の少女が描き込まれます。例によって、ニコリともせず、こちらを見る少女像です。
鰐の尻尾には可愛らしいリボンが結ばれています。
線で描いたあとは、同じ鉛筆で影がつけられ、完成です。影をつけるところは映像で紹介されませんでした。粘性が強い絵具を指か何かでこすって影にしたのでしょうか。
描きはじめから終わりまで、20分だそうです。間近で見たスタッフは驚かされたことでしょう。
番組では宇野の経歴が紹介されました。高校で商業美術を学び、卒業した年にはデザイナーの活動を始めます。当時は高度経済成長の時代で、広告業界は黄金期を迎えていました。
1960年に広告制作会社に就職します。同じ会社に、2歳年下の横尾忠則(1936~)が入社します。ふたりは気が合い、仕事を離れても行動を共にすることが多かったそうです。
宇野は31歳に独立しています。その頃、寺山修司と出会います。横尾が寺山に出会ったのも同じ頃でしょう。
寺山はアングラ演劇を作り、それがブームになります。宇野は寺山の「新宿版千一夜物語」のポスターを描きます。1968年のことです。
ほかのイラストもそうですが、宇野はだいたいの話を聞き、あとは自分がイメージを膨らませてイラストにするそうです。寺山のポスターにしても、台本がまだないときに描いたそうです。
それが大評判となり、一躍、人気イラストレーターとなります。
順序としてはこちらが先になりますね。宇野は、寺山が若い女性をターゲットにした読み物として書く『ひとりぼっちのあなたへ』の挿絵を頼まれます。
多くの場合、挿絵は話に登場する場面を描いたりします。宇野はそうせず、イメージを膨らませて自分なりのイラストを描きます。この仕事で宇野は、のちのちまで続くことになる笑わない少女像を自分の専売特許のように得ます。
宇野は、若いタレントが、おかしくもないのに笑顔を作った写真を見ると、どうして相手もいないのに、カメラに向かってニッコリできるのかと訝る気持ちを持ったそうです。
彼女らにしても、普段の生活では、あまりニッコリしないのではないかといいます。もっとも、誰もいないところでひとりで笑っていたら、それはそれで不気味です。
宇野は、何パーセントかの人は、社会に不満を抱えて生きているのではないか、と感想を漏らします。
私も、無闇に愛想笑いをするのは好きではないです。私自身が無愛想ということもありますが。とっつきにくい人は、女性でも嫌いではありません。
宇野は自分が描く少女に「宇野亜喜良商店が扱っている少女」や「解放区にいる少女」といった独特ないい方をしたりする場面が番組内にありました。
番組の守本奈実アナウンサー(1981~)に、「いつも同じ少女を描くのですか?」というようなことを訊かれ、宇野としては、それぞれ替えて描いているつもりだけれど、第三者には同じような少女に見られるのかもというように答えています。
横尾忠則が宇野の自宅を訪れ、宇野が描くイラスト周辺の話をします。
横尾は、宇野のイラストの旨さを褒め、1960年代には今に続く宇野スタイルの少女像を完成させてしまっていると驚いています。
横尾は1980年に画家宣言をし、商業美術の分野からは離れていきました。その一方、宇野は依頼された仕事でイラストを描くことを半世紀以上続けています。
宇野としては、ゼロから自分の表現をスタートするのではなく、依頼された仕事の範囲内で、工夫や創造をするのが自分には合っていて好きだと述べています。
昔の画家は、肖像画や歴史画を依頼されて描きました。いってみれば、宇野のイラストを描くのに共通する点が多いです。
その後、「芸術家」と呼ばれる人たちが現れ、それぞれが自由に絵を描くようになりました。これらの人は、誰に頼まれたわけでもなく絵を描きます。
自由に自分の赴くまま描くので、どんなものでも描けそうですが、描くものがなくて悩む「芸術家」が少なくありません。
「芸術家」といういい方が「曲者」です。たとえば画家であれば、「絵を描く職人」と考えたらどうでしょう。「芸術家」という肩書きを外してやることで、少しは楽になれるように思います。
「芸術家」といわれる立場の人も、宇野の仕事の仕方を利用できることは利用するといいです。
すべてを「自由」からスタートせず、たとえば宇野が実際にやっているように、俳句からインスピレーションを受け、それを絵にするようなすれば、描くものがなくて困ることが少しは解消できそうです。
番組の終盤、宇野と話を続けてきた横尾が、宇野を「変態」呼ばわりする場面があります。90歳になってもなお、宇野が少女を描く行為を「変態」だというのです。
宇野から笑顔が消え、不穏な空気が流れました。
すぐあと、横尾が「何かを表現する人には『変態』的な部分が欠かせない」といい、宇野も半分納得してその場が収まります。
宇野は90歳、横尾が87歳。現役のふたりを見ていると、年齢の不思議さを感じないわけにはいきません。ふたりは世間がイメージする90歳前後の高齢者にはまったく見えません。
何かを表現し続けることがふたりをいつまでも元気で若々しく保っているのでしょう。
横尾が宇野の家を訪問してきたとき、昔のおしゃれな横尾そのままだったため、宇野は「さすがだ」と感心します。迎える宇野も若さを感じさせる服装です。