結婚によって始まる苦悩

松本清張の小説を読んでいます。きっかけは、本コーナーで書いた『張込み』という旧い映画を見たことです。映画を見たあと、原作を読みたくなりました。

今は、短編集『影の車』を拾い読みしています。ちなみに、表題作はありません。清張が月刊誌『婦人公論』1961年1月号から8月号に連載した短編小説が短編集として編まれたとき、『影の車』が短編集タイトルとされたようです。

同名の映画を、『張込み』の監督もした野村芳太郎が撮っています。映画のタイトルは『影の車』ですが、描かれているのは『潜在光景』という短編小説です。

私が持っている短編集『影の車』は角川文庫版(昭和58年2月10日)をAmazonの電子書籍Kindle版にしたものです。

本短編集には、次の7編が表記順に収録されています。

嘘を本物らしく見せる映像魔術『張込み』

昨日、NHK BSで、松本清張が書いた短編小説『張込み』を原作とする映画『張込み』が放送されました。

私は原作を何度か読んでいますが、映画は録画して見ました。

あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション『張込み』2015/7/3リリース!

話の筋はわかっているので、私は映画撮影の舞台裏を、GoogleのAI Geminiに訊き、いろいろと興味深い話を得ました。

警視庁捜査一課の刑事二人が、九州の佐賀へ向かいます。二人は、横浜駅から、走り出した列車に飛び乗ります。

なぜ東京駅でなく、横浜駅から乗ったのかの理由と、飛び乗りの演出について、Geminiは次のように解説しています。

なぜ東京駅ではなく「横浜駅」から乗ったのか?

警視庁の刑事である二人は、本来であれば始発の東京駅から乗るのが自然です。しかし、劇中では「東京駅で顔見知りの新聞記者に見つかってしまい、事件の捜査(張込みへ向かうこと)がバレるのを防ぐため、あえて先回りして横浜駅から乗った」という理由が語られています。

落雷の被害は「雷獣」の仕業?

岡本綺堂の『半七捕物帳』に『雷獣と蛇』という短編小説があります。

現代の日本で、「雷獣(らいじゅう)」が存在すると信じる人はいないでしょう。しかし、江戸時代は、庶民ばかりでなく、知識層もそれを大真面目に信じていたらしいです。

そのあたりについてGoogleのAI Geminiに訊き、次のように教えてもらいました。

1. 「雷と一緒に空から落ちてくる」と信じられていた

当時の人々は、激しい雷雨のあとに山林や木の下で変わった動物(ハクビシン、テン、イタチ、あるいは奇形の家畜など)が見つかると、それを「空から雷と一緒に落ちてきた雷獣だ」と考えました。

つげ義春を追悼した寄稿を読んで

先月はじめ、一人の偉大な漫画家がこの世を去っています。その漫画家とは、「つげ義春」です。

私は、つげのことは知りません。つげの漫画も読んだことはないです。しかし、つげが、多くの表現者に大きな影響を与えたことは、あとになって知りました。

たしか、蛭子能収さんもつげの漫画が好きで、影響を受けたということだったと思います。

つげが亡くなったのは先月3日です。しかし、朝日新聞がそれを朝刊で初めて報じたのは、先月28日になってからでした。

それまで、つげの死が知られなかったのか、それとも、親近者がそのように依頼していたのでしょうか。

先月28日に朝日がつげの訃報を伝えたあと、昨日、美術史家の山下裕二氏による、つげへの寄稿を朝日が載せています。

「二六時中」を知っていますか?

「二六時中」という表現、使ったことがありますか?

先ほどまで、阿刀田高が昔に書いた短編小説を読んでいました。その中に「二六時中」というのが出てきました。私は「四六時中」なら知っていましたが、二六時中というのは聞いたことがなかったように思います。

そこで、本を読むのを一旦やめ、GoogleのAI Geminiに、そのことを訊いたことで、江戸時代の時間のあり方や、岡本綺堂が書いた『半七捕物帳』における半七の役割についての話などを教えてもらったので、共有します。

まずは、「二六時中」についての、Geminiの回答から見ていきましょう。

「二六時中(にろくじちゅう)」という表現は存在します。意味は「四六時中」とまったく同じで、「一日中」や「常に」を表します。

結論から申し上げますと、現代で一般的なのは圧倒的に「四六時中」です。

『耳袋』を知っていますか?

岡本綺堂の短編小説に『池袋の怪』があります。読んだことはありますか。

話は、安政の大地震の翌年に起きた事として始まります。このことから、長く続いた江戸時代後期のことが書かれているのがわかります。

その頃に、武家の屋敷で、怪異なことが次々に起きたとされています。

たとえば、麻布にあった某藩邸では、カエルが座敷に這い出るといった具合です。それが幾日も続き、数が増えたりするのですから、どうしてこんなことが起きるのだろう、と思わずにはいられないでしょう。

またある屋敷では、屋敷内にいるのに、どこからともなく、小石がひょいと飛んで来るといいます。人に危害を加えないからいいものの、謎が謎を呼ぶ出来事ではあります。

綺堂が書く作品の中で、江戸時代に起きたそれらの怪異が、『耳袋』という書物に収められていると書かれています。その記述を読み、少し前に、朝日新聞にあった書評を思い出しました。

クリスティの生き様と作品

昨日の朝日新聞「天声人語」は、ある女性推理作家について書いています。アガサ・クリスティです。

クリスティが世界的な推理作家として評価されることになった『アクロイド殺し』が1926年に刊行され、今年がちょうど百年目にあたるからでしょうか。

私もそれなりにクリスティの作品は読んでいるつもりですが、全部を読むのはなかなか大変といえましょう。

先ほどまで、GoogleのAI Geminiとクリスティや彼女の作品について、「対話」をしました。

彼女は30歳の時に作家デビューしています。生涯に書いた作品数はどのくらいだと思いますか。Geminiが次のようにまとめてくれましたので、共有します。

定海の現世利益 律仙教

人々が長年信じていることと、信じている実体が実は大きく乖離していることがあります。というか、乖離しているのが基本ともいえましょう。

それは宗教でもいえます。いえますというか、私もほかの人と同じように、宗教の実体を知らずにこれまで生きてきました。

私の家は仏教で、地元にある真言宗の寺の檀家ということになっています。正直なことを書けば、日頃は宗教を考えることはありません。

夏のお盆や法要のとき、家に来てもらうか、寺を訪れるかして、そこで、住職の読経を聴きます。

仏教のほかの宗派のことを私は知りません。地元にある寺の住職の読経を聞きます。真言宗の読経では、途中で、音節がつき、まるで唄っているように聴こえるところがあります。

両親と姉が亡くなったあとにそれを聴いたときは、心の奥の何かが刺激され、涙がこみ上げるような心持ちになりました。

仏教の勉強をしたことがないので、どんなことを僧侶が誦じているかはまったくわかりません。

転落するまでの男を描く清張『危険な斜面』

数日前の本コーナーで、松本清張19091992)の『たづたづし』(1963)という短編小説について書きました。

私はそれを、清張の短編集『三面記事の男と女』に掲載された分から読みました。同じ短編集から、今度は『危険な斜面』という短編小説を読んだので、ここに少し書いておきます。

本作は、『オール讀物』に掲載されますが、1959年2月号といいますから、『たづたづし』の4年前になります。

その頃にも飛行機は利用できました。しかし、清張の作品にある飛行機は30人乗りです。今と比べると乗れる数が少ないので、一般の庶民はなかなか利用できなかったかもしれません。

当時の飛行機は、たとえば東京の羽田空港から九州の小倉空港へ行くのでも、途中で、大阪に一旦降りて一度給油する必要があった(?)のでしょうか。

ヘンテコな話 『たづたづし』

松本清張19091992)の短編小説に『たづたづし』という作品があります。多分、何度目かで読みました。

私はAmazonの電子書籍版で本を読む習慣です。私はちょうど一カ月ほど前、それに該当する電子書籍版であれば、その期間に何冊でも追加料金なしで読めるKindle Unlimitedという本来は有料(月額980円)のサービスを無料で利用できる権利を得ました。

Amazon Kindle 第12世代

この期間に、水上勉19192004)のエッセイ集『閑話一滴』2015)や、水木しげる19222015)が大きな影響を受けたというヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ17491832)が残した言葉から選んで紹介する『ゲゲゲのゲーテ』(2015)などを読みました。

【紹介】ゲゲゲのゲーテ 双葉新書 (水木 しげる,水木プロダクション)

この二冊はおもしろかったので、Kindle Unlimitedの利用期間が終了した今、購入しようかと考えています。

ともあれ、Kindle Unlimitedが終了したことで、次に読む本がすぐにはありません。そこで、過去に読んだ本をKindle端末から捜し、清張の短編集を読み始めたというわけです。