ビルジニーに逢いたくて

英国の推理作家、アガサ・クリスティ18901976)原作のテレビドラマ『名探偵ポワロ』シリーズの何度目かの放送が、今、毎週水曜日の午後9時から、NHK BSプレミアム放送中です。

私は毎週録画し、基本的には翌日に見ることをしています。

先週の水曜日(8日)に放送されたのは、第39話の『チョコレートの箱』です。これが英国で初めて放送されたのは1993年2月21日、日本では同年7月10日に放送されています。

このシリーズの放送があるたび、私は録画して見ることをしています。私の記憶力が弱いのか、見るたびに犯人か誰かわからずに見ることが多いです。

『ABC殺人事件』1992)や『雲をつかむ死』(1992)は犯人を憶えています。この二作品は第3シリーズに放送された三作品のうちの二作品です。

宝石が鵞鳥の胃袋から見つかる謎

英国の作家、アーサー・コナン・ドイル18591930)の短編作品集に『シャーロック・ホームズ』シリーズがあります。小説は英国でドラマ化されています。

日本でもそのドラマは何度も放送されてきましたが、私はなぜか、シャーロック・ホームズを食わず嫌いしてきたことは一カ月ほど前の本コーナーで書きました。

NHK BSプレミアムで2月18日から何度目かのシリーズの放送が始まりました。私は食わず嫌いを反省し(?)見始めたところ、ようやくにしてその面白さが気がつくことができました。というわけで、今は、毎週土曜日夕方の放送が楽しみです。

「とんかち作業」が嫌いでない私と村上の”復活作”?

最近、村上春樹1949~)の『職業としての小説家』2015)をAmazonの電子書籍版で読み、それについて本コーナーで三度取り上げました。

その二回目では、村上が「とんかち作業」を気の済むまですることを書きました。

結局のところ、私も同じような「とんかち作業」をして、それが嫌いではないことを再確認しました。

これまで、それを自分で「とんかち作業」とは認識していませんでしたが、村上の本でそれを「とんかち作業」と村上で呼んでいることを教えられ、私がやっているのもそれと同じようなものだ、と認識することができました。

絵画と小説を共通点から探る

前回の本コーナーでは、村上春樹1949~)のエッセイ集『職業としての小説家』2015)に書かれている、村上の小説執筆工程について書きました。

それを書きながら、絵画の制作過程でも同じような話が書けそうなことに気がつきました。

ここでは古典的な欧州絵画を想定した話になります。

それを大ざっぱに分類すれば、細部まで克明に描かれた絵画と、細部が大ざっぱに描かれた絵画に分けることができます。そして、それぞれの制作過程は、大きくふたつに分かれざるを得ません。

「とんかち作業」を厭わない村上

本コーナーでは前回、村上春樹1949~)の『職業としての小説家』2015)を、Amazonの電子書籍版で読んだことを書きました。

その締めの部分に、村上がどのように小説を書いているのかを、書けることがあれば書く、と書きました。それをこれから書くことにします。

私はこれまで、村上の小説を、短編を含めれば、それなりの数を読んでました。そして、本コーナーで、読み終えた村上の小説について書きました。

それらの中にすでに書きましたが、村上は、書く前にプロットのようなものは作らず、いきなり書き始めるのではないか、と根拠のないまま書きました。

今回、村上がどのように小説を書くかについて書いた本書を読み、私の「読み」がそう外れてはいなかったことが確認できました。

村上に編集者は冷ややかだった?

村上春樹1949~)のエッセイ集『職業としての小説家』2015)を、Amazonの電子書籍版で読みました。本書は、2016年に文庫本として出版され、同年に電子書籍版でも出たそうです。

このようなエッセイ集は、多くが雑誌などに連載され、その後、一冊の本にまとめられたりするでしょう。

本書のあとがきで、村上がどのようにエッセイを書いたのかが書かれています。

村上は、自分が小説家として小説を書き続けている状況について、まとめて語っておきたいという考えを元々持ち、仕事の合間に、誰に頼まれたのでもなく、自発的に断片的に書き溜めたそうです。

食わず嫌いだったホームズ

食わず嫌いはよくないといわれます。そうはいわれても、誰にでも、そんなことがひとつやふたつはあるでしょう。

私の場合は、アーサー・コナン・ドイル18591930)が書いたシャーロック・ホームズシリーズ18871927)がそれにあたりました。

本日の豆知識
本シリーズは全部で60編だそうです。そのうち、長編は4作品、短編が56作品です。

これまで、ドイルの原作は読んだことがありません。そしてまた、それを原作とするテレビドラマがありますが、これまで、それを見たこともないままでした。

私には、決まった番組を見る習慣があります。毎週土曜日の夕方にNHK BSプレミアムで放送で放送された米国のドラマ『刑事コロンボ』も、見ることが習慣になっていた番組です。

この『刑事コロンボ』の放送が終わってしまいました。

芥川と黒澤の『羅生門』 村上のエッセイと二級天使も

映画監督・黒澤明19101998)の作品に『羅生門』1950)があります。

この作品の原作が、タイトルが同じことから、芥川龍之介18921927)の『羅生門』1915)だと考える人がいるでしょう。私も昨日まで、恥ずかしながら、そのように考えていました。

しかし、芥川の『羅生門』と黒澤の『羅生門』が別であることをやっと知ることができました。

本日の豆訂正
過去の更新を見ると、芥川の『羅生門』が原作ではないことは知っていましたね。

今は便利になり、電子書籍を使うことで、文豪が残した数々の作品に気軽に接することができます。

私はAmazonのKindleを使っていますが、芥川の378作が収められた『芥川龍之介全集』を格安な価格(200円)で手に入れました。芥川は短編作品を多数残したため、時間が空いたときに、少しずつ読むことをしています。

この全集では、作品が五十音順に収録されています。私ははじめから順に読んでいるため、ら行の『羅生門』は一番最後ぐらいにならないと、読む順番が巡ってきません。

こんな事情もあり、芥川の『羅生門』は読んでいませんでした。

半三郎の脚

今、日本を含む主要国を中心に、健康に過ごしていた人が突然亡くなる「異変」が起きていることを本コーナーで取り上げたばかりです。

私が想像する「異変」が起きている理由も付け加えておきました。

健康に過ごしていた人が突然亡くなることを「頓死(とんし)」ともいいます。

芥川龍之介18921927)が最晩年に書いた短編小説に、主人公が頓死する話があります。それも、話のはじめの方で表舞台を去ってしまいます。通常、主人公は話のはじめから終わりまで関わります。

その主人公を話のはじめに失う話を小説家は扱いたがらないでしょう。もし扱うとすれば、話のはじめに亡くなったのは主人公ではなく、そのあとの話の中心になる人物を主人公というべきです。

2009/01/25 『痴人の愛』鑑賞記

お寒うございますm(_ _)m 昨日も全国的にお寒うございました。そんなお寒うございます中(←いい加減しつこい(^m^))、私は欲張ってふたつの用事を済ませてまいりました。ということで、本日はそのことについて書きます。

私がまず向かったのは、東京・六本木にあります国立新美術館です。この美術館へ行くのは何度目になりますか。方向音痴を自認します私ではありますが、さすがに迷わずに辿り着けるようになりました。

昨日のお目当ては「未来を担う美術家たち DOMANI・明日展2008 文化庁芸術家在外研修の成果」という実に長い名前の展覧会です。それを、通常は大人【1000円】のところ、私は【1円】も払わずに鑑賞してきました。昨年末、アンドリュー・ワイエス19172009)の展覧会を鑑賞した時と同じで、チケットのプレゼントに当選したからです。

同展の招待券

もしかしたら、その当選したチケットは昨年中に届いていたのだったかもしれませんが、まだ余裕があると先延ばししているうち、会期の終了が迫ってしまい(1月26日まで)、昨日、慌てて足を運びました。

チケットは今回も2枚セットで当選し、私が1枚使うだけでもう1枚は使う予定がありません。そこでまた、NHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」宛てに送り、どなたかに使用してもらおうとも思いましたが、あまりにも押しつけがましいかな? と今回はやめました。メジャーな展覧会ではありませんでしたしね。