ここ最近、私はAmazonが提供するAudible(オーディブル)を使い、オーディオブックを耳で楽しむことを熱心にしています。
今月一日からその利用を始めています。今月いっぱい、通常は月額1500円かかるところ、無料で利用できる権利を得たことによってです。
この話題について前回は、井上ひさし(1934~2010)の講演会について書きました。
それを聴いたあと、私がどのようなものを聴いているか、聴いた順に簡単に書いておきます。
井上の講演を面白く聴けたため、次に松本清張(1909~1992)の講演を聴きました。清張が1987年10月31日、高松市四国新聞社ホールで行った講演の模様を収めたものです。
その日は、「菊池寛生誕百周年記念講演会」で三人の講演者が講演をし、清張がしんがりを務めることを、講演の最初で述べています。
菊池寛を記念する講演のため、演題は「菊池寛の文学」でした。
私はこれまで、菊池寛(1888~1948)の作品を読んだことがほとんどありません。清張は菊池寛の文学性について語りますが、寛が育った環境が貧しかったこと、寛が容姿に恵まれなかったこと、実体験が豊富だったことが彼の文学に色濃く表れていると論じています。
同じようなことが清張自身にも当てはまるため、寛の作品に親しみを感じ、高く評価しています。
清張がもっと早く生まれていたら、寛の門下生になりたかったというようなことも話しています。
それに比べ、夏目漱石(1867~1916)や芥川龍之介(1892~1927)は、菊池寛に足りなかったものに恵まれました。しかし、そのことが結果的には災いし、実体験が乏しくなり、彼らの作品は頭の中でこしらえたものだ、と清張の評価は高くありません。
清張の講演会を聴いたことで、ほとんど馴染のなかった菊池寛に興味を持ちました。そこで、ネットの事典ウィキペディアで菊池寛について書かれたものに目を通しました。
その中に、永井荷風(1879~1959)が菊池寛を嫌っていたと書かれています。それを知ったことで今度は、そうだ、荷風のオーディオブックがあれば聴いてみようと考えました。
荷風の作品はAmazonの電子書籍版で荷風の全集を愉しく読みました。
『墨東奇談』を聴きたいところですが、時間が3時間57分あるため、とりあえずとして、『向島』と『銀座』というエッセイを聴きました。
それぞれ、『向島』が7分、『銀座』が23分で合わせて30分で聴くことができます。とても聴きやすく、楽しめました。
そのあとに、菊池寛のオーディオブックから短い作品を見つけ、『死者を嗤う』を聴きました。短編で、朗読の長さは15分です。
なるほど、清張が講演で話したように、菊池の実体験を書いたような作品で、とても聴きやすかったです。
内容は、江戸川の堤防や川に架かった橋に人だかりができているので、主人公の啓吉がそこへ近づきます。近づくまでに啓吉が予想したとおり、川面には水死した人が浮かび、それを処理が行われていたのでした。
それを見る野次馬の群れや啓吉自身の考えが、短い作品にまとめられています。
これもとても聴きやすかったので、菊池の作品をまとめて読んでみようと考え、電子書籍版の全集のサンプルを早速ダウンロードしました。
近いうちに、菊池の作品をまとめて読むことになるでしょう。
菊池の短編を聴いたあとはまた講演会に戻り、これも昔に一度聴いている江國滋(1934~ 1997)の講演を聴きました。1989年5月27日、久留米市石橋文化センターのホールであった「 菊池寛生誕百周年記念講演会」の模様です。
江國の演題は「プロフェッショナルに学ぶ」です。
この講演会の模様も聴いたあとに本コーナーで書いています。しかし、その後、その分の投稿が、本サイトの独自ドメインへの移行時に私のミスから失い、本サイトから消滅してしまいました。
江國の講演の中で印象に残り、かつて、本コーナーでも書いたのは、昭和の名人といわれた落語家、八代目桂文楽(1892~1971)についてです。
江國は文楽と同時代を生きたため、文楽の弟子でふたつ目だった人に会って、当時のことを当人から訊き、それを披露しています。
文楽は1971年12月12日に、79歳で没しています。
文楽が没した年の8月31日、国立劇場の小劇場で『大仏餅』の噺をします。これが文楽最後の高座になったことは、知る人ぞ知ることです。
文楽はプロフェッショナルに徹しており、どれほど芸歴が長くなり、芸に磨きがかかっても、その日に高座で演じる噺は、必ず、はじめから終わりまで、さらう(稽古する)ことを怠らなかったそうです。
その日も、怠りなく高座に臨んだはずでしたが、文楽の身に予期せぬ異変が起きます。
三分の一ほど噺が進んだときです。文楽の噺が唐突に止まってしまいます。客席にいた人も、はじめは、噺の間かと思いました。しかしそれが十秒、二十秒と長引き、客席がざわつきます。
黙っていた文楽は、慌てる風もなく、いつものように落ち着き払った姿勢と目線を保ち、客席に向かって「台詞を忘れてしまいました。申し訳ありません。もう一度勉強をし直してまいります」とだけ述べると、立ち上がり、顔色を変えず、歩いて袖へ消えたそうです。
江國があとで調べると、国立劇場小劇場の舞台は、中央の位置から袖まで6.8メートルだそうです。そのときの文楽には、その6.8メートルが長く感じられたかもしれません。
楽屋に戻った文楽は、声を上げて泣いたということです。
江國が弟子にその時のことをあとで訊きます。すると、文楽は、その日に演じる噺だけではなく、噺が詰まった時に備え、客に謝る謝り方を、姿勢や視線の保ち方も含め、常に稽古を欠かさなかったそうです。
文楽はその日の「失敗」がよほど身に応えたのか、以来、噺の稽古をしなくなり、体調を崩した末に、その年の12月に世を去りました。
聴くものを選ぶと、Audibleはなかなか使いごたえがあるように感じます。また、何かを見つけて耳を澄ますことにします。
bluetoothイヤホンを使って聴くと、集中して聴け、私には向いているようです。

難点は、バッテリーの保(も)ちがよくないことです。しばらく聴いているとバッテリーが消耗し、充電するよう、英語のアナウンスが流れます。
もっとも、私が愛用するbluetoothイヤホンはすぐに充電が終わるので、充電している間は聴くのを一旦休むぐらいのつもりで接するのには、却っていいことかもしれません。