本日最初に更新した中にも横尾忠則(1936~)が登場しました。そして、本日ふたつ目の更新にも横尾が登場します。
横尾は何かとエピソードの多い人です。
横尾の『老いと創造 朦朧人生相談』を、Amazonが提供するオーディオブックのAudible版で聴きました。横尾に寄せられた数々の人生相談に横尾が答えたものです。
そのひとつに、これまでの人生で心揺さぶられた本は何かという質問がありました。
横尾は自分を飾ることをしません。世間体は考えず、ありのままを正直に語っています。
横尾によれば、子供の頃から読書にほとんど関心がなかったそうです。そのため、中学に上がるまでは、絵を描いたり、近くの川で魚捕りをするか、何もしないでボヤッと過ごすことが多かったそうです。
横尾が子供時代に本らしい本を読んだのは、まずは、江戸川乱歩(1894~1965)の『青銅の魔人』(1949)と『虎の牙』(1950)だそうです。いずれも、光文社の『少年』(1946~1968)という雑誌に連載されたそうです。
といっても、横尾の目当ては、小説そのものではなく、小説に添えられた挿絵にありました。その挿絵を描いたのは山川惣治(1908~1992)でした。
清張は山川より1年あとの1909年の生まれです。そして没年は、山川と同じ1992年です。
ちなみに、私の母の没年も1992年です。この年には「バルセロナ五輪」がありました。
横尾は、それらの挿絵を見るだけでなく、そっくり真似て描くこともしたでしょう。絵本にある絵を、そっくり描くこともしています。
その「技法」は、それを仕事にしてからも続けています。写真を基にして描くことが多いからです。
結局のところ、その人の作風というのは、子供の頃の延長で、それは修正かわらないというか、換えようがないものといえそうです。
横尾が読んだもういとつの小説を書いたのは南洋一郎(1893~1980)です。横尾が中学時代に読んだとすれば、『怪盗ルパン』シリーズが始まっていないので、別の作品になります。
『マヌーバ・シリーズ』といっているように聴こえますが、聴き間違いかもしれません。こちらも、目当ては挿絵で、描いたのは鈴木御水(1898~1982)です。
これは5巻まで出版されたところで出版社が倒産し、最後まで読むことができなかったようです。もっとも、横尾の興味は小説の中身ではなく、挿絵にあったわけですけれど。
社会人になってからも、本はほとんど読まなかったとのことです。そんな中、21歳で結婚した妻が、会社から借りてきたという本があり、恐る恐る手に取ったことがあるそうです。
それが、のちに縁が結ばれる三島由紀夫(1925~1970)の『金閣寺』(1956)です。ところが、難しい漢字が使われ、挿絵もなかったため、挫折してしまったそうです。
このように読書にはほとんど縁のない横尾が、朝日新聞の書評欄を担当するひとりになっています。私は横尾の書く朝日の書評はよく目を通しています。
いつだったか、その書評の中で、自分が読む本は書評を書くために読む本だけと書いていました。
その横尾の最も新しい書評が昨日(6月30日)の紙面にありました。今回、横尾が担当するのは『世界ぐるぐる怪異紀行 どうして”わからないもの”はこわいの?』です。
9人の文化人類学者が、それぞれに、ネパールやパナマ、オーストラリア、ボルネオ島、それから「聞いたことのない南方の島」などを訪れ、直接観察したり、訊き取りをして得た、その土地の「怪異」的なことが書かれているようです。
横尾は、人生相談に答えた本でもそうですが、質問に答えながら、自分のことを書くことが多いです。本書の書評でも、自分に起きた「怪異」のひとつを披露しています。
それが起きたのはいつのことかはわかりません。横尾がハワイを訪れ、日本に戻る時、ホノルルの空港(ダニエル・K・イノウエ国際空港)で、見送りに来た現地の日本人にこんなことをいわれたそうです。
この飛行機は堕ちますよ。
こんなことをいわれたら、どんな風に感じるでしょう。縁起でもないことをいうな、と心の中で怒るか、根拠もない不安に襲われる人もいるでしょう。
横尾は意に介さなかったのか、その人に次のようにいったそうです。
あなたこそ気をつけてください。車の事故に。
横尾の忠告が的中し、横尾が日本に帰国したあと、その人が空港からの帰りに大事故を起こしたことを知ったそうです。
どうしてそのとき、横尾の口からそのような忠告が出たのか。そして、それが現実に起きたのはなぜか。何かが横尾に「作用」したことになりますが、それが何なのかは横尾自身にもわからないでしょう。
科学万能の現代はどんなことも解き明かした気になっています。しかし、解き明かしていないことの方が山ほどありそうです。
日々起こり続ける怪異現象もそのひとつといえそうです。