このところは、自分の声を録音し、録音した自分の声を聴くのを楽しみとしました。それとほぼ並行して、他人に聴かせるために他人が録音した声を聴くのも楽しみとしました。
出版物などを朗読した音声コンテンツを楽しめる「Audible(オーディブル)」というサービスはご存知でしょうか。Amazonが提供するサービスのひとつですが、私は以前にも、このサービスを利用し、耳で楽しんだ時期があります。
そのときは、文化人が過去に行った講演会を録音したものを楽しみました。
このサービスが、2カ月間無料で利用できる、と以前から私にメールで届いていました。興味はあったものの、それを楽しむことで時間が制約されるため、後回しにしていました。
その利用を始めました。きっかけは、村上春樹(1949~)の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』の第1部が利用できることを知ったからです。
村上の作品は、Amazonの電子書籍Kindleで数多く読みました。『ねじまき鳥クロニクル』はまだ読んだことがなかったため、Audibleで第1部だけでも内容を確認しようと、サービスの利用を始めたのです。
過去に、文化講演会をAudibleの利用で聴いたときもそうでしたが、ラジオでも聴くように音声コンテンツを聴いていますと、どうしても睡魔に襲われ、途中、うとうとしてしまうことがあります。
それはともかく、久しぶりにそのサービスで音声コンテンツを聴くにあたり、どのように聴けば、一番聴きやすいか試しました。
真っ先に考えたのが、Bluetoothスピーカーの利用です。
しかし、私が今便利に使うスピーカーは、音楽の再生に最適化されている(?)からか、人が朗読する声の再生では、声が明瞭に聴こえないように感じました。
その次は、有線や無線のイヤホンを試しましたが、結果的には、最も単純である、タブレットPCのスピーカーでそのまま聴くことです。私が今使うタブレットPCは、音声の再生に優れているらしく、手軽に、良い音で楽しむことができます。
村上の『ねじまき鳥クロニクル』は第1部から第3部までの大長編小説です。ネットの事典「ウィキペディア」でその作品のあらましを調べると、第1部だけは、文芸雑誌の『新潮』(1904~)に、1992年10月号から1993年8月号まで連載したようです。
村上は、ほとんどが書下ろしで作品を発表しますので、連載は珍しいといえましょう。
この第1部は、再生時間が11時間23分です。朗読するのは俳優で歌手、ミュージシャンの藤木直人(1972~)です。
眼で活字を追うのではなく、ただ、ラジオでも聴くように聴くだけなので、楽に思われるでしょう。
たしかに、眼を閉じていても文章が耳から入ってくるのですから、自分で読むよりは楽です。しかし、自分で読むのと同じぐらいの時間がかかるのは一緒です。再生速度を速めて聴くこともできますが、私は自分の理解が追い付かないので、速度は変えません。
あとは、タブレットPCのスピーカーから聴こえる朗読に耳を澄ますだけです。すでに書いたように、時に睡魔に襲われ、ところどころ聞き逃しながら、最後まで聴きました。
本作の書き出しを聴きながら、かつて活字で読んだことがあると感じました。それもそのはずで、村上の短編集『パン屋再襲撃』(1986)に収録されていた短編小説『ねじまき鳥の火曜日の女たち』(1986)が、おおよそ々形で使われているようです。
例によって、村上の作品に登場する人物は、ちょっと変わっています。主人公の「僕」の岡田亨(おかだ・とおる)は、村上自身の分身であるような印象です。僕は現在仕事を離れ、自宅で、自由な時間を過ごしています。
「僕」には妻の久美子がおり、妻が勤めに出ている日中は、独身生活のようなもので、行方不明になったままの愛猫を捜すため、自宅周辺の、使われていない路地を”探検”したりします。
村上の作品は、書き始める前に粗筋のようなものは考えない(?)のか、それぞれの章で登場する人物は、章の中だけに存在し、他の章に登場する人物とは関わりを持たなかったりすることがよくある印象です。
これまで村上の作品はそれなりに読んできたため、村上の作品の描き方がなんとなくわかっており、今回は「耳での読書」ですが、「いつもの村上節か」と聴いていました。
「ん? これはいつもとは違うかも?」と思い出したのは、作品の後半で、間宮徳太郎という年配の男が登場してきてからです。間宮から「僕」に手紙が届きます。その手紙には、それ以前に「僕」が付き合いがあった本田という老人が亡くなり、本田から「僕」に形見分けを預かっているので、それを届けたいと書かれていました。
意味が呑み込めまま、好意を受けることを決め、「僕」の家に、妻が仕事で出ている日中、間宮が訪問します。
「僕」の前に座った間宮が、本田をどうして知っているか尋ね、彼らが若かった頃の話が始まります。間宮の話は長く、どこまでいっても話は終わりません。それを全部ここに書いてしまったら、村上の作品の粗筋を書いてしまうことになりますので、書くわけにはいきません。
それでも簡単に書いておきます。
これも読みましたが、村上が世界の辺境を旅して書いた随筆集に『辺境・近境』(1998)があります。その中で、個人的にも最も印象に残ったのが、ノモンハン事件(1939)が起きた中国とモンゴルの国境地帯のルポです。
そこは、地の果てといったイメージで、そこへ行った人でなければ味わえないものがあるのだろう、と私は活字だけで味わいました。
その事件が起きる少し前、そのあたりを、間宮は本田らと4人で彷徨ったことがあったのです。当時、間宮は大学を出たばかりでしたが、召集令状を受けたのち、満州へ送られていました。
間宮は大学で地理を学んでいましたが、その知識を活かせると上層部が考えたのか、詳細は教えられないまま、ある任務を命じられます。
一緒に行動するのは、リーダー格の山本と中尉格の間宮、部下に浜野軍曹、そして、伍長だった本田です。山本は民間人とされていましたが、身のこなしから、間宮はすぐに彼が、職業軍人であること見抜きます。
山本は極秘の文書類を持っており、それを、モンゴル平原を超えた先のある場所へ届ける任務を授かっていたのでしょう。山本はそのために、それぞれに能力を持つ3人を引き連れ、命がけの挑戦をしようというわけです。
私は世界の歴史もよく知りません。
モンゴルと聞きますと、今は、大相撲で活躍するモンゴル出身の力士らしか思い浮かびません。
昔、モンゴルに侵略されたソ連では、モンゴルの兵隊によって、300万人(人数が正しいかは自信がないですが)ものソ連人が無残に殺された、というようなことが書かれています。今回は活字を朗読する声を耳から聴いたわけですが、想像するだに恐ろしいことです。
しかも、モンゴル人は、残忍な殺し方に楽しみを持つといいます。
欧米人であれば、一発の弾丸で殺すところ、モンゴル人は、長い時間をかけ、苦しみを十分味合わせた上、じわじわと殺していくといいます。
殺人集団には、それぞれに”得意技”を持っており、ある者は、人間の皮を剥ぐのを得意とします。その人は、桃の薄皮を剥くように、生きた人間の皮膚を、つるりと綺麗に剥くことができるのです。
生きた人間の皮膚を剥ぐところを、間近で見せられたらどうでしょう。目を閉じることは許されず、閉じればすぐに頭を小突かれます。それが続けば、拳銃でぶち抜かれかねません。
モンゴル人に捕まった間宮は、裸にされて縛られ、間近でそれを見ることを強要されたのです。皮膚をペロンと剥がれた人間は、真っ赤な血の塊となり、顔に残った白い眼球だけが目立っていました。
そのあと、間宮は、拳銃で撃たれて死ぬか、それとも、脱出不可能な古井戸跡の深い穴に落ち、ゆっくり死ぬか、どちらかを選ばされます。間宮は、地の果てとした思えないモンゴル平原にぽっかりと開いた深い、深い、穴に入ることを選びます。
村上は、何らかの資料を基に、想像力を働かせて『ねじまき鳥クロニクル』後半の話を書いたのでしょう。
この作品を『新潮』に連載したあと、自分が作品に描いたモンゴル平原を自分の目で見たくなり、そこを訪れ、随筆集『辺境・近境』に残したことになります。
村上関連としては、『村上春樹とジャズ』というのを聴きました。
ほかは、2カ月の間に聴けるかどうかわかりませんが、次のようなAudibleになった作品を選び、順番に聴こうと思っています。
- 『恐怖』(谷崎潤一郎の短編。これは活字で読んだことがあることを、聴き始めて気がつきました。おそらくは谷崎自身のことを書いたもので、乗り物に乗ると起こるパニック障害のようなことを書いています)
- 岡本綺堂の『半七捕物帳』全集1~4
- 十代目金原亭馬生の落語『目黒のさんま / 明鳥 明鳥』(1979年2月16日 紀伊国屋ホール)
- 谷崎潤一郎『痴人の愛』『陰翳礼賛』
- 芥川龍之介名作選
- 江戸川乱歩全集シリーズ(全3巻)
- 『本陣殺人事件』横溝正史
- 阿刀田高『三角の野望』『いびつな贈り物』『銀座の恋の物語 / 干魚と漏電』