本コーナーで少し前、横尾忠則(1936~)らの例を出し、人生相談を取り上げたことがあります。
私は人生相談に強い興味を持つわけではありません。それでも、そこに書かれたことを読むことで、世の中にはいろいろな人がいることを知ることができ、それはそれで興味深いです。
コーナーに相談を寄せる人も人それぞれで、さまざまなことに悩んでいます。そして、相談に答える人の回答を読むと、その人の人間性が現れていて、おもしろいと思うことがあります。
朝日新聞土曜版に「悩みのるつぼ」という人生相談があることは以前の本コーナーで書きました。その本日分には「夫が息子に学歴マウント」をとっていることに悩む妻からの相談が取り上げられています。
書き出しには次のようにあります。
主人が早稲田大学を卒業しています。
相談者の夫は、自分が早大出身であることを誇りのように感じているのかもしれません。各人が何に誇りを持っても構いません。
質問者夫婦には大学受験を目標とする高校3年の息子がいます。質問者の母親曰く、息子は「(自称)進学校に通い、頑張って勉強してはいるものの、地頭が良いわけではなく、要領も良くない」と書いています。
質問者の母親は、理系の大学を目指す息子に、精一杯頑張って勉強し、自分が望む分野の勉強ができる大学に入って欲しいと考えています。
彼女の夫は、次のような考えを妻にいい、おそらくは息子にも同じことを直接いっているのでしょう。
聞いたこともない大学は、そもそも行く価値がないし、就職の時、学歴差別があるのが、あいつ(息子)にはわかっていない。
息子は父に評価されていないと考えるからか、父とあまり口をきかなくなったそうです。
また、母である相談者にも、息子を甘やかすから勉強もせず、努力しなくなったというようなことをいうそうで、情けない気持ちだと書いています。
相談者の夫婦に息子が生まれたときは、健康で生きてくれていればそれだけで幸せだと思ったのではないでしょうか。それがいつからか、父親は学歴偏重で息子を見るようになってしまったというようなことのようです。
人生相談というのは、質問者の視点しかなく、質問者の夫がどのように考えているかは、想像するしかありません。口では息子や妻にきついことをいっても、心の中には別の考えがあるのかもしれません。
私が今回の相談と回答を読んでおもしろいと思ったのは、回答者がご自分の考えや気持ちをストレートに出していることです。今回の回答者は、タレントの野沢直子(1963~)です。
野沢は冒頭に次のように書いています。
ご主人がおっしゃっていること、正直時代遅れだと思ったのは私だけでしょうか。
野沢曰く、今は、名の通った大学の出身者であっても、その人が真の意味の頭脳明晰な人でなければ、企業に入っても即戦力にはなれず、リストラの対象になってしまうそうです。
私は就職した経験がなく、また、私が就職したとしても昔のことですから、今の企業に入った人が、どのようなことで評価されるのか、評価されないのか、わかりません。
そしてまた、相談者の夫が、自分の出身大学を鼻にかけていることについては次のように野沢は答えています。
自分の息子に大学でマウントをとるなど親としては言語道断だと思いました。
ストレートですね。私は野沢のストレートな感想は嫌いではないです。
日本以外の国で、大学を出て何十年経っても、自分が出た大学がそれなりに世間で知られていれば、それを自慢するようなことがあるのでしょうか?
その場合は大学名が重要視され、その大学で自分がどんなことを学び、それが今の自分にどれほどためになっているかはあまり自慢しないことが多いように感じます。
これは大学のブランド志向ですね。
高校受験や大学受験の時期になると、どこの高校、大学に何人合格したというような実績を週刊誌が載せます。これもブランド志向を助長しています。それに煽られた受験生や親が、より良いブランドを持つ学校に入るために受験勉強することが日本では常態化しています。
それが長く続いているのは、新入社員を採用する企業の側も強いブランド志向があるからです。
野沢は頭脳明晰な人を、「その場に応じて的確な判断ができる人」「ゼロから何かを創り上げる能力がある人」としています。
新入社員を採る企業がブランド志向でいるのだとしたら、受験勉強に特化した優等生ばかり採る結果となり、その一方では、「聞いたこともない大学」出身者に本当に仕事ができる人や、発想力に富む人がいたとしても採用の対象にもしないなど、マイナスに働くことが多いといえそうです。
質問者の息子は、半分は恵まれているともいえます。両親が揃って、学歴マウントをとるようであったら、それ以外の考えや行動が否定されてしまうところでしたから。
一番望ましいのは、両親が揃って、学歴なんてどうでもいい。好きなことを好きなようにやればいい。一生遊んで暮らしてもいい。健康でいてくれたらと愛情を注いでくれることです。
相談者の女性も、そこまで寛容ではないでしょう。
野沢が今のような考えを持つようになったのは両親の影響があったといえそうです。
ネットの事典ウィキペディアで野沢について書いた記述に目を通すと、次のように書かれています。
幼少期は、事業を起こしても仕事が続かない自由人な父の行動に家族が付き合わされるという生活だった[16]。成績は良くなかったが、仕事で一発当てることに全エネルギーを注ぐ父と、明るく大らかな母から勉強について怒られたことはなかった[16]。
このような両親に育てられたからこそ、今回の質問にも、野沢は自分の考えをストレートに述べることができたのでしょう。
「自由人」の父と、明るく大らかな母。そのために、子供の頃の生活は貧しかったそうですが、心には緩やかな風が吹いていたのではないでしょうか?
私は、父が40、母が37のときの子供です。両親がある程度歳がいってから生まれたからか、子供のときに勉強しろといわれたことが一度もありませんでした。
私がもしも結婚して自分の子供がいたとしても、子供に勉強しろとはいわないと思います。反対に、私は妻や子供から評価を得られず、忸怩(じくじ)たる思いをしていたかもしれませんけれど。
そのように私が妻や子供を持っていたら、私について、人生相談で相談されてしまったかもしれません。「困った夫」「困った父」がいます、と。
そうなっても、私にできることは、笑って許してもらうことぐらいです。