桂文楽のプロフェッショナル魂

ここ最近、私はAmazonが提供するAudible(オーディブル)を使い、オーディオブックを耳で楽しむことを熱心にしています。

今月一日からその利用を始め、今月いっぱいは、月額1500円かかるところ、無料で利用できる権利を得たことによってです。

この話題について前回は、井上ひさし19342010)の講演会について書きました。

それを聴いたあと、私がどのようなものを聴いているか、聴いた順に簡単に書いておきます。

井上の講演を面白く聴けたため、次に松本清張19091992)の講演を聴きました。清張が1987年10月31日、高松市四国新聞社ホールで行った講演の模様を収めたものです。

その日は、「菊池寛生誕百周年記念講演会」で三人の講演者が公演をし、清張がしんがりを務めることを、講演の最初で述べています。

菊池寛を記念する講演のため、演題は「菊池寛の文学」でした。

〇が落ちてきた夢

夢は、よく見る人とまったく見ない人に分かれるのでしょうか。

小説家の村上春樹1949~)は、エッセイで自分について、夢をほとんど見ないと書きます。また、彼が一人称で書く作品の主人公も夢を見ない場合が多いです。

私はよく夢を見るたちにできているようです。

昨日の朝に目覚めたときにも直前まで夢を見ていました。朝といっても、私の場合は、普通の人と時間が3時間ほどズレた生活をするため、私がここでいう朝は午前3時頃にあたります。

私は昔から早寝早起きの生活をしています。今は、午前3時(実際のところは午前2時半)頃に起き、午後6時頃に寝る習慣です。

私が見た夢については本コーナーで、昨年12月はじめに書いたことがあります。

井上ひさしの講演をオーディオブックで堪能

5月に替わるタイミングで、AmazonのサービスであるAudible(オーディブル)を使い始めたことは本コーナーで書いたばかりです。

その投稿で、村上春樹1949~)のオーディオブックを最初に利用したように書きましたが、実はその前に、松本清張19091992)の作品を耳で楽しみました。

私が選んだのは『日本の黒い霧(上)』(1960)です。これはノンフィクションで、昔、清張の文学全集の一冊として読んでいます。

今年の3月中旬、NHKの「未解決事件」のシリーズで、戦後間もない昭和24年7月に起きた「下山事件」が取り上げられました。私はうっかりして、この放送があることに気づかず、見過ごしてしまいました。

【TBSスパークル】1949年7月5日 下山事件起こる(昭和24年)

NDフィルターの効果実感

思いつきでやったことが、ある気づきを得るきっかけになったりすることがあります。

昨日の関東南部の当地は、ハッキリとした曇りのち晴れの天気となりました。晴れてきたのは昼を過ぎた頃からです。夕方には気持ちよく晴れ、強い陽射しが照り付けました。

その夕方の時間、愛猫が庭にいたこともあり、カメラを持って外へ出て、猫や周りの木々や草花などを写真に収めることをしました。

写真は光がなければ写すことが難しいです。ただ、その光が強すぎると、これはこれで写すのが難しくなります。昨日の夕方の光がそんな状態でした。

オーディオブックにはエッセイが好相性

切りのいい今月一日から、Amazonのあるサービスの利用を始めました。それはAudible(オーディブル)というものです。

知っている人や利用している人には説明の必要がないでしょう。

これは、文字で書かれた本を、プロが朗読したオーディオブックで楽しめるサービスです。出版されたすべての本がオーディオブックになっているわけではありませんが、自分が読みたい本がオーディオブックになっていれば、自分の眼で活字を追わずに、作品世界を愉しむことができます。

先月の終わり頃、本サービスを愉しむには月額1500円かかるところ、2カ月無料で利用できる旨の連絡がメールで入りました。

おそらくは本サービスが始まった頃だったと思いますが、利用したことがあり、その後も何度か、無料で聴けるタイミングに利用しています。

はじめに利用した時は、小説家や文化人の講演会を収録した音声ファイルを続けて楽しみました。

今回これを利用しようと思ったのは、小説家の村上春樹1949~)の長編小説を先月までに、最新作以外を読み終えたものの、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』1985)だけは、上下巻の上巻の途中まで読んで、中断した状態にあったことです。

コロナ後遺症とは聞いて呆れる

マスメディアで働く人間には良心の呵責というのは生じないものでしょうか?

昨日の産経新聞に「コロナ後遺症 奪われた夢」と題する記事が載りました。昨日5月9日は、新コロウイルスの分類がそれまでの1.5類から5類に引き下げられてちょうど一年ということから、本記事が社会面に大きく扱われています。

記事には、ベッドで寝たきり状態にあるという20代の女性の写真が添えられています。

この女性は、演歌歌手の相澤めぐみです。

記事によると、2022年2月に新コロウイルスに「感染」したとのことです。「感染」後の初期は、微熱で症状も比較的軽かったそうです。

その後、3週間過ぎても症状の改善がなく、次第に強い倦怠感に襲われるようになります。

3月にコロナ後遺症の専門外来へ行き、「筋痛性脳脊髄炎・慢性疲労症候群(ME・CFS)」と診断されます。

東京で独り暮らしをしていた相澤さんは、神戸市の実家に戻ります。その後、症状が急激に悪化し、水を飲んでも胃腸障害を起こし、寝たきりの状態へとなります。

10月には病院へ緊急搬送されて入院することになり、症状が悪化します。また、体が動かなくなることへの恐怖とパニックで、うつ病の診断もされます。

免疫システムも神話のひとつ

1980年代、世界中の人々はある「感染症」を非常に恐れました。「後天性免疫不全症候群(エイズ)」です。現代、この「感染症」を恐れる人がいるという話は聞きません。

有効な治療法が見つかったからだろうという人がいるかもしれません。それは関係ありません。基からそんな「感染症」はこの世に存在しないからです。

この3年間ほど世界を混乱させた新コロ騒動と同じで、エイズ騒動にも種と仕掛けがありました。

その種と仕掛けについて語る動画をネットの動画共有サイト「ニコニコ動画」で見つけ、本サイトで紹介しました。下に埋め込んだ動画のはじめのほうでそれが語られています。

動画に登場されているのは、デビッド・パーカ―氏という男性とドーン・レスタ―氏という女性です。動画内の説明によると、ふたりとも医学とは無縁で、パーカー氏は元電気エンジニア、レスター氏は元会計士だそうです。

ふたりは20年ほど前から、ふたりが共通して興味を持ったことを調査し、本にまとめることをしているそうです。

等身大の大人を感じさせる清張作品

海外で、日本のように、純文学とそれ以外の大衆小説とに分けられているか知りません。

日本ではそれが分けられ、それぞれを書く小説家自身も、自分は純文学の作家だ、自分は大衆に向けた小説を書く作家だと考えているふしがあります。

また、それぞれを読む読者も、そのような気持ちで作品に接しているのではないでしょうか。

このように分けられた場合、大衆小説よりも純文学のほうが「高尚」に考えられています。しかし、個々の作品を比較すれば、必ずしもそうでないことが少なくないのではありませんか?

私は電子書籍版でだけ本を読むようになりました。私が使う電子書籍端末にある本は読んでしまったので、新たな一冊を入手しました。読みたい本が決まっていないときは、読み慣れた松本清張19091992)の作品で、まだ読んでいない本を探し、それを読むことが多いです。

表題作を含む短編集『共犯者』を見つけ、それに決めて読み始めたところです。全部で十の短編小説が収録されており、その中には、別の短編集で読んだ作品もあります。

その三番目の『愛と空白の共謀』を読み終えたあとに本コーナーの更新を始めました。

2番線がない鉄道の駅

私は今からちょうど20年前の2004年、生まれて初めて病院に入院しました。

そのときの入院のことは本コーナーで過去に書いたことがあります。私の入院理由は病気ではなく、怪我でした。

その年の8月末、最寄駅から自宅へ自転車で走りました。途中に急坂があり、それを下っている途中で転倒し、頭部を強打したことで急性硬膜下血腫を起こし、病院へ緊急搬送されたようです。

私はその事故で意識を失い、頭部を開いて手術を受けたことを、意識が戻った一週間か十日ほどあとに知りました。

こんな風に、私も病院に入院したことがありますが、そのとき、自分が入院した病院に「4階」があるのかどうか意識をせず、それだから、改めて確認することをしませんでした。

村上作品の免色に個人的にだぶる人

村上春樹1949~)の長編小説『騎士団長殺し』2017)については、読み終わったあとに本コーナーで取り上げました。

この作品には主人公の「私」に接近する免色渉(めんしき・わたる)という謎めいた男が登場します。

免色は、「私」が仮住まいする家の、谷を挟んだ向かい側にある大きな家にひとりで住んでいる設定です。

この男の外見で特徴的なのは、髪が、いつ見ても櫛目がとおった真っ白であることです。この髪だけで、その男が謎めいたものを感じさせます。

もっともこれは小説で描かれているからで、現実の世界にも白髪の男性はいます。それらの人が謎めいていることはありません。

小説は、映像作品と違い、読み手が自分の頭の中で、自分だけの映像にすることができます。

私は『騎士団長殺し』に出てくる免色に、あるときから、実在する人物の姿を重ねることをしました。