2001/04/08 岸田劉生の『麗子像』

年度替わりで、私がよく見聴きしているテレビやラジオ(AM・FM)でも、出演者が新しい人に交代ということも珍しくありません。

今日、新年度になって初めての放送となった「新日曜美術館」(日曜美術館)の司会も、この4月からアシスタントの女性が、前年度までの写真家・織作峰子さん(1960~)から、新しい人へと替わりました。

中村幸代さん(1967~)という素敵な女性です。

確か、作曲家と紹介されていたように記憶していますが、確信を持てません。あとで確認して、間違っていましたら訂正しておきますね(作曲家で間違いありませんでした)。男性の司会者はこれまで通り石澤典夫アナウンサー(1952~)です。

新年度最初の番組で取り上げたのは、岸田劉生18911929)です。

2014/11/10 自称「精神医学界の沢尻エリカ」登場

今はもう晩秋といったところでしょうか。秋にはいろいろな「○○の秋」がありますが、「読書の秋」というのもあります。

夜、布団の中に入って本を読むのは、味わいがあってなかなかいいものです。ただ、読むことで、せっかくの愉しみの時間を台無しにしてしまう本もあります。

私がつい先日読んだ本もそんな本でした。まだ出たばかりの新書で、おもしろそうだと思って買い求めました。それが、読んでみたらつまらなく感じ、買い求めたことを後悔しました。

それでも、一応最後まで読みましたけれど。どなたがお書きになった本かは、その著者の今後の活動に差し障りがあるといけませんので、ここでは伏せておきます。

同じ本を読んでおもしろく感じたり、有益だと感じる人もいるでしょう。同じものから受ける感じ方が人によって異なるのは、それぞれの人が持つ価値見が異なるからだろうと思います。

その「価値観」につながるような話をこれからするつもりで書き始めました。

2014/09/01 鶴瓶さん似の鎌田實さんの「にのせん」話(動画付き)

出だしからいきなりですけれども、「にのせん」という言葉をご存じでしょうか?

ある番組の終わりの場面でその言葉が飛び出し、私ははじめ「イノセント=無垢(むく)な」といったのかと思いました。テレビの放送をオンタイム(←「放送されている時間」ぐらいの意味で遣っています)で見ていたら、そのまま「イノセント」として記憶していたでしょう。

私は気になった番組は録画をして見る習慣がありまして、その番組も録画しつつ、オンタイムでも見ていました。それで、気になった部分をあとで見て、「イノセント」ではなかったことに気がつきました。

その場面を動画にしてみましたので、よかったらそれをご覧になって、何といっているのか確認してみてください。

2014/09/06 タモリの凄さがわかる「久米書店」の「タモリ論」(その2)

本日は、前回の続きで、小説家・樋口毅宏1971~)が書かれた『タモリ論』と、それを番組1回目の放送で取り上げたBS日テレで日曜午後6時台に放送中の「久米書店 ヨク分かる!話題の一冊」について書いていきます。

本場組は、久米宏1944~)を店主、檀蜜1980~)を店員に設定し、架空の書店に話題の新書の作者を招き、そこに書かれていることをもとに、話をふくらませていこうという番組です。

その記念すべき第一回目の放送に登場したのが樋口の『タモリ論』であったということは、前回分に書きました。また、なぜ今頃になってその放送に注目することになったのかについても昨日分に書きました。そんなわけで、その辺りの説明を省かせてもらい、続きの話に入ります。

話題の主のタモリといえば、今年の3月で終了した「森田一義アワー 笑っていいとも!」について書かないわけにはいきません。

2014/09/05 「タモリ論」を取り上げた「久米書店」第1回の話(その1)

本コーナーの今月1日分に、BS日テレで毎週日曜日の6時台に放送されている「久米書店 ヨク分かる!話題の一冊」について書きました。

その中で、撮影に使われている機材が個人的には気になるというようなことを書きました。

私の推測では、テレビの番組の収録で通常使用するようなビデオカメラではなく、もしかしたらデジタル一眼カメラ(デジ一)に搭載されている動画撮影機能で撮影しているのでないか? です。この番組を初回からよく観察していれば、デジ一の動画撮影機能で撮影されていることに気がつく人もいたでしょう。

私はその(おそらく)事実に、昨日の番組を見て初めて気がつきました。なぜなら、窓越しに撮影されたショットに、撮影中と思われるデジ一が写っていたからです。

2001/03/30 とても変わった人

A MOST PECULIAR MAN とても変わった人

彼はとても変わった人だった

リアドンおばさんが言っていた

おばさんはとても良く知っていた

彼女は彼の真上に住んでいた

とっても変わった人だと言っていた

彼はとっても変わった人だった

いつもたった一人で住んでいた

部屋に一人でこもって

自分自身の中に閉じこもって

とっても風変わりな男だった

2001/01/03 たかが紅白、されど紅白

昨年暮れ、2000年大晦日の「NHK紅白歌合戦」視聴率ですが、その結果は、予想を下回った数字であったそうです。

何でも、第2部での視聴率(関東地区)が50%を超えなかったのだとか。もっとも、それでもまだ、国民の半数近い人がその時間同時にチャンネルを合わせている計算になるわけで、「腐っても鯛」とでもいいましょうか、「化け物番組」であり続けていることに変わりはありませんね。

私とはいえば、お約束通り見ませんでした。が、実は、2回ほどですが、チャンネルを瞬間的に合わせたりしたのでした。

1回目は、さだまさし1952~)が「無縁坂」1975)を熱唱しているシーンです。

2002/12/29 今年も「紅白」嫌い

個人的に嫌いなものを今更「嫌い」と書いてみたところでそれ以上の話の進展はなさそうなので、今年は完全無視を決め込もうと思っていました。

が、本日の朝日新聞に元NHKの看板ディレクター和田勉氏(19302011)とフジテレビのこちらも看板プロデューサーだった横澤彪氏(19372011)おふたりによる対談が載っており、それに刺激されて少しばかり書いてみたい気になりました。

その話題とは_この年末になると毎年決まって人々の口に上る「NHK紅白歌合戦」です。

私はとにかくこの番組が嫌いで、一年でも早く消え去ってくれることを願っていますが、今年もしぶとく生き残り、代わり映えのしない内容で大晦日の夜を汚して、いや、ありがたく彩ってくれるようです。

私は元々この番組が嫌いですが、何が嫌いといって、NHKには一番似合いそうにもないバラエティー仕立てにしているところです。

あれは何年前でしたか、小林旭1938~)が紅白に出場された際にその点を批判し、「出来の悪い学芸会のようなパートに引っ張り出されるのは御免」というような発言をしていましたが、いい得て妙だと感じたことを思い出しました。

2004/01/09 「紅白」は百年後も不滅?

昨日の産経新聞と今日の朝日新聞には期せずして、「NHK紅白歌合戦」を取り上げた批評が掲載されています。

私自身は、いつも本コーナーでも書いているように、「反紅白」の立場を採っています。別に大した理由があるわけでもありません。バラエティ番組が不得意なNHKが無理して視聴者を喜ばしている感じがして、それがどうにも受け付けにくいのです。

その昔、午後9時に番組がスタートしていた時代、「紅白」はそれなりにオーソドックスな姿を保ち、視聴率も現在の5割増しぐらい稼いでいたと記憶しています。それが、いつの頃からか、放送時間が前倒しになり、それにつれて、過剰演出が加速していきました。

朝日の今日の批評によれば、今回の「紅白」には紅組・白組合わせて62組もの出演者があったそうです。いくらなんでもこれは多すぎではないでしょうか。いくら「紅白」好きの人間がいたとしても、これをはじめから終わりまでテレビの前で見ているとは到底思えません(実際にいたらごめんなさい)。

しかし、こうまでして盛り上げたはずの「紅白」が、何の演出もない裏番組に負けたそうです。それも、惨敗といってもいいほどの負けっぷりです。

2005/12/17 ゲテモノ紅白

今年も残すところ半月を切ったということで、今年もあの鬱陶しい話題が巷(ちまた:世間=広辞苑)を賑わせはじめました。そう。鬱陶しいといえば、 「NHK紅白歌合戦」を置いて他にありませんて。

で、今年はその鬱陶しさに拍車がかかり、ついにはゲテモノ扱いされるまでに落ちぶれました。

ですから、私は本サイトを始めた当初から本コーナーで書いていますでしょう。「もう紅白なんていらないのだよ」と。

また、私は以前の本コーナーで、NHKには民放のような騒々しい番組は必要ないとも書きました。

ところが当のNHKときたらどうでしょう。国民から準税金ともいえる受信料を「払え! 払わなけりゃ公開番組への立ち入りを拒否する」と脅し、そうしてかき集めた制作費で、望んでもいない宴会番組を作り上げてしまうのですから。

その最たるものが「紅白歌合戦」です。