本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新をしています。なお、トークは前日の夜に行っています。
本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。
なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ
トークを要約した書き起こし
今回も、本サイトの“天気コーナー”の更新を終えて一段落ついたところでトークを始めている。今日(21日)のところはトークをするつもりがなかったが、ふと思い立って始めてしまった。
実はトークを始める直前まで、衛星デジタル放送で、「キャノン・プラミアム・アーカイブス 写真家たちの日本紀行・未来に残したい情景」を見ていた。で、見ているうちに急にトークをしたい気分が起こり、そのまま始めてしまったというわけ。これぞ文字通りの「気まぐれトーク)」。途中になってしまった番組は録画してあるので)、続きはあとで見ることにする。
8月も下旬となり、夏の終わりが見えてきた。といいたいところだが、今年の夏は頑強。今日(21日)も東海から西では猛暑となった。そんな暑さの中、甲子園球場で夏の高校野球の決勝戦が行われた。
決勝に勝ち進んだのは沖縄の興南と神奈川の東海大相模。決勝戦にしては珍しく大差がつき、【13:1】で興南が深紅の優勝旗を手にした。ちなみに、春の選抜大会で優勝校に手渡されるのは「紫紺の優勝旗」、だったと思う。
この高校野球だが、昨日(20日)は私も観戦に行ってきた。といっても、全国大会ではない。行った先は地方球場。全国のほとんどの高校は、3年生が引退し、1、2年だけの新チームになっている。その新チームによる秋の大会が始まっているところがあり、その予選に行ってきたというわけ。
全国大会が多くの国民の注目を浴びて行われている一方、秋の地方大会はのんびりしたもの。私が見た試合では、審判員が揃わないのか、塁審2人は体育のジャージのようなものを着ていた。もしかしたら、高校生か見習い審判員だったかもしれない。全国大会は注目されすぎ。地方大会レベルの方が高校の野球部の試合としては、本来の姿であるように思われる。
大人の夏の飲み物といえばビールがある。私もたまに飲むが、私はアルコールに弱いという損なたちに生まれついたため、飲むより先にアルコールに飲まれてしまう。
そんな私でもじっくり楽しめそうなビール風味飲料のランキングが日経新聞の土曜版「NIKKEI プラス1」に載っている。題して「ビール通が選んだビール風味飲料」。
そもそも、この「ビール風味飲料」とは何ぞや? ということになるが、日経のランキングに添えられた説明では、「アルコール度数が1%未満で、酒税法上酒に分類されない清涼飲料水」のことらしい。かつては「ノンアルコールビール」といわれたものが、2003年からは「ビールテイスト飲料」などと表示するように改められたそうだ。
ちなみに、そこにあるランキングの1位はドイツの「レーベンブロイ・アルコールフリー」、2位はオランダの「バクラー」。そして3位に、日本の「サントリー・オールフリー」がランキング・インしている。
ちなみにサントリーの「オールフリー」というのは、アルコール度数のほかに、カロリーと糖質もゼロ。そうしたことで人気になっているのか、生産が追いつかず、9月上旬に販売を再開するまで、販売は止まっているそうだ。「在庫もゼロ」ということかな?
私はトークをしながら、サントリーの「オールフリー」以上にフリーな飲み物を飲んでいる。真水に氷を浮かべただけの飲み物。氷が解けてただの冷たい水になってしまった。
ここから先が本日分の本題と考えている話で、時間にして【11分】ころから始まる。
朝日新聞の求人欄に毎週1回載るコーナーに「あの人とこんな話」がある。その8月16日分から少し話してみることにする。
このコーナーでは、求人欄にあるコーナーということで、各界で活躍されている人に、仕事にまつわる話を伺い、それを紹介することで、今現在職を求めて活動中の人などに仕事に向かうときのヒントにしてもらう、といったような意図があるのだろう。
今回このコーナーに登場しているのは、ピアニストで作曲家でもある川上ミネ(1969~)。
プロのピアニストになるような人は、できるだけ早い時期から鍵盤に向かわなければならない。その人にどんなに才能が秘められていたとしても、成人してからピアノを始めたのではどうしようもない。ただ、幼い頃から始めるには、それなりの生活環境でなければならず、そうした環境に生まれたということがその人の一生を左右することになる。
川上さんは恵まれた環境に生まれたようで、3歳のときからピアノのを始めている。周囲からの圧力があったのかどうかは知らないが、順調にレベルアップし、ドイツへ渡り、ミュンヘン国立音楽大学(ミュンヘン音楽・演劇大学)のピアノ科の修士課程を修了している。
私自身は、音楽を聴くのは好きで、それでNHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」を聴いて、リクエストカードを30年近く出し続けているわけだが(本番組は8月9日から2週間夏休みだったが、23日からまた放送が再開される)、自分では楽器の演奏ができない。
それで、その分野のことはわからないが、専門の教育を終了すればすぐさまソリストになれる、というほど甘い世界ではないのだろう。
このことについては、本コーナーでも前に書いたことがあるが、ピアノならピアノの教育を受け、それに素直に従って研鑽を積んだ音楽学校の生徒は、その先にソリストになる夢を抱くのだろう。
その登竜門であるコンクールに出場することになるのだと思うが、そうしたコンクールで審査委員をする専門家から、日本の音楽教育を危惧する声が挙がっているそうだ。たしかに演奏レベルは向上しているが、一番大切であるはずの「なにか」が欠けているのではないか、と。
そうした「なにか」に川上さんは自ら気がついたのか、大学の修士課程を修了し、演奏活動をしていたある日、突然、何もかもが嫌になってしまったそうだ。その思いを語った部分を新聞記事からそのまま紹介させてもらう。
大好きなピアノに向かっているはずなのに、一音も間違えず楽譜どおりに弾かなくちゃいけない。なんて不自由なのと(笑)。そんな人生と決別したくて、スーツケース一つでスペインへ向かいました。
この話を読んで、私は今の日本の受験競争を重ね合わせた。答案を正解で埋め尽くすことを目指し、猛勉強をする受験生たち。私は端から「馬鹿げたこと」と考えていたので、そうした勉強はしたことがない。それを疑わずに合格するためだけに勉強をする人は、一音の間違いも許されない演奏を目指して練習をするピアニストの卵と共通するものがあるように思う。
自分がしていることに疑いを持たないうちはいいが、一旦疑ったら、あっという間に崩れてしまうような価値見の上に自分が立っていることに気がつける人は気がつくだろう。
ピアノ演奏で思い出したのは、この8月から放送が始まったテレビのピアノ・レッスンに「仲道郁代のピアノ初心者にも弾けるショパン」(NHK教育/毎週水曜日22:00~22:25 全12回)がある。
講師はピアニストの仲道郁代(1963~)で、これまでピアノをまったく弾いたことがなかった人でも、「ピアノの詩人」といわれ、今年がちょうど生誕200年目にあたるショパン(1810~1849)のピアノ曲をショパンのように奏でることができるにレッスンしてくれる番組。
生徒は俳優の長谷川初範(1955~)。この「初範」というお名前は「しょぱん」と読むこともでき、そんな縁からか、長谷川さんはショパンのピアノ曲には親しみを持っていたそうだ。
で、長谷川さんといえば思い出すのが、武田鉄矢(1949~)と浅野温子(1961~)が共演してヒットしたドラマ『101回目のプロポーズ』(1991)。
今からもう20年ほど前に放送されているが、このドラマに長谷川は二枚目の役で出演されていたことを思い出した。不思議なことに、20年経ってもあまり変わっていないように見えた。
途中でもいっているように、私はピアノ曲もよく聴くが、何気なく聴いているピアノ曲をいざ自分の両手で弾くこなすとなったら大変であることが、今回のレッスンを見始めて痛いほどわかった。
レッスンの初段階に選ばれたのは、『雨だれ(の前奏曲)』といわれて親しまれている『前奏曲』の第15番変ニ長調。
初めてピアノに挑戦する長谷川初範に合わせ、はじめは主旋律を奏でる右手一本だけのレッスンで始まった。そして、片手だけの演奏に慣れ始めたところで、左手がそれに加わる。当たり前のようにピアニストは両手、そして足でペダルを踏むこともしているが、まったくの初心者がそれを同時にこなすのは非常に難しい。
『雨だれ』もただぼんやりと聴いている分には簡単そうに聞こえるが、左手で雨だれを思わせるリズムを刻み、右手でメロディを歌い上げる。経験のない人は、どちらかに注意が集中すると、反対の手の動きがおろそかになってしまう。
私は自分の両手で「ひとりじゃんけん」をすることは会得したが、ピアノの鍵盤の上で、それぞれの手に意味を持たせて操ることは容易くは実現できそうに思えない。
試しに両手を膝の上に載せ、左手はパンパンと伴奏を取り、右手が左手に惑わされずに別のテンポを刻むのは難しい。それをいとも簡単にやってのけるからこそプロのピアニストなのだろう。
先ほどまでの話に戻せば、ピアニストを目指し、一音の間違いもなく弾けるのは当たり前で、その一音一音に意味を持たせるような演奏ができるよう、毎日10時間以上鍵盤に向かっていた川上ミネは、自分がしていることにある日突然疑問を抱き、その場から逃げ出すようにドイツからスペインへ向かってしまった。スーツケースひとつ持って。
おそらくは、これといったあてもなくスペインへ渡ったのだと思うが、着いてすぐ、悪者にナイフを突きつけられ、パスポートや財布、荷物をすべて奪われてしまったそうだ。その時に、逃げていく悪者に向かって、ひとつだけ知っていたスペイン語で「少々お待ちください!」と叫んでいる自分がいたそうだ。
その荷物が自分の手に戻ったのかどうかはわからないが、大勢の人がいる前で自分の感情を露わにしたことで、それまで自分が抑えに抑えていた感情が解放されたのだろう。
3歳からピアノを習い、その道から逸れることなく生きてきた自分の人生は、与えられた道を歩かされていたのであり、叫んだ瞬間に自分の足で自分の人生に初めて立ったことを実感したのだろう。そのときの感覚を、川上は「何もない、生まれたてみたいな気持ち」と表現している。
そのあと、川上はスペインで暮らすことになる。
スペインといえばフラメンコ。それまで習ったクラシック音楽とは違う音楽に触れるようになり、そのときになってもしかしたら音楽が持つ意味を考え始めた、かもしれない。
川上はスペインの街で、チューチョ・バルデース(1941~)というジャズ・ピアニストの演奏を聴く機会を得る。彼はキューバ出身のジャズメンだった。彼はピアノの演奏をする上で最も大切なものが何であるか知っていた。
音楽学校でずっとその「何か」が自分に欠けていることを感じていた川上は彼が奏でるピアノの演奏に魅了される。彼は、演奏を聴いてくれる見客と「対話」をするかのように魂を込めて演奏していた。
そのあと、川上は彼が生まれた国・キューバへためらうことなく渡ったそうだが、キューバで演奏したときのことを次のように語っている。
演奏の舞台に立つとピアノの鍵盤が欠けていたりする。だから音の出る鍵盤だけで弾くために、即興で曲を作りました。お客さんはそれをすごく真剣に聴いてくれるのですね。もうゾクゾクしました。楽しくて。
音楽大学を出たあと道を逸れることがなかったら、信じられない演奏環境でしょう。一音も間違わずに演奏をすることしか知らない演奏家が、鍵盤の欠けた楽器に向かうことなど考えられないでしょうから。
しかし、そうした環境でしか味わえない楽しさがあることを、「正式な道」しか歩いたことのない人は、一生知らずに人生を終えるしかない。どちらが楽しい一生かは、その人の考え方次第だ。