2010/05/10 岡村隆史はハガキ職人との付き合い方も真摯

本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新をしています。なお、トークは8日土曜日の夜に行っていますが、それを文字にして更新する作業は、9日と10日の2日間かかっています。その理由につきましては、書き起こしの文章で確認なさってください。

本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。

なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ

インディの鞭の気まぐれトーク-2010.5.8

トークを要約した書き起こし

今回も夜にトークを始めている。今年のゴールデンウィーク(GW)も終わったが、その連休が始まる直前まで、関東など広い地域は季節はずれの寒さとなっていた。それが、連休に合わせてくれたかのように、連休期間中は連日晴れて気温が上がった。

これほど天気に恵まれたGWは珍しいらしく、ある新聞にあった記事によれば、昭和60(1985)年以来との話だ。本コーナーで前回に更新した中に登場するモデルで女優のマイコさん(1985~)が生まれたのがこの年で、25年ぶりということになるようだ。

今回は気分が良くなってトークを始めてしまっている。私がいい気分になったのは、今日(8日)も天気がよかったから、ではなくて、待たされていたデジタル一眼カメラ(デジ一)がようやく届いたとの知らせが入ったから。

私は先月の後半に中古のデジ一を1台注文した。が、一部補強する必要があったため、すぐに受け取ることができなかった。しかも、困ったことにGW期間中はその部門も休みに入ってしまったようだ。それで届くまで長く待たされた。本当なら25年ぶりの好天に恵まれたGWに、そのデジ一で試し撮りしてみたかったのだが…。そんなこともあって、連日の晴天が逆に恨めしかったりして。

ここからが今回の本題。朝日新聞の土曜版「be on Saturday」で連載されているコーナー「逆風満帆」で取り上げられた人物について語っている。

なお、このコーナー名だが、私は「ぎゃくふう・まんぽ」などと完全に読み間違えてしまった。文字であれば、知らん顔して直すことができるが、リアルタイムに声で録音しているため、あとで直すことができない。

いうまでもなく、正しくは「ぎゃくふう・まんぱん」。 「順風満帆(じゅんぷうまんぱん:追い風を帆にいっぱいにはらむこと。物事が順調にはこぶさま=広辞苑)」にかけたコーナー・タイトルで、逆風に耐えて生き抜いた人生を象徴していたことにトークのあとに気づいた私。

このコーナーでは、毎回、ひとりの有名人にスポット・ライトを当て、その人がこれまでに生きてきた人生の道のりや考え方が3回程度のミニ連載で紹介される。今回スポット・ライトを当てられたのは、お笑い芸人の「おかもと・たかし」さん。

私は民放のバラエティ番組は昔からほとんど見ることがないが、なぜか、例外的にこの「おかもと」さんは好きで、昔は土曜日の夜に放送されている番組を見ていた、というような話で、その正確な番組名を確認しておこうと、ネットで「おかもと・たかし」と引いてみた。が、有名人であればほぼ例外なく載っているところ、なぜか、「おかもと・たかし」は載っていない。

ヘンだと思い、「岡本…岡本…」といいながらネットで検索を続けたが、途中で載っていないのが当たり前であったことに気づく。「おかもと・たかし」ではなく、「おかむら・たかし」さんだった。「岡村隆史」1970~)の名で、ウィキペディアにもしっかり載っていた。

また、昔に見ていた岡村さんがメインで出演するバラエティ番組の正確な名前が「めちゃ×2イケてるッ!」であったことも確認できた。「ブンブンブブブン♪」とかいう掛け声のあとに七人でしりとりをする「しりとり侍」(七人のしりとり侍)も憶えていたりする。

この朝日新聞の土曜版で岡村さんを取り上げた回は、岡村さんの周辺にいる、あるいはかつていた人に取材し、本人には取材しなかったのではないか、というようなことを話しているが、3回目には本人の近影(きんえい:最近写したその人の写真=広辞苑)が載っていることもあり、おそらくは本人への取材もあったのだろうとトークのあとに考え直した。

3週連続で連載された3回目の見出しは「ハガキ職人と結ぶきずな」。この見出しにひかれる形でトークをしている。

この「ハガキ職人」といういい方だが、私は正確な意味を知らないまま、自分が持つイメージで話している。トークのあとにウィキペディアで引くと、そこには音楽番組のヘビー・リスナーにはこうしたいい方は当てはまらないというような記述がある。ほかのリスナーの笑いを取るようなことをハガキに書いて番組へせっせと送る人、といったようなところか。

私自身のことでいえば、本サイトで自分が書いたりしゃべったりすることもそうだが、それがリクエスト番組宛てであっても、読んだ人がクスッと笑ってくれるようなことを書いたりするのが好きで、広義の意味では私もその職人さんのひとりになる、かもしれない。

私はこの数カ月、番組宛てのリクエストを停止し、引きこもっている。その理由については先月の本コーナーで書いた通り。

とかく職人というのは気むずかしくできているもので、気分を害してまで仕事はしたくない。気の向くままに自由に生きて、仕事をする気になったらするだけの話。私もそのうち、何事もなかったように「職人活動」を復活させるだろうと思うが、「そのうち」がいつになるかは自分でもわからない。

昔から続く若者向けのラジオの深夜放送のひとつに「オールナイトニッポン」がある。

この番組は2010年時点で40年以上続いているそうだが、岡村さんが「ナインティナインのオールナイトニッポン」のパーソナリティとして初めて放送したのは1994年4月4日。以来ずっと続け、今春は17年目に入った。同番組の歴代パーソナリティとしては最長の記録を更新続けていることになる。番組を聴く層は一番若い年齢で中学生ぐらいだろうか。ということは、始まった頃に聴いていた人たちは今、30代に突入していることになる。

番組はこだわりの強い岡村さんのポリシーが貫かれ、番組にハガキを送ってくるハガキ職人には、黒ペンでネタを書くように決めているそうだ。その決まりを守ったハガキが毎週番組宛てに大量に届き、多いときは一千枚を超すとある。それだけ多くの支持を集める番組ということになり、このハガキ職人からその後各方面で活躍する人が出ているそうだ。

同じような話でいえば、その昔に『漫画少年』という漫画の月刊誌があり、その中の読者投稿欄に全国の漫画家に憧れる少年たちが投稿し、その常連投稿者からはその後に各界で活躍する人が多数生まれている。

私が岡村さんに妙にひかれる理由のひとつは、テレビの画面に映る彼と素の彼には大きなギャップがあるだろうと思うこと。実際にそうで、今回、朝日の土曜版で描かれた彼の人物像も、私が想像する通りの人だった。画面の中ではハジけていても、素に戻ると、普通の人以上に普通であるようだ。同じ感覚は、植木等さん(1927200)も持っていた。

岡村さんが長年パーソナリティを務める「オールナイトニッポン」宛てに毎週届く大量のハガキはどのように扱われるのか?

メジャーの芸人となった岡村さんなので、番組で採用するハガキの選定はスタッフに任せている、のかと思いきや、岡村さんが一枚一枚のハガキすべてに目を通し、番組で採用するハガキを選んでいるとある。このあたりの生真面目さが私は好きである。

岡村さんが主演した映画『でぃだかんかん 海とサンゴと小さな奇跡』が現在公開中だと思うが、今年の3月、その映画のプロモーションのために沖縄へ行ったとき、現地の居酒屋から番組を放送したそうだ。そのときも、疲れ切っているにも拘わらず、少しも手を抜かず、放送が始まる直前まで楽曲に合わせてハガキを読む練習を繰り返したそうだ。

映画『てぃだかんかん』予告編

そのときの放送は午前3時に終了したそうだが、場所が居酒屋なので、終わったあとにスタッフと酒を飲んで騒いだかと思いきや、ビールを一杯だけうまそうに飲み、「お疲れさまでした」と丁寧に頭を下げて彼だけ先に帰っていったそうだ。このあたりにも、岡村さんの性格が表れているように思った。

ここまでトークを聞いて確認し、内容を要約して書き起こす作業をしてきたが、一旦休んで出かけてこなければならない。

これから向かう先はカメラ店。トークをする気分にさせてくれたデジ一がカメラ店に届き、それを受け取りに行ってくるのだ。ということで、この続きは受け取ってきてからということにしよう。このページを更新している今日(9日)、関東南部はいい天気で自転車日和。

デジ一を受け取って戻ってきたので、すぐに続きの書き起こし作業を始めればいいものを、関心がデジ一にすっかり移ってしまい、「作業は翌日(10日)まで停止しよう」とおニューのデジ一にかかりきりとなってしまった。

そんなこんなで、8日の夜にトークを録音し、それを9日と10日の2日がかりで書き起こすという珍しい更新形態になってしまった。

岡村さんとハガキ職人の関係に話を戻すと、番組に届く大量のハガキ一枚一枚に忙しいはずの岡村さんはなぜ目を通し、また、番組で採用するハガキを読む練習を放送開始間際までしたりするのか?

岡村さんご自身は「(そうすることが)勉強になるから」と答えたらしいが、番組のディレクターは次のように答えている。

たとえ番組に採用されなくても、岡村さんが必ず読んでくれることを知っているから(ハガキ)職人たちは毎週ハガキを送ってくる。そういう人たちがいる限り、岡村さんも決して終わり(番組を降りること)を口にしない。

本日分もそろそろ締めくくりの段階に入ってきたが、それではなぜ、今や押しも押されもしない売れっ子のお笑い芸人である岡村さんは、そのように、ある意味ストイックなほどの姿勢を保てるのか? それを解く鍵は岡村さんが育った環境にある。

今回の朝日の特集記事にはお母さんの話が登場しないので、岡村さんのお母さんがどんな方なのかはわからないが、お父さんは厳格なサラリーマンだったそうだ。そのお父さんを中心に岡村家は回り、たとえば新年を迎えれば、家族がそれぞれの自転車にまでしめ縄を飾るような家庭だったそうだ。

元日は家族全員が新調した服を着て、近くの神社にお参りに行くのが習わしだったらしい。このように、どんなこともきっちりとしているため、息子の将来も小さい頃から考えていたのだろう。サラリーマンとして生きていくからには、できるだけ名の通った大学へ行くことを息子に望んだ。岡村さんも父の期待に応えて受験勉強し、関西の名門私立大学へ進んでいる。

お父さんは、その大学の卒業生の進路先を調べ、「国家公務員になるのがいい」と岡村さんにいい、その道に進むことを望んでいたのかもしれない。岡村さんの素顔を知ると、用意周到なお父さんのDNA(デオキシリボ核酸)がそのまま岡村さんにも引き継がれているといえるのかもしれないと思える。

【なるみ・岡村の過ぎるTV】岡村パパがお弁当作りにどハマり 自慢した過ぎる卵焼きを披露! ナイトinナイト

大学まではお父さんが望むような道を歩いていた岡村さんであったが、縁あってお笑いの道へ進んでしまった。はじめはそれを父親に隠していたが、いつしか知られるところとなり、お父さんは青天の霹靂(せいてんのへきれき:〔晴天ににわかに起こるかみなりの意〕突然に起こる変動、または急に生じた大事件=広辞苑)でビックリ仰天したようだが、そのときのお父さんの落胆はいかほどであったであろうか。

ある日の深夜に帰宅した岡村さんの枕元には、次のような父からの手紙があったそうだ。

びっくりしました。努力したと思います。おめでとう。ただ、あくまで本業は学生です。漫才は趣味程度に。

お父さんの願いとは裏腹に、岡村さんが高校の後輩の矢部浩之さん(1971~)とコンビを組むナインティナインの人気はうなぎ登り。やがて、全国放送の番組にも出演するようになり、それまで休学状態になっていた大学の籍も抜かざるを得なくなる。そのときにお父さんから大きな声でいわれたことが今でも岡村さんは忘れられないという。

(大学)中退(の学歴)でええねんな!(後悔しないんだろうな!?)

今も父親と完全に和解できたとはいえないようだが、それでも少しずつ岡村さんの生き方をお父さんは認めるようになってきているのか、たまに、大阪から東京の岡村さんのマンションにやって来るそうだ。

岡村さんはお父さんとふたりでスーパーに買い物に行き、缶ビールを飲みながら刺身を食べたりするするらしい。そんなとき、お父さんは岡村さんがテレビの中で繰り広げる“おふざけ”を、「あんなことしたらあかんぞ」とたしなめるそうだ。おそらくは、父の苦言を岡村さんは「うん。うん」と聞いていそうな気がする。

お父さんは、岡村さんが仕事でマンションを明けている間を利用し、岡村さんの愛車や靴をピカピカに磨き上げて大阪へ戻っていくそうだ。いい親子ではないか。

普通であれば、芸能界に入って人気者になれば、浮かれた気分になるだろう。しかし、厳格なお父さんのDNAを引く岡村さんには少しも浮かれたところがなかったようだ。

人気が出てきて東京に活動の場を移した頃、人気者になり始めていた岡村さんの回りにも大人たちが群がってきたそうだ。岡村さんはその状況に不信感を募らせ、努めて大人たちとの付き合いを避け、酒が飲めなかった岡村さんと矢部さんはふたりでカラオケに行って過ごしたりしたらしい。

芸能人は水商売。人気が落ちればすぐに仕事が来なくなる。いつの間にか消えていった芸能人も見てきた。岡村さんは自分で自分を戒め、芸人仲間との付き合いも極力避け、テレビ局で出る弁当を自宅に持ち帰って食べたりしたそうだ。

こうした岡村さんが持つ真面目さが、私がこの岡村隆史という人間に親近感を持つ要因となっているのかもしれない。私自身も真面目、というか、不器用な人間で、時流に乗って何かをするということもなく、そのときに自分ができることを淡々とするといった感じに生きていて、それが岡村さんの生き方とも似ているように思ったりもする。

リクエスト番組のヘビー・リスナーはハガキ職人とはいわないらしいが、私が平時午後6時から放送されているNHK FMのリクエスト番組「サンセットパーク」(この番組名に変わる前は「夕べのひととき」 東京発は「夕べの広場」)を聴き、そして番組宛てにリクエストするようになって今年で27年。その間に番組の担当者は何回も変わっているが、今の担当者も、今回のトークで取り上げた岡村さんのハガキ職人に対するような真摯(しんし:まじめでひたむきなさま=広辞苑)な態度であって欲しい、とかこつけて要望しておこう。

以上、都合3日がかりの更新になってしまったが、何とか間に合った。というのも、このページの更新を終える今日10日は、歯科治療の予約があるため、このあと自転車で行ってくることになる。今日の関東南部は、予想されていたよりも悪くなく、午前中の今、関東南部の当地は陽射しも感じられるなど、まずまずの天気になっている。特別暑いこともないので、自転車に乗っていても快適に感じられることだろう。

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