20年近く乗り続ける車

現代は製品の開発・販売サイクルが非常に速いです。私も趣味とするデジタルカメラはそれが顕著です。

私はフィルムの一眼レフカメラを使っていましたが、それが全盛の当時は、一眼レフカメラを一度購入したら、一生涯使うような感覚でした。

実際問題、私が購入したのはヤシカのコンタックスRTSおよびRTS IIですが、RTS IIは未だに手元にあります。

ヤシカ・コンタックスRTSⅡボディ

また、そのカメラの交換レンズは、ヤシカ・コンタックス(ヤシコン)ブランドのカーツ・ツァイスでしたが、そのときに購入したプラナー50ミリ F1.4は、マウントアダプタを介して、ソニーのミラーレス一眼カメラのα7 IIで使う現役レンズです。

ソニーα7 IIにヤシコン製カール・ツァイス50ミリ F1.4

カメラがデジタル技術で作られるようになって以降は、非常に短いサイクルで後継機が発売されるようになりました。

ネットの動画共有サイトのYouTubeには、カメラやレンズ、撮影機材をレビューするYouTuberが多くいます。彼らは次々に登場する機器を取り上げ、レビューすることに大忙しです。

私は、α7を使ったあとにα7 IIに移行し、一度、キヤノンEOS RPに移り、またα7 IIに戻るようなことをしています。後継機に乗り換えるようなことをすれば、より、技術の進歩を実感できるのでしょうが、資金的な問題もあり、私はα7 IIを使い続ける状態にあります。

そんな私が共感できるようなテレビ番組を昨日(19日)見ました。

毎週木曜日夜にBS朝日で放送される番組に「カーグラフィックTV」1984~)があります。ユーミンこと松任谷由実1954~)の夫でミュージシャンの松任谷正隆1951~)が長年MCをする番組です。

脱線しますが、ユーミンの生年は、本コーナーで連続して取り上げた村上春樹1949~)の長編小説『1Q84』の主人公、川奈天吾と青豆雅美が生まれた年と同じですね。

ヤナーチェク 「シンフォニエッタ」 ジョージ・セル Janáček “Sinfonietta”

私も過去に車の運転免許を持った期間もありましたが、途中で免許の更新を見送り、免許を失効しました。そんなわけで、車を自分で動かすことはできませんが、車そのものへの興味は持ち続けています。

そんなわけで、「カーグラフィックTV」は昔からよく見ています。数年前までは松任谷と共に田辺憲一氏(1946~)が出演していましたが、気がつくと、田辺氏が番組から消えていました。

この番組の放送が始まって今年で40年になることから、今年は「40周年アニバーサリー」を銘打って放送しています。番組のオープニング映像と音楽も今年にリニューアルされました。

その記念の年に、車を愛好する人をゲストに招く企画を設け、これまでに三人のゲストが登場しました。そして、この木曜日(18日)に四人目のゲストを迎えた回の放送がありました。

私は毎日午後6時ぐらいには眠る習慣のため、録画して、昨日の夕方に録画した番組を見ました。

今回のゲストは俳優の光石研1961~)です。

正直いいまして、私は光石のことはほとんど存じ上げません。彼が出演したドラマや映画は見たことがないと思います。MCの松任谷も、光石とは初対面だそうです。

映画『博多っ子純情』初DVD化予告篇 光石研デビュー作 監 督:曽根中生 DIGレーベル第一弾

松任谷が光石より10歳上です。音楽の好みは一致しているようで、ふたりともビートルズが好みではありません。松任谷は「ビートルズはまったく聴かなかった。日本武道館のチケットは持っていたけど行かなかった」と話されています。

光石は、ご自分の愛車に乗って番組の収録に参加しています。彼の愛車は、1963年式 W110型メルセデス・ベンツ190です。

さすが、芸能人だけあって、凄い車に乗っていると思われるでしょう。しかし、これが生産されたのは1961年から1965年で、今から60年ほど前です。ちょうど、光石が生まれた年に登場した車です。

4ドアのセダンで、4速のマニュアルシフトです。色はほぼ白で、見るからにゆったりした趣のある車です。

Mercedes Benz 190D 190 D 1962

光石は元々そういう車が好きだったのでしょう。中古で手に入れ、以来、修理を重ねながら20年近く乗り続けているということです。

この車に松任谷は思い出を持っていたということです。

松任谷の家族のことは知りませんが、松任谷の弟は車酔いするたちだったそうで、タクシーに乗っても吐いてしまったと松任谷が光石との対話で明かしています。

松任谷が子供の頃、光石の愛車と同じ車を山中湖周辺をエリアに持つ富士急行がのタクシーにこの車を使っていて、松任谷の弟がそれに乗ったら酔わなかったとのことです。

そのことで松任谷は車のサスペンションに興味を持つようになり、松任谷が車好きになる原点がこの車にあるというような話でした。

昨日の新聞に、大型車の運転免許にも、オートマチック専用の免許を導入するという記事がありました。私はそれを眼にして、危惧を持ちました。

今は、高齢のドライバーを中心に、アクセルとブレーキを踏み間違えることで起きる事故が多発しています。マニュアルシフトだけの時代は、そのような事故が少なかったように記憶しています。

今はほとんどの免許取得者が、オートマチック車に乗っています。そのような車は、アクセルとブレーキを踏み間違えて、アクセルだけを踏み続けていても、ギアが自動で切り替わるため、低速から高速まで急激に移行してしまいます。

それがマニュアルシフトの車であれば、低速ギアでアクセルを思い切り踏めば、エンジンが停止したりして、オートマチック車で起こるような事故は未然に防げたりするでしょう。

そのオートマチックシフトが、大型トラックにも導入され、その大型車でアクセルとブレーキを踏み間違える事故が起きたら、被害が甚大になるように考え、危惧を持ちました。

私は、世の中の車がすべてマニュアルシフトの車になればいいのにと昔から考えています。そうすれば、ギアをマニュアルで変換する運転ができそうにない人は車の運転を控えるようになるでしょうから、車の運転人口が減り、車による事故も今より減るだろうと想像します。

車が運転できなくなった人は、私のように、自転車で移動することになります。雨や風の強い日は難儀しますが、自転車の走行速度は、人間にも優しくて、ぴったりです。燃費もかからず、大気を汚すこともありません。

次々に登場する車を紹介する「カーグラフィックTV」ですが、EV車に置き換わっていく時代になり、魅力が薄れつつあります。

これまで開かれてきた世界的な自動車ショーも、新コロ騒動のあと、規模が収縮しているそうです。五年ぶりに開かれたジュネーブショーも、かつての四分の一ほどの規模になったということです。

そうした動きの一方で、EV化が進んだ欧米で、エンジン車を見直す機運が出始めていると聞きます。

そもそもが、EV車の推進を目指したのにはある種の思惑がありました。それに気がついた人が増え、EV化に疑問を持ち、エンジン車に戻っていることになりましょう。

私は、「地球温暖化」の思惑は信用していません。私がもしも車の運転ができたら、今でもエンジン車を自分の愛車に選んだでしょう。

ともあれ、光石が1960年代はじめに登場したベンツ190を20年近く乗っていることを知り、好ましく感じました。

それに倣うわけではありませんが、私もカメラを次々に乗り換えず、α7 IIをしばらく使うことにします。とか書きながら、舌の根も乾かぬうちに別のカメラに乗り換えることも、私の場合、なきにしもあらずですけれど。

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