今月10日午後から14日の昼頃にかけ、私が使うインターネット回線が途切れ、使えなくなったことは本コーナーで書きました。
原因は、光ファイバー回線が物理的に断線したことです。それが起きたのが三連休の初日であったことが結果的には災いし、復旧までに時間を要すことになりました。
空き時間ができれば、ネットの動画共有サイトYouTubeの動画をテレビ受像機に映して見たりするところ、それが叶わないため、同じ受像機で、レコーダーに録画してあったテレビ番組を見たりして過ごしました。
その中に、NHK Eテレで放送された「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)」があります。これまで、この番組を見たことがあったかどうかわかりません。毎週火曜日の午後10時から10時45分まで放送する番組です。
スタジオに組まれた居酒屋風のセットで、店主に扮したNHKの男性アナウンサーが番組の進行役となり、店に居合わせた三人の客に扮した識者と、ひとつのテーマを「酒の肴」にして語り合うといった作りになっています。
今月6日と13日の2回は、「伊丹十三 人を魅了するには」を前編・後篇に分けて放送しています。新聞のテレビ欄で本番組を知り、2回を録画し、再生させて見ました。
実をいいまして、2回目はあまり面白くなく感じたので、はじめを少し再生させただけで、あとは、最後まで高速で早送りし、肝心なことが語られていないことを確認して、再生を止めました。
番組では伊丹十三(1933~1997)をマルチな才能を持った人としています。
伊丹が、映画監督の伊丹万作(1900~1946)の息子であることは知っています。彼にはいろいろな顔があります。イラストレーターにはじまり、エッセイスト、テレビマン、俳優、映画監督として知られました。
番組に集まったゲストの三人は、伊丹をほめちぎっています。それを聴かされれば聴かされるほど、私は鼻白んでしまいました。彼は何をやっても超一流だったとされましたが、本当にそうだったろうか、と。
伊丹は、人生の集大成のように、最後は、伊丹が13歳の時に世を去った父と同じ映画監督に辿り着きます。伊丹は長い間、父に反発する感情を持っていたようです。
息子として、最も父と対立する時期に父に去られ、父へ自分の不満をぶつけられず、それが長く尾を引き、父への「反抗期」のような感情を長く持ち続けたことになりましょう。
初めての映画を監督をしたとき、伊丹は51歳になっていました。伊丹はそのことについて、「映画は大人にならないと撮れない」というような言葉を残しています。
長く反抗した父との折り合いが自分の中でつき、父のあとを継ぐような気持ちになるには、それぐらいの年月が必要だったのかもしれません。
番組の中で、日本人にどんな映画を見たいかとアンケートを採ったら、伊丹映画が一番多かったと伝えています。
私は古い映画を中心によく見るほうですが、これまで、伊丹が撮った映画を一本も見たことがありません。今回の番組にゲスト出演していた女優の山田真歩(1981~)によれば、初めて伊丹映画を見たとき、こんなにも面白い日本映画があったのか、と思ったそうです。
見たら見たで面白いのかもしれませんが、私はどうしても、伊丹作品を見る気が起きません。今後、何かのきっかけで見ることがあるかもしれませんが、今のところ、そんなきっかけはなく、きっかけがあっても、見る気が起きなければ見ることがないでしょう。
伊丹がマルチな才能を持っていたと語られていますが、それは、伊丹万作の息子であったことで、いろいろ方面からアプローチがあり、それをさせてもらう機会があったということではありませんか?
私は、伊丹がどんなイラストを描いたか知りません。また、伊丹が書いたエッセイもまとめて読んだことがありません。番組で紹介された文章は、気取り屋伊丹を感じさせます。
「遠くへ行きたい」というテレビのドキュメンタリー番組を伊丹が演出し、伊丹自身も出演していますが、これも、彼のエッセイのように、気取り屋伊丹色が出ています。
このような「伊丹色」で映画も作っていることが想像され、進んで見る気が起きないのです。
二十歳の頃、背伸びをするようにして、大江健三郎(1935~2023)の作品を文庫本で読みました。その一作目が、『日常生活の冒険』(1964)です。

これがとても面白く読めたので、続けて、大江の作品を文庫本で読みました。
ほかに、当時購入して読んだ文庫本を書いておきます。
粗筋は憶えていませんが、語り手の「僕」の親友に「斎木犀吉」という男がいます。読んでいくうち、それが伊丹十三をモデルにしているであろうことを想像できました。
斎木は、何年かぶりに会う僕に対し、始終会っているような気やすさで接してきます。
あとになって知ったことですが、大江の妻は伊丹の妹です。ということは、大江にとって伊丹は義兄になります。伊丹から見れば大江は義弟です。
伊丹は大江とは、高校時代からの知り合いだということです。知り合いでなかったら、自分が書く小説の主要人物のモデルにしたりできませんよね。
伊丹を取り上げた番組は、伊丹の才能にスポットを当てて作られたので、それには触れなかったのかもしれません。それに触れられないことがわかり、私の興味が薄れ、後篇ははじめを少し見ただけで見るのを止めてしまいました。
伊丹のことで思い出すのは、64歳の年に、伊丹事務所が入っていたビルから飛び降りて自殺したとされていることです。伊丹をよく知る人は、彼が自殺したとは考えていないようです。
自殺でなければ、自殺を装った他殺になります。
しかし、伊丹の妻である女優の宮本信子(1945~)は、ほかのことには饒舌なのに、本件に関しては不自然なほど口を閉ざしています。
このあたりのことに焦点当てた伊丹の第二弾を作って欲しいですが、これは無理でしょうか。