今年が小津安二郎(1903~1963)の生誕120年ということで、小津の誕生月である12月に、NHK BSとBS松竹東急で、小津の後期作品が立て続けに放送され、それをすべて見て、本コーナーで取り上げることをしてきました。
その最後となる八作目が昨日、NHK BSで放送されました。放送されたのは、小津の遺作となる『秋刀魚の味』(1962)です。本作が公開された1962年は、二年後に東京五輪を控え、東京の街並みが急速に変貌し始める頃にあたりましょう。
舞台は東京です。何本も煙突が立ち並ぶ映像があります。それがどこかは描かれていません。
作品の中頃に電車の駅のシーンがあります。その場面を注意深く見ると、その駅の駅名と隣りの駅名が書かれた駅名標が映ります。そこから、その駅が東急電鉄池上線の石川台駅だとわかります。
主演は、後期小津作品にはぴったりはまる笠智衆(1904~1993)です。役名は、『東京物語』(1953)の平山周吉を一字換えた平山周平です。
終戦後に雇ってもらった会社で、重役をしています。おそらくは、笠の役作りとしては初めて、鼻の下に髭があります。
小津の後期作品でよく描かれるのが、婚期を迎えながらなかなか結婚しない娘と、それを気に掛ける父との関係です。
本作には、原節子(1920~2015)は出演していません。公開された1962年に原は42歳になっており、さすがに、結婚前の娘を演じるのは難しかったからでしょうか?
笠が演じる周平の娘、路子を演じるのは岩下志麻(1941~)です。路子は24歳の設定ですが、当時の岩下は21歳でした。
岩下が小津作品に出演した時の話が、11月3日の産経新聞にありました。
岩下は1960年に松竹に入社しています。その三カ月後、小津の『秋日和』(1960)で、初めて小津作品に出演しています。その作品の主演は原節子です。
その作品について書かれたネットの事典ウィキペディアで、出演者を確認しました。岩下の名はありません。載っているわけがありません。
「廊下を歩いて書類を渡す事務員役」で台詞がほとんどなかったからです。
岩下によれば、小津は癖のある演技を嫌い、ほとんど素人に近かった岩下には癖がなく、二回ぐらいテストしてすぐにOKが出たそうです。
その作品の二年後、本作で岩下は周平の娘、路子役に抜擢されます。
本作は録画してあるのであとで確認しようと思いますが、路子が失恋し、巻き尺を指に巻くシーンがあります。
そのシーンの撮影では、テストが百回ほど続いたそうです。
一回終わるごとに小津が「はい、もう一回」というだけです。演じる岩下は、具体的にどこが悪いかいわれず、演じるごとに不安になったでしょう。それが百回ほど続いたのです。
撮影後、小津に食事に誘われ、その場で次のような話をされたそうです。
志麻ちゃん、人間というものは哀しいときに哀しい顔をするものじゃないんだよ。そんな単純なものじゃない。
小津が演技の説明をするときはいつも笑顔だったそうです。怒られたことは一度もないといいます。だから、お父さんのような温かさを感じたそうです。
本作の撮影が終わる前、「今度、もう一本やろうね」と声を掛けられます。しかし、本作が公開された一年後、小津は自分の誕生日の12月12日に60歳で世を去りました。
本作には、『東京物語』に出演した杉村春子(1906~1997)と中村伸郎(1908~1991)が出演しています。
『東京物語』で笠が演じる平山周吉の長女を演じたのが杉村で、中村は長女の夫役でした。本作では、杉村は周平の恩師の娘を、そして、中村は周平の学校時代の同級生を演じています。
ほかには、『東京物語』で周吉の長男の妻を演じた三宅邦子(1916~1992)が、本作では、中村演じる周平の旧友の妻を演じています。
このように、小津の後期作品を続けて見たことで、演じる俳優を覚え、それぞれの作品でそれぞれの役に収まっているのが確認できるのも、楽しみのひとつとなります。
十年後には、小津監督生誕130年を記念して、今回と同じように、小津の後期作品が立つ続けに放送されるのでしょうか。そんなことがあれば、今回のことを忘れ、私はまた全作品を見て、本コーナーで取り上げてしまいそうな気がします。