今年は、映画監督・小津安二郎の生誕120年になります。
小津が生まれたのは1903年12月12日です。そして、亡くなったのは、還暦の年、60歳になった日の1963年12月12日です。
山本の本名は「三十六」と書いて「さとむ」でした。山本が明治36年生まれだったため、この名がつけられたとウィキペディアにあります。
こんな風に生まれて、こんな風に死のうと考える人はいませんが、そのように考えても、このように人生を終えられる人はきわめて稀です。
生誕120年ということは、没して60年目であることがわかるのも小津らしいといえましょう。
区切りの良い年には何かしらのブームが起きます。また、それを利用する動きもできます。小津もそれを利用され、本人には与り知らないところで、今、小津の代表作が、衛星放送で放送ラッシュとなっています。
今週火曜日(12日)にはNHK BSの「BSシネマ」の時間枠で、小津の代表作である『東京物語 デジタル修復版』(1953)が放送されました。
それまでは、2Kの放送用にはNHK BS1とNHK BS プレミアムの2波がありましたが、その2波がNHKBSの1波になりました。この変更により、NHK BSで2波分の放送がされるようになります。
私がよく見る「BSシネマ」もその影響を受け、大相撲の場所がある期間は、平日午後1時からの放送は休みとなるようです。
同じ枠の来週火曜日(19日)には、小津の『お早よう デジタル修復版』(1959)の放送が組まれています。
これとは別に、衛星放送のBS松竹東急で、今週火曜日から五夜連続で、4Kデジタル修復版の小津の代表作が放送されています。
私はそのことを、Yahoo!ニュースにあった記事で知りました。それまで、BS松竹東急というテレビ局があることも知りませんでした。
テレビのリモコンで早速確認し、五作品の録画を予約しました。
BS松竹東急には、平日午後8時から「よる8銀座シネマ」という放送枠を持ち、そこで、小津の作品四作品が放送中です。五作目は土曜日の放送にあたるため、午後9時に始める「土曜ゴールデンシアター」で放送が組まれています。
BS松竹東急で放送中の五作品を放送順に書いておきます。いずれも4Kデジタル修復版です。
小津作品といいますと、笠智衆(1904~1993)と原節子(1920~2015)の演技が連想されます。この組み合わせは、『晩春』と『東京物語』、『麦秋』で見られます。
しかも、この三作品で原節子が演じる役柄の名前が「紀子(のりこ)」とされており、本三作品は「紀子三部作」と呼ばれたりするようです。
また、1992年11月に亡くなった母の名は、原節子の芸名に近いといえば近い、「せつ」でした。
NHK BSとBS松竹東急で本三作品が放送され、私は録画して順に見る予定としています。
この火曜日に放送された『東京物語』は「紀子三部作」の三作目にあたることになり、紀子を演じた原節子も、それぞれに役柄は違うとはいえ、馴染んでいたでしょう。
本作は良く知られていますので、見たことのある人が多いでしょう。私も何度目かになります。しかし、これまで熱心に見てこなかったからか、新鮮な気持ちで見ることができました。
笠智衆演じる平山周吉が、東山千栄子(1890~1980)演じる妻のとみとふたりで、東京に暮らしている長男と長女を訪ねる話です。周吉ととみが暮らしているのは、広島の尾道です。
本作が公開されたのは、70年前の1953年です。東京と尾道は鉄道で結ばれているとはいえ、当時は蒸気機関車です。ですから、尾道から見た東京は遠くに感じられたでしょう。
話の筋は詳しく書きませんが、老人の周吉を演じる笠智衆の演技が見事です。それにしても驚くのが、それを演じた笠が、役柄よりずいぶん若いことです。
笠智衆が生まれたのは1904年です。監督の小津が1903年生まれですので、監督より一歳下になります。その笠が1953年公開の本作で老人を得んて自ていることになり、撮影され頃、笠はまだ49歳です。
しかし、画面に映る周吉は、歳相応に見えます。体の動きは緩慢で、歩くときも、ゆっくり、ゆっくりと歩を進めます。また、座敷に座っているときは猫背です。
妻のとみを演じた東山千栄子は1890年の生まれです。ということは、演じたときは73歳です。役柄はたしか60歳になるかならないくらいだったと思います。
東山より24歳若い笠が、東山の夫を演じていることになります。しかし、画面を注意深く見ても、明らかにとみより年上に見えます。笠は特別老けたメイキャップをしているわけでもありません。それでいて、歳相応にみえた笠は、珍しい俳優というしかないです。
私は本作を見ていて、どうしようもなく哀しい気分になりました。人間の儚さ、人生の儚さに胸が締め付けられるようです。
東京から尾道に戻ったとみが倒れ、あっけなく世を去ります。東京と大阪から兄妹、そして、東京に来た周吉ととみを親身に世話をした原節子演じる紀子が周吉のもとに駆け付けます。
とみの葬儀の途中、周吉の三男の敬三が、席を外して、庭が見渡せる寺の縁側にぼんやりと座ります。敬三のあとを追って紀子が様子を見に来ます。
その場面を見ているとき、それまで堪えていた涙が頬を伝いました。
本作を以前見たときに、涙を流した記憶がありません。自分もそれ相応に歳をとり、いろいろなものが儚いことがわかってきたからでしょうか。
小津作品に特徴的な映像表現が本作で如実となっています。それについては別に書くことにします。