2013/01/11 サムライのイメージ論・芸術家の場合

質問をひとつさせてもらいます。「侍」と聞いてあなたはどんなイメージを持つでしょうか?

正直な話、私は、昔に侍といわれた人たちが日々をどんな風に過ごしていたか、すぐにイメージすることができません。

ネットの辞典ウィキペディアにある記述にさらっと目を通してみますと、世の中が安定してからは、彼らは支配階級に仕える下級役人で、今の多くのサラリーマンと同じように、上昇志向を強く持っていたようですね。

だとすれば、小説や映画、ドラマなどに登場する侍像というのは、ごく一部に一定数いた、あるいはいたかもしれない「はねかえり」を誇張して描いていることになりましょうか。

私自身、軽はずみなことはよくしでかし、ほかの人から、はねかえりに近いと思われる部分も多分に持っているであろうと自覚していますので、その意味の侍であれば嫌いではありません。

もっとも、はねかえりの性格を持つ者は、同じようなはねかえりの性格の人間とうまくいくはずもなく、似ているが故に、どちらかが折れてはねかえり度を弱めない限り、うまく付き合うのは難しいでしょうが。

今年になって初めての朝日新聞土曜版「be on Saturday」に、「現代のサムライ」について書かれているとして選者が選んだ本が4冊紹介されています。カタカナで「サムライ」としている分、厳密な侍ではなく、人々がイメージとして持っている侍像に通じる人が、あるいは人を書いた本、というぐらいの意味合いでしょうか。

私はこの中から、関心のある人であれば知っているかもしれない村上隆氏(1962~)が書かれた『芸術起業論』に注目し、感じたままを書くことにします。

現代の人間から見て古典絵画とされる作品の多くには絵の注文主がいて、個人なり教会なりから注文を受けて絵を描いています。当時は芸術家などとはいわれず、絵を描く職人の身分であったでしょう。

それが、近代に近づき、絵を描く職人であった人が自らを芸術家と称するようになってからは、自らの創造性を発揮するため、注文を受けたわけでもない絵を自分で自由に描くようになりました。

誰に認められたわけでもなく、自分の意志で絵を描くわけですから、中には優れた作品も生まれるでしょうが、多くは価値の乏しい作品で終わり、蒐集家の手に渡ることもなく、消えてゆく運命を持ちます。

それでもなお、現代においても、身分を保障されない画家に自らなろうとする人は、出発の時点で現代の向こう見ず、あるいは社会に対するはねっかえり、「サムライ的な生きざま」といえる人も中にはいるかもしれません。

このような信条で絵を描くことを自分の仕事とまではいわないものの、生き方として選んだ人は、社会に汲みする生き方を先天的に嫌うものでしょう。ましてや、「どうしたら売れる絵を描けるか?」とは考えないものだと私は理解していました。

そうした私の理解から離れたところで現代の日本の芸術家を批判し、今回取り上げた『芸術起業論』でも同じことを主張し続けているのが村上隆という人なのだと私は理解しています。

昔の侍の定義に通じるように、村上氏は基本的に支配体制に属し、その視点からさらなる高見を目指せと主張しているわけで、その意味では、村上氏は侍的な生き方といういい方もできないわけではありませんが。

村上氏が書かれた本に、次のような象徴的な記述があるそうです。

日本人の芸術家は、商売意識が薄く、芸術を純粋無垢に信じる姿勢をとりがちですが、だったら趣味人で終わっていればいいんです。

たしかに、絵を描く職人であった時代は、仕事は注文主から受けた時点で始まりますが、自分で自分を画家だとする現代人は、注文を受けたわけでもないのに、創作意欲だけで描き始めてしまいます。ですから、描き上げた作品が誰からの関心も浴びなければ、自分の趣味で絵を描く趣味人といわれても仕方がないところがありそうです。

それだから、私は本日分の途中でも、絵を描く「仕事」とは書かず、絵を描いて生きていくという「生き方」と書きました。

生き方であれば、他人にとやかくいわれる筋合いはありません。たとえ何かいわれても、「これが自分の生き方です」といえば、相手はそれを否定することができないからです。

これを書きながら思い浮かべるのは、ギュスターヴ・モロー18261898)とポール・セザンヌ18391906)です。

ふたりに共通しているのは、資産家の家にたまたま生まれた幸運です。日常的な労働をしなくても、何不自由なく暮らしていけました。それだから、「売れる絵を描こう」とも考えなかったでしょうし、その必要もありませんでした。

モローの場合は、印象派の画家たちが世に認められ、喝采を浴びていた時代に同じ空気を吸いながら、一日中邸宅に籠もり、絵を描く生き方をしています。

手放すつもりのなかった夥(おびただ)しい数の絵は自宅の壁という壁を飾り、モローは生前に自宅ごと国に買い上げてもらい、今はそれが国が管理する「ギュスターヴ・モロー美術館」として公開されています。

これは、モローが趣味人としての生き方を貫いた結晶、とはいえないでしょうか。なんだか、モローの生き方にこそ、イメージとして多くの人が持っているであろう潔い侍の生き方に近いものを感じてしまいます。

村上隆氏の生き方を否定はしません。が、生き方は人それぞれに違うと私は思うのす。

なお、ほかの3冊には次に挙げる本が選ばれています。

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