少し前に、村上春樹(1949~)が小説家デビューしてすぐの頃に書いた短編作品を一冊にまとめた短編集『中国行きのスロウ・ボート』を読みました。
まだこれについて本コーナーで書いていないので書いておきます。
本短編集が出版されたのは1983年です。しかし、収録された七編の作品の発表時期を確認すると、デビューした翌年の1980年から1982年にかけてです。
ということで、デビュー作の『風の歌を聴け』(1979)に続く長編小説『1973年のピンボール』(1980)と『羊をめぐる冒険』(1982)とほぼ同じ頃に書かれた作品を集めた短編集ということになります。
本短編集はその後文庫本でも出版され、先に出た単行本はそのうちに絶版の状態になったそうです。それが今年、オリジナルの形で復刻されました。
私はAmazonの電子書籍版で読みました。
その前書きのようにして、村上は「『中国行きスロウ・ボート』単行本の復刻に寄せて」を書いています。いろいろとマメな人という印象です。
そのマメさが、本短編集に収録されている五作目の『午後の最後の芝生』(1982)を読んでも感じます。男子大学生が主人公の作品で、アルバイトとして、普通の家庭の芝刈りをしています。その仕事ぶりが実にマメです。
主人公には村上自身が反映されているように感じます。
本短編集の装丁のためにイラストを描いてもらった安西水丸(1942~2014)との思い出が書かれています。
ネットの事典ウィキペディアで安西について書かれた記述を読むと、村上がジャズ喫茶を経営していた頃、安西がその店の常連で、その頃から付き合いがあったようです。
その縁で、村上は自身初めての短編集のカバー絵を安西に頼んだそうです。
村上の「美意識」が私には理解できないところがあります。長編の一作目と二作目のカバー絵は佐々木マキ(男性です 1946~)に頼み、その出来映えを「素晴らしい」と書いています。そして、本短編集のカバー絵を描いた安西の絵もとても気に入っているようです。
私にはどちらもそれほど良い絵のようには思えません。村上とは絵に対する感覚や好みが違うのだろうと思います。
ともあれ、村上と安西の交流を知り、改めて気づいたことがあります。
村上の12作目の長編小説『1Q84』(2009・2010)の男性主人公・川奈天吾の父親は、定年退職後、まだそれほどの年齢でもなかったのに、介護が必要な状態となり、房総半島の南端近くにある千倉の施設に入ります。
この千倉の町は、安西の母親の出身地です。安西は東京の赤坂で生まれていますが、幼い頃に重い喘息(気管支喘息)を患い、母の郷里である千倉で幼年時代を過ごしています。
もしかしたら、村上が安西と出会ったあと、安西と千倉を訪ねたことがあり、そのときのことが記憶に残り、作品の場所として登場させたのかもしれないと考えました。
村上作品と安西のつながりということでいえば、村上作品ではおなじみの「渡部昇」あるいは「ワタナベノボル」が、安西の本名の「渡辺昇」がもとになっています。
それだけ深く信頼し合っていたということでしょう。
本短編集を読んで私の印象に残った作品については、次回以降の本コーナーで書くことにします。