昨日は、油絵具と接する時間を持ちました。どんなことでも、それに接する機会を多くするほど、得られることが多くなります。
直近まで描いた『自画像』が出来上がってしまい、今のところは、新しい絵を描いていない状態です。それでも、絵具に接する時間を持つため、年単位で手を入れている、レンブラント(1606~1669)作品の模写もどきをしています。
レンブラントは63歳まで生きましたが、晩年になるほど作品の出来栄えが向上しました。私が年単位で手を入れているのは、マルガレータ・デ・ヘールという老婦人を描いた肖像の顔の部分です。
模写に使っているのは、1990年12月27日に購入した『巨匠の絵画技法 レンブラント』です。この技法書については、本コーナーで何度か取り上げています。
レンブラント作品を初期から晩年まで11作品取り上げ、それぞれの作品を、レンブラントの絵画技法の観点から検証しています。
掲載されている作品の多くは、それぞれの作品の部分を実物大で載せています。絵画の画集が多く出版されていますが、特に、日本で販売される画集やそれに類する書籍の多くは、作品の全体像を紹介する形を採ることが多いです。
日本の美術番組がテレビで放送されますが、これも、多くは全体像を伝える内容が多いです。専門家を呼んでも、専門家に話させるのは、何が描かれているかです。
極端なことをいえば、私は何が描かれているかはあまり興味がありません。私の一番の興味は、「どのように描いてあるか」です。
その要素を画集や技法書に取り入れようとすれば、作品の部分を実物大か、それに近い大きさで紹介するよりほかなくなります。
私が参考にしている技法書がそれをしているため、繰り返しそれを見ては、レンブラントの絵画技法を頭に叩き込むようなことをしています。
ネットの動画共有サイトYouTubeには、主に米国人と思われる配信者が、油絵具を使って、絵画を模写する様子を動画にして上げたものがあります。
それらを見ると、如何にして、模写の対象に似せるかをしているように見えます。中には、画用木炭などで、きっちりと下絵を描き、その上に絵具を載せていく方法を採るものもあります。
その描き方は、レンブラントの技法とは似ても似つかないものでしょう。レンブラントは、下描きをほとんどしません。支持体であるカンヴァスに、絵具で直接描き出しているからです。
そのような動画が、結構な再生回数を稼いだりしています。意味があるように私には見えないのですが。
レンブラントの模写をするのであれば、初期の作品を模写の対象に選んでも、得られるものは少ないように私は考えます。レンブラントのレンブラントらしさが表れるのは晩年の作品です。晩年の作品を模写の対象に選んでこそ、レンブラント作品を模写する意味があります。
そして、レンブラントの晩年の作品を模写するのであれば、油絵具との「格闘」にならざるを得ません。レンブラント自身が油絵具と「格闘」しているからです。
模写といえども、レンブラントと同じように油絵具のタッチを残すことはできません。レンブラント自身であっても、自分が過去に描いた作品にある筆のタッチを自分でも再現できないはずです。
一度きりのタッチといえましょう。
また、模写だからといって、それをそっくりに真似る必要はありません。筆のタッチというのは、結局は、「結果」でしかありません。
人物の頭部を描いた作品であれば、レンブラントはその人物そのものを描くことに集中しています。その結果が、絵具をつけた筆のタッチとして残るだけです。
あとは、レンブラントになりきって、そのときの気持ちや勢いで、筆を動かすよりほかりません。
偉そうなことを書いていますが、それが私に実現できているわけではありません。私の場合は、レンブラント作品の模写もどきをすることで、油絵具の扱いを練習しているだけです。
ここ二度ほどの模写もどきで、得ることがありました。それは、溶き油を別の物に換えたことです。溶き油を換えただけで、絵具をつけたときの触感が大きく違います。
その溶き油はずいぶん昔に使ったことがあるもので、使い残しが残っていました。昨年末に絵具の扱いが大きく変化したことで、かつての溶き油が、その描法に適していたことを「確認」できた感覚です。
時間を経るごとに、カンヴァスに色をのせるとき、パレットで混ぜるとき、絵具の粘りが強くなるのを感じます。それはちょうど、「水飴(みずあめ)」を筆で操るような感覚です。
このような絵具の状態になると、生乾きの絵具の上に、別の色をのせるのが楽になります。ということは、先に塗った絵具と混じり合いながらも、色が濁りにくくなるということです。
筆先から伝わる触覚を味わいながら、もしかしたら、レンブラントも、自分が今感じているようなものを筆先から得ながら作品に向かい合っていたのではないかと想像したりします。
油絵具を描く愉しみは、物質的なものと戯れる触感を味わえることです。これを愉しむのであれば、何を描いているかは問題でなくなります(?)。
自己満足に過ぎませんが、私はやめられません。