昨夜は、私がいつも見ていますNHKのドキュメンタリー番組「にんげんドキュメント」(木曜/21:15~21:58)を見、感銘を受けました。
この番組では、有名無名を問わずスポットを当てた人を取材して番組にしています。昨夜はすっかり時の人となった今年度のノーベル賞受賞者に決定した田中耕一さんを取り上げた「生涯一エンジニア ノーベル賞・田中耕一さん」が放送されました。
田中さんといいますと、今も書きましたように、受賞後は人々の注目を一心に浴びる存在となってしまいました。そのことを象徴するように、昨日の番組でも、冒頭に田中さんの通勤風景が映し出されました。
何でも田中さんは幼い頃から電車が大好きだそうで、大きくなったら電車の運転士になりたい、というような幼い夢を抱いた時期もあったほどだそうです。ですから、会社までの電車通勤は苦痛どころか楽しみの一つだったようです(「いつも一番前の運転席が見える位置に立って前方を眺めているのが好き」というようなことまでおっしゃっていました)。が、受賞が決まったことで状況が様変わりし、周囲に迷惑をかけないよう、好きな電車通勤を諦め、タクシーの利用を余儀なくされているようです。
普通の人には楽で良さそうですが、タクシーの中の田中さんはどこか居心地が悪そうに見えます。
居心地が悪そうということでいえば、若い女性などの間で今、田中さんが「癒し系」として人気になっていることに居心地の悪さを感じているそうです。
世間では僕のことを癒し系とか、聖人君子のごとくに思っているみたいですけど、本当の僕は決してそんな人間じゃないんですよ。そこでなんとか僕の実像を出そうとするんですけど、ますます虚像ばかりが独り歩きをしてしまっている状態です。
私は今回の番組を見て初めて知りましたが、田中さんのご両親というのは実のご両親ではないのだそうです。彼の母親は田中さんを産むとすぐに亡くなってしまい、育ての親のもとへもらわれていったのだそうです。
育ての親は立派な方々で、自分の子供3人と分け隔てせずに育て、田中さんも、途中までは実の親だと思っていたそうです。
本当のことを知るのは東北大学への進学を控えていたときで、母親はやっと思いで田中さんにそれを打ち明けました。それを知らされた田中さんは2、3日でこれまで通りの親子関係に戻ったようですが、それは表向きの態度で、そのことは就職する頃まで吹っ切れなかったようです。
1年留年をして大学を終えた田中さんは、それ以上親に迷惑はかけられないと大学院への進学を諦め、現在も働く島津製作所への就職を決めます。そこで働くことでそれまで自分を実の子のように育ててくれた両親へ少しでも恩返しをしようと考えることで、気持ちが吹っ切れるのを感じたようです。
育ての親の父親は腕のいい職人で、毎日黙々と自分の技で仕事をしていたそうです。そんな父の影響を受けた田中さんは、一人のサラリーマン研究者として研究に没頭していきます。
田中さんを伝える映像を見ていて感じるのは自然体の姿勢です。
私など凡人は、少しでも自分をよく見せようとしてしまいがちですが、田中さんからはそれが感じられません。普段の服装からして作業服で通し、それを着ると落ち着くとまでいいます。
田中さんが今回のノーベル賞を受けるきっかけとなった成果は、全くの偶然から生まれたそうです。来る日も来る日も傍目からは同じことの繰り返しのような研究を続けていた田中さんはある時、混ぜ合わせるための素材を取り違えてしまいます。しかし、そのことによって最も最適な素材の組み合わせに行き着いたのです。
それは生真面目に努力を続けた田中さんに天が与えた幸運ともいえるでしょう。
進もうと思えば進めたであろう大学の研究員の道を捨て、一民間企業への就職を選んだ時点で、研究によってノーベル賞を受けることなど毛頭考えなかったはずです。そんな田中さんに幸運の女神が微笑むのですから、人生とは面白いものです。
世間一般の人がことさら田中さんを賞賛するのは、彼が「象牙の塔」の住人ではなく、ごくく普通のサラリーマンだったことも大きく作用しているのではないでしょうか。
ともあれ、ノーベル賞の授賞式には、同じ職場で研究を続ける同僚も一緒に参列するそうです。それは田中さんのたっての願いで、自分が受ける賞は自分一人だけの力によって得られたものではないとの強い思いからだそうです。
いずれにしましても、田中さんはこれから先も人々の関心を集めずにはおかなそうで、元のように電車通勤が出来るようになるためには、もうしばらく待っていただくことになりそうです(^-^)