孤高の画家 牧野邦夫

まさかないだろうという気持ちで「まきのくにお」と入力し、「牧野邦夫」と変換してみる。続いて検索のボタンをクリックする。思いがけず、彼牧野邦夫のサイトが見つかった。正直いって驚いた。まさか本当に見つかるとは思っていなかったからだ。ネットを始めて3カ月(1999年11月下旬時点)、これまでこの名前を検索しないでいたことが不思議なほどだ。

私が初めて彼の名前を知ったのは、「日曜美術館」(NHK教育)でだった。今回彼のサイトで確認したら、その放送があったのは1989年であったらしい。ちょうど10年前ということになる。その放送を見て、鳥肌がたったのを今でもよく憶えている。「こんな画家がいたのか」と。その時の放送はビデオに収めてあり、その後何度も繰り返して観ることになる。

その放送があった翌年、彼の作品を実際に観る機会に恵まれた。新宿の小田急百貨店内の「小田急グランド・ギャラリー」で開かれた『牧野邦夫展』でである。

それまで彼の作品を幾度となくビデオで見ていた私は、会場で実物を目にしたとき、何とも不思議な懐かしさを覚えた。また、その会場内で自分ほど彼の作品を識る者は他にいないだろう、というヘンな自負も持った。

その時に会場脇の売店で買った『見る人間・牧野邦夫』(牧野千穂 著)は今も手元にあるが、繰り返し読んだこともありボロボロになってしまった。この本の中に、次のようなことが書かれている。牧野邦夫という人間を端的に表現していると思われるので、引用させていただく。

Nちゃんからおおよそのことは聞いていたので、普通の絵描きさんとは少し違う人だろうとは思っていたが、ドアを開けてくれた牧野の顔を見て、これまでに出会ったことのない、まったく異質の世界の人だと感じた。強く鋭い視線で見られると、そこが痛くなりそうな気がした。澄んだ目と、身体全体から髪の毛が逆立ちそうなピリピリした緊張感が伝わり、ただでさえ固くなっている私は怖いと思った。(『見る人間・牧野邦夫』p.4)

私は、レンブラントよりもスタートが30年遅れている。従って、彼のような絵を描くためには、63歳で死んだレンブラントよりも30年余計に生きなければならない。

これは彼が残した言葉だ。彼はレンブラントを心から尊敬し、少しでも彼に近づこうとしていたのだ。残念ながら牧野は90過ぎまで生きることはできず、61歳でこの世を去っている。先に書いた「日曜美術館」の中でゲストの秋山祐徳太子氏は、「それは、牧野さんが師であるブラントの影を踏まずの精神で、師よりも2年早くこの世を去ったということなんでしょう。この辺りにも牧野さんの優しさを感じます」といい表している。