本日の朝日新聞に、京都の街に愛憎を併せ持つ(?)井上章一氏(1955~)に語ってもらった「やっぱり『京都ぎらい』」が載っており、興味深く読みました。
副題は「観光地化とともに消えた性的におい」です。この副題について書かれた部分に、私は強くひかれました。
人が持つ五感で性的なものに直結するのは「におい」ではないか、と私は考えます。
前々回の本コーナーは、松本清張(1909~1992)の『喪失の儀礼』(1972)について書き、そこでも、人間の感覚を刺激せずにはおかない「におい」に触れました。
Amazonの電子書籍版で松本清張(1909~1992)の作品を読みました。今回読んだのは『喪失の儀礼』です。今月10日までの期間、該当する書籍には50%のポイントが還元されるキャンペーンが展開され、本作もそれに該当するため、それを利用して読みました。
本作は、『小説新潮』の1969年1月号から12月号に連載され、1972年11月に刊行されています。連載時のタイトルは『処女空間』だったそうです。
私はこれまで、清張の作品を数多く読んできました。清張に馴染のない人は、清張作品にどんなイメージを持たれるでしょう。
表現形式が推理小説である以上、事件が欠かせません。それも、人が殺される事件であることが大半です。
殺人事件を扱いながら、小説家によって、表現の仕方には違いが生じます。清張で特徴的なのは、殺害場面を描かないことです。これまで清張の作品に接してきて、犯行場面を読んだ記憶がありません。
あるいは、例外的にそれがある作品もあった(?)かもしれませんが、清張のほぼすべてに近い作品にはそれがありません。
本コーナーは、今週月曜日(14日)から水曜日(16日)まで、NHK BSプレミアムの「プレミアムシネマ」枠で、フランシス・フォード・コッポラ監督(1939~)の『ゴッドファーザー』三部作を一挙に放送するのに合わせるように、放送された作品を順に取り上げることをしています。
昨日は三作目が放送されました。公開当時『ゴッドファーザー PART III』(1990)だった作品です。
この作品について書いたネットの事典ウィキペディアの記述を読むと、コッポラ監督は、三作目を撮るにあたり、『PART II』に続く作品ではなく、それを離れた後日談として描く構想を持っていたそうです
しかし、作品を配給するパラマウントはコッポラ監督の要求に応じず、『PART III』として配給するよう迫ったようです。
その後も、監督は当初の構想を捨てずにいたようで、全米公開30周年を記念する形で、監督自身が手直しに加わり、『ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期』に改題し、2020年に公開しています。
その形の作品が、三部作の三作目として放送され、録画をしながら、オンタイム(「放送されている時間」ぐらいの意味で使っています)で見ました。
二作目が公開されたのが1974年で、三作目は1990年ですので、16年のちになります。
今週月曜日(14日)から、NHK BSプレミアムの「プレミアムシネマ」枠で、フランシス・フォード・コッポラ監督(1939~)の作品に『ゴッドファーザー』三部作を放送中です。
前回の本コーナーでは、一作目の『ゴッドファーザー』(1972)を取り上げました。昨日は『ゴッドファーザー PART II』(1974)が放送されました。
録画しながら見ましたので、気がついたことをここに残しておきます。
シチリアのコルレオーネ村から、のちのドン・コルレオーネになるvヴィト―少年が、周囲の援助を受けて単身、米国へ渡ります。
それ以前、少年の父と兄が、シチリアのマフィアのボスに殺されることが起きています。悲嘆に暮れた母が、ボスの屋敷へ行き、ヴィト―のことだけは助けてやって欲しいと懇願します。しかし、母の願いを聞き入れられず、ライフル銃で無慈悲に撃ち殺されます。
ヴィト―がニューヨークで成長し、裏稼業で頭角を現していく様子と、ヴィト―・コルレオーネの死後、ファミリーを率いた三男のマイケルの生きざまが交互に描かれます。
フランシス・フォード・コッポラ監督(1939~)の作品に『ゴッドファーザー』三部作があることを知っている人は多い(?)でしょう。
私も知っており、三部作とも見ていると思いますが、象徴的な部分を断片的に憶えている程度です。
この三部作が今週月曜日(14日)から水曜日(16日)まで、NHK BSプレミアムの「プレミアムシネマ」枠で放送が組まれました。それを知ってからも、録画して見るかどうか、迷いました。
どれも長編で、気楽に見られない印象を持つからです。
そこで、とりあえずといった感じで、昨日放送された一作目の『ゴッドファーザー』(1972)を録画しつつ、オンタイム(「放送されている時間」ぐらいの意味で使っています)で見ました。放送時間は約3時間です。
Yahoo!ニュースで昨日、次のニュースが目に入りました。
これは記事というわけではなく、勤務薬剤師の方が書いたブログのようなものになりましょうか。しかも、ここで取り上げられている研究論文がワクチンの専門誌に載ったのが今年の2月7日ということですから、今になって明らかになったことというわけではありません。
書かれていることはのちほど取り上げるとして、私が気になったのは、その研究の対象にされたのが、米国のウィスコンシン州であることです。
新コロ騒動において、ウィスコンシン州に縁の深い人にピエール・コリー博士がいます。このコリー博士が所属するのがウィスコンシン州です。
大多数の専門家や医療従事者が新コロ騒動における非科学的な判断に従う中、コリー博士はご自分の信念に基づいて活動されてきた人のおひとりです。
久しぶりで、松本清張(1909~1992)の作品を電子書籍で読みました。
私には読書にも一定の傾向があるようで、このところは、山口瞳(1926~1995)や井伏鱒二(1898~1993)が書いたエッセイを読むことが続きました。
これはこれで楽しいのですが、そればかり続くと、今度は物語を読んでみたくなります。そこで、清張の作品を読みました。
清張は昔、文藝春秋から刊行された全集をすべて定期購読して読みましたので、今回読んだ作品も、そのときに読んだかもしれません。しかし、憶えていないので、電子版で読みました。
今月10日まで、Amazonの電子書籍で、該当する書籍に50%のポイントがつくキャンペーンをしていることに気がつき、それに該当したのでその作品を手に入れました。
今月6日の更新で、Amazonの電子書籍用端末のKindleがまた使えるようになったことを書きました。
3カ月ほど使えなくなるきっかけは、私が使うほかのKindle2台と同期がされなくなり、元に戻そうとして、初期設定をしたことでした。
新しい機種が出るたびに追加購入し、それ以前に使っていた端末も手元に残してあるため、Kindleが現在は3台あります。ほかに、手放した端末もあるので、使った端末はもう1、2台多くなるかもしれません。
外に持ち出すのは古い端末にするなど、使い分けをしています
気の弱そうな若い男が、ある家のインターホンを押します。ドアを開けて中から顔を覗かせたのは初老の男です。
昼の時間ですから、家にいるのは年配の人ばかりとはわかっています。男は、女性の方が仕事がやりやすかったと思いつつ、顔を出してくれた初老の男に要件を話し始めます。
男はセールスマンをしています。セールスの途中で断られることが続き、成績が低迷しています。
初老の男は、セールスマンの男を不憫に感じたか、家の中に招き入れてくれました。そして、向かい合って座ったセールスマンの男にこんなことをいい出します。
君はセールスマンか。大変だな。成績が芳(かんば)しくなさそうな顔をしているじゃないか。俺もセールスの経験があるから、苦労はよくわかる。よし、俺でよかったら、君の力になってあげてもいいぞ。営業成績がすぐ上がる抜群の方法を知っている。聴いてみたいか?