本コーナーは、今週月曜日(14日)から水曜日(16日)まで、NHK BSプレミアムの「プレミアムシネマ」枠で、フランシス・フォード・コッポラ監督(1939~)の『ゴッドファーザー』三部作を一挙に放送するのに合わせるように、放送された作品を順に取り上げることをしています。
昨日は三作目が放送されました。公開当時『ゴッドファーザー PART III』(1990)だった作品です。
この作品について書いたネットの事典ウィキペディアの記述を読むと、コッポラ監督は、三作目を撮るにあたり、『PART II』に続く作品ではなく、それを離れた後日談として描く構想を持っていたそうです
しかし、作品を配給するパラマウントはコッポラ監督の要求に応じず、『PART III』として配給するよう迫ったようです。
その後も、監督は当初の構想を捨てずにいたようで、全米公開30周年を記念する形で、監督自身が手直しに加わり、『ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期』に改題し、2020年に公開しています。
その形の作品が、三部作の三作目として放送され、録画をしながら、オンタイム(「放送されている時間」ぐらいの意味で使っています)で見ました。
二作目が公開されたのが1974年で、三作目は1990年ですので、16年のちになります。
この間に、人々の生活も変わり、映画の制作環境も変化したでしょう。本作のオープニングを見て、米国の刑事ドラマ『刑事コロンボ』にもあった変化を感じました。
『刑事コロンボ』の一作目の『殺人処方箋』は、パイロット版として、米国では1968年に初回の放送をしています。そこから、45作目の『策謀の結末』までの作品を今は旧シリーズとしてます。
45作目が米国で初回に放送されたのは1978年です。『ゴッドファーザー PART II』が公開された4年後です。
これで、コロンボシリーズは終了したと考えられていました。しかし、本シリーズの人気が衰えず、シリーズの再開が望まれたのか、11年のブランクを経て、1989年に46作目の『汚れた超能力』が放送され、シリーズ最後となる69作目の『殺意のナイトクラブ』まで製作が続けられました。
シリーズの終盤は飛び飛びに作られ、最後の作品が米国で放送されたのは2003年です。
これだけの長い期間にわたって制作されたため、新シリーズの放送が続くにつれ、初期のコロンボシリーズとは味わいが変わっていき、最後の作品などは、まるで別のシリーズ作品を見せられているような感覚でした。
同じような感覚を、ゴッドファーザーの三作目を見始めたときにも感じました。
作られ方は洗練されているのでしょうが、いい意味でのアクのようなものが抜けているように感じます。
主人公は、コルレオーネ・ファミリーのドン、ヴィト―の三男で、ヴィト―亡きあとファミリーをまとめてきたマイケルです。マイケルはすっかり歳を取り、二作目までの、他を圧倒するような鋭さは影を潜めています。
二作目の終盤近くまではマイケルを憎んでいた実妹のコニーが、そのあと、マイケルに寄り添うように生きてきたようで、それがすっかり板について見えます。
二作目までは、マイケルの参謀役として登場したトム・ヘイゲンが、本作には登場しません。演じていたのはロバート・デュヴァル(1931~)です。
二作目から間隔が開いたため、その間に、ディヴァルが亡くなったのかと思ったら、まだ健在でした。本シリーズは、マリオ・プーゾ(1920~1999)の著作を原作とし、プーゾは脚本もコッポラ監督と書いています。
三作目は回想録のようなもので、トムはすでにこの世にいないことにされているのかもしれません。
その代わりとして、ジョージ・ハミルトン(1939~)がハリソンという弁護士を演じています。
ハミルトンといえば、『刑事コロンボ』で犯人役を二度演じています。一度目は1975年に米国で放送された『5時30分の目撃者』。
二度目は、本作が『PART III』として公開された翌年の1991年に米国で放送された『犯罪警報』です。
一作目と二作目のトムに比べ、ハミルトンが演じるハリソンは、マイケルとの関係もそれほど描かれておらず、あまり効果が発揮されていないように感じます。
マイケルのファミリーがヨーロッパの投資会社を買収する話が、バチカンの意向を反映して(?)暗礁に乗り上げたとき、交渉に当たっていたハリソンが抗議をする場面がありますが、いまひとつ迫力がありません。
ディヴァルのトムが演じていたら、もっと違う形になった(?)でしょう。
マイケルの妻だったケイは、二作目で、マイケルの下を去っています。詳しくは描かれていませんが、ケイはその後、法律関係の男性と再婚しています。
三作を通し、マイケルの妻、ケイを演じたダイアン・キートン(1946~)を私は気に入りました。
マイケルの娘、メアリーを演じているのは、コンポら監督の娘のソフィア・コッポラ(1971~)です。私は下調べをせずに見ていたため、メアリーを演じているのがソフィア・コッポラとは気がつきませんでした。
ウィキペディアによれば、ウィノナ・ライダー(1971~)をメアリー役に起用したようですが、彼女が体調不良を理由に降板し、ソフィア・コッポラがその代役を果たしています。
ウィノナ・ライダーが降板せずに演じていたら、どんなメアリーになったのか、見てみたい気もします。
本作で目立った役は、コルレオーネ・ファミリーの次代ドンになるヴィンセントです。演じたのはアンディ・ガルシア(1956~)という俳優です。
私は1990年代以降の米国映画を熱心に見ていませんので、ガルシアの演技はほかに見たことがありません。経歴を見ると、数々の作品に出演しているようです。今ではおなじみの俳優なのでしょうか。
役柄としては、ヴィンセントはマイケルの長兄ソニーの私生児です。暴れん坊で女好きだった父の血を引き、女にだらしなく、喧嘩っ早いです。
それを演じるガルシアは、まだ若かったこともあり、チンピラのように見えてしまいます。こんな男にファミリーを任せていいのか、心配になります。
考えて見ると、マイケルははじめから終わりまで、妻のケイのほかに、女の影が一切ありません。立場を利用すれば、いくらでも女と遊ぶことができたにも拘わらず。
マイケルが普通の世界の人間だったら、ケイと静かな暮らしを、ケイに女の心配をさせない女房孝行ができたでしょう。
実生活では、本シリーズで共演したこともあってか、マイケルを演じたアル・パチーノ(1940~)がケイを演じたダイアン・キートンと交際した時期があったそうです。
その想いは、演技をしていても、ふと、心を揺さぶることがあったかもしれません。
本作の中盤、マフィアの幹部連中が一堂に会していたときに、敵の襲撃を受ける場面があります。それはまるで現代の戦闘場面のようで、低空をホバリングするヘリコプターから銃弾が雨霰(あられ)のように降り注ぎます。
これなども、16年の時を経て進化した襲撃場面になるのでしょうが、これが、ゴッドファーザーシリーズに相応しいかどうかは別の話になります。
本作が前二作を受け継ぐのは、映像の表現スタイルです。本作でも、明暗の対比を強調しています。
今は、個人がミレーレス一眼カメラを使って撮影し、編集の段階でカラーグレーディング(カラグレ)したりするのが流行っています。
カラグレ作業でよくいわれるのは、「ティール & オレンジ」という配色表現です。照明が当たった顔の部分などをオレンジ色にし、陰の部分を青緑色にする、といったものです。
本作を見ていると、確かに強い照明が当たった顔などは、オレンジ色っぽく見えます。しかし、これは、カラグレでその色を作っているわけではないでしょう。
撮影の段階で配色を計算し、暖色のライトを使っているのだと思います。
ライトが当たらない部分は、青緑色にせず、ほぼ真っ黒な色にしています。前回の更新で書いた、”Negative Fill”によって、光の反射を極力抑えているのだろうと思います。
強烈なコントラストは、観客にも強い印象を残しますが、撮影現場で演技をする俳優にしても、自分に強いライトを当てられることで、演技する世界に入り込むことができ、持っている力以上の演技ができたりするのではないでしょうか。
このあたりの映像作りは、日本の制作現場でも見習って欲しいですが、そこまで光の表現を狙っているとも思えず、期待が持てません。
三作目を見たあと、一作目をもう一度見ると、別の印象を持つかもしれません。