小説と映画で楽しむ『砂の器』

今週は、松本清張『砂の器』に接しています。

手始めに、小説の『砂の器』を読みました。過去に読んだような記憶もありますが、細部は憶えていません。そこで、Amazonの電子書籍版で読みました。上・下に2巻で、長編です。

本作は、1960年5月17日から1961年4月20日にかけ、読売新聞の夕刊に連載されたものです。清張が51歳の年に連載を始めたことがわかります。清張はデビューが遅かったため、デビューの10年後ぐらいの作品になります。

これまでに映画やドラマになっていますので、あらすじは知っている人が多いでしょう。ということは、誰が犯人であるかも了解していると思いますので、犯人についても書くことになるかもしれません。

小説は2日ほどで読み終え、昨日は、丹波哲郎が今西刑事を演じた1974年制作の映画『砂の器』を、AmazonのPrime Videoで見ました。私はAmazonの有料会員なので、追加料金なしで対象のビデオを見られます。この作品は、2時間22分の作品でした。

小説と映画の『砂の器』を比較しながら、気がついたことを書いていきましょう。

カポーティの『クリスマスの思い出』

昨年の12月、もしかしたらクリスマスの頃、朝日新聞の読者投稿欄「声」に載ったある投稿を思い出します。

保存していませんので、詳しい内容は思い出せません。投稿の主は60歳ぐらいの女性で、地方の町で夫とふたりで暮らしているとあります。子供たちは成長して別のところに住んでいるのでしょう。

夫婦共々家の中で過ごすことが多いらしく、夫は食事が終わると別の部屋へ行き、本を読むなどして過ごすようです。

似たもの夫婦で、妻である女性もひとりでいることが多いようです。いつもと違うことといえば、年に一度行くか行かない旅行ぐらいとありました。

これはこれで、落ち着いた静かな生活といえそうです。女性は年末になり、無性に寂しく感じると書いていました。自分が歳をとってこんな風に感じるようになるとは、若い頃は考えもしなかったと結ばれていました。

ある短編作品に接したことで、こんな投稿があったことを思い出しました。

『ティファニーで朝食を』原作を村上春樹訳で

昨年の大晦日、元日に放送されるオードリー・ヘプバーン主演の映画『ティファニーで朝食を』について書きました。

本作は何度も見ていますが、元日にまた付き合いました。それにつけても、ユニオシという日系人の描き方は、何度見ても目について仕方がありません。彼がとにかく醜悪に描かれているからです。

それがため、本作の原作(原題は”Breakfast at Tiffany’s”)(1958)をトルーマン・カポーティがどんな風に書いているか気になり、新年になって初めて読む本として、年初にネット通販最大手のAmazonに注文を入れました。

日本語に翻訳されたAmazonの電子書籍版はまだないようです。

本好きな人ほど紙の本を有り難る傾向があるようです。私にはその手のアレルギーがなく、電子書籍になじんだ今は、本作が電子版になっていないことを残念に思ったほどです。

結果的には、2008年2月25日に新潮社から出た単行本を中古で手に入れました。送料を含めて【300円】ほどで、Amazonポイントが【10】つきますから、290円ほどになります。

ま、こんな細かい話はどうでもいいですねf(^_^)

天城山中で少年が見た男と女

7月10日、伊豆半島天城峠近くを流れる川にかかる橋のたもとで、裸になった男の死体が発見されました。検死の結果、死後12日程度と見られています。

これは今年の話ではありません。大正15年にあったことです。しかも、現実に起きたことではなく、松本清張の創作です。

私はまたしても、清張の作品を、Amazonの電子書籍で読むことをしています。今読んでいるのは、清張の『黒い画集』という作品集です。

この作品集には、次の7編が収録されています。

清張が描く日陰を歩く男

また、松本清張の短編集を、Amazonの電子書籍で読みました。読んだのは、『延命の負債』です。

この短編集には、次の12作品が収録されています。

  • 延命の負債
  • 湖畔の人
  • ひとり旅
  • 九十九里浜
  • 春の血
  • いきものの殻
  • 津ノ国屋
  • 子連れ
  • 余生の幅

どの作品も、殺人事件は起きません。生身の人間の中で起こる心の葛藤が描かれています。

清張の作品は、ハッピーエンドで終わるものはほとんどないように思います。それが殺人事件を扱ったもので、復讐劇を主人公が成し遂げても、主人公が幸せを得ることはありません。

清張は恋愛の苦悩も事件で解決

今年も残すところ3週間ほどです。私は代わり映えしない一年でしたが、松本清張の作品に多く接した年でもありました。

清張作品は、昔、文藝春秋社から出た全集をおそらくすべて読んでいるはずです。これらは長編小説が主であったと記憶しています。その後も、時々は清張の作品に接していますが、今年は、Amazonの電子書籍版で短編小説にも多く接しました。

まだ、締めくくりというのには早すぎますが、安売りのキャンペーンにつられ、また、清張の長編『地の指』と短編集2冊を手に入れ、『地の指』を読み終え、短編集を半分ほど読み終えたところです。

本日は、まだ半分ほど残っている短編集『三面記事の男と女』から、ある作品を取り上げてみることにします。

この短編集には、次の5作品が収められています。

松本清張の『誤差』 私ならこう描く

前々回の更新では、駄目ドラマ『誤差』について書きました。これは、2017年5月10日にテレビ東京が制作して放送したドラマですが、原作は松本清張です。

そのドラマが本日午後5時58分からBSテレビ東京で放送されます。私はこの放送を事前に知り、清張の原作であることから関心を持ちました。ドラマが2年ほど前に放送されたときは見ていませんでした。

このドラマが、ネット通販最大手のAmazonが有料会員向けに提供するPrime Videoに登録されているの気がつき、見ました。その出来があまりにも悪く、本コーナーで取り上げました。

発見!駄目ドラマ『誤差』

今月12日に放送予定のテレビドラマを先回りして見ました。松本清張原作の『誤差』です。

私は日本のテレビドラマはまったくといっていいほど見ませんが、清張原作のドラマ化であることを知り、ドラマを見る前に原作を読もうと考え、ネット通販最大手のAmazonで電子書籍化されたものがないか確認しました。

『誤差』は短編小説で、1960年に週刊誌『サンデー毎日』の8月7日号に掲載されたそうです。清張は作家デビューが遅く、1958年『点と線』でベストセラー作家になりましたが、その時点で49歳になっています。

ともあれ、大ヒット作を出したすぐあとあたりに執筆された短編で、清張が意気揚々としていたであろう時期に書かれた作品になります。

『誤差』はほかの短編と共に、短編集『駅路』に収録され、1961年11月に刊行されています。

2005/12/12 トラヴィスそして郷田三郎

昨日の続きで、映画『タクシー・ドライバー』について書いていこうと思います。

作品の内容については、本コーナーで以前に書いたものやネットの関連サイトを参照していただくことにしまして、本日は、昨日仕上げたDVDの中で監督のマーティン・スコセッシが語る制作の裏側に話の焦点を絞ることにします。

自作DVDレーベル「アクターズ・スタジオ インタビュー マーティン・スコセッシ」
自作DVDレーベル「アクターズ・スタジオ インタビュー マーティン・スコセッシ」

この作品の脚本を担当したのはポール・シュレイダーです。といって、初めに監督のスコセッシに作品のイメージがあり、それをシュレイダーに脚本を頼んだのではありません。逆です。

『十万分の一の偶然』テレビ朝日のドラマは酷かった

昔、私は映画やドラマの脚本を書いてみたいと思ったことがあります。そんなことがあり、その頃はテレビのドラマもよく見ましたが、今は日本のドラマはほとんど見ません。見てもがっかりするだけだからです。

NHKBSプレミアムで放送されるドラマは割と見ています。その多くは、アガサ・クリスティ作品を原作とするものや昔の『刑事コロンボ』シリーズです。これらも、粗を探せば見つかりますが、日本のドラマほど酷いものはありません。

こんな私ですが、この日曜日の夜に放送されるドラマを見る気になりました。松本清張原作の『十万分の一の偶然』が放送されることを知ったからです。

今回の放送は再放送で、初回の放送は、清張が亡くなって20年を記念する2012年12月15日だそうです。このときの放送を私は見ておらず、今回初めてとなります。