カポーティの『クリスマスの思い出』

昨年の12月、もしかしたらクリスマスの頃、朝日新聞の読者投稿欄「声」に載ったある投稿を思い出します。

保存していませんので、詳しい内容は思い出せません。投稿の主は60歳ぐらいの女性で、地方の町で夫とふたりで暮らしているとあります。子供たちは成長して別のところに住んでいるのでしょう。

夫婦共々家の中で過ごすことが多いらしく、夫は食事が終わると別の部屋へ行き、本を読むなどして過ごすようです。

似たもの夫婦で、妻である女性もひとりでいることが多いようです。いつもと違うことといえば、年に一度行くか行かない旅行ぐらいとありました。

これはこれで、落ち着いた静かな生活といえそうです。女性は年末になり、無性に寂しく感じると書いていました。自分が歳をとってこんな風に感じるようになるとは、若い頃は考えもしなかったと結ばれていました。

ある短編作品に接したことで、こんな投稿があったことを思い出しました。

それを思い出させたのは、本コーナーで前回取り上げたトルーマン・カポーティの作品集『ティファニーで朝食を』に収録されている『クリスマスの思い出』という短編作品です。

カポーティがこの作品を書いたのは1956年です。

私が読んだ『ティファニー_』の翻訳をした村上春樹が書いた「あとがき」によれば、カポーティが『ティファニー_』を書き始めたのは1955年頃のことだそうです。

その後、中断するなどして、書き上げたのが1958年ですから、同じ時期に『クリスマスの思い出』を書いたことがわかります。

作品集に収録された『ダイアモンドのギター』にもいえることですが、カポーティは、歳の離れた者同士を友情で結びつけることをよくします。

『クリスマスの思い出』でも、主人公の「僕」は7歳の少年で、60歳を超す独身女性を無二の親友にさせています。

男が少年だった20年以上昔、彼女との間に結ばれた友情を思い出すように語られ始めます。

近くに森があるような田舎町に、少年は暮らしていました。少年と彼女は従弟同士で、親戚の人たちと暮らしています。彼ら以外は偉そうに振る舞う人ばかりで、少年は彼女と長い時間を過ごします。

ふたりに茶目っ気を振りまくのが、クイーニーの名を持つ小さな犬です。

季節は11月からクリスマスにかけてで、その時期になると、ふたりでお金をかけない特製のクリスマスケーキを作るのが何よりの楽しみです。彼女はお金をわずかしか持たず、少年ももちろんお金がなく、ふたりでクリスマスケーキ作りのため、一年をかけてお金をやっとの思いで貯めるのです。

少年をバディーと呼ぶ彼女は、少年にこんなことをいいます。

「お前の手は以前はもっとずっと小さかったような気がするねえ。お前が大きくなっていくことが、私には悲しい。お前が大きくなっても、私たちはずっと友達でいられるだろうかねえ」。(206頁)

バディーに自転車を買ってやりたいといつも思いつつ、そんな金が彼女にあるはずがなく、嘆きたい気分になったりします。

彼女が60年以上生きてきて、一度も経験したことがないこととして、「僕」は次のように書きます。

レストランで食事をしたこともなければ、家から五マイル以上離れたこともない。電報を打ったこともなければ受け取ったこともないし、新聞の漫画ページと聖書以外のものを読んだことがないし、化粧品をつけたこともないし、 呪いの言葉を口にしたこともないし、 誰かが痛い目にあえばいいと願ったこともないし、故意に嘘をついたこともないし、腹を減らせた犬をそのままうっちゃっておいたこともなかった。(193頁)

バディーと彼女の暮らしぶりを見て、それを自分に当てはめてみたりします。

私の両親は仕事で忙しかったため、私が生まれると子守の少女を家に住まわせました。8歳年上の姉と同じ年頃でした。私の子守をした人は結婚するまで家に一緒に暮らし、中学校まで私の家から通いました。

その人は私の家から少し離れたところに住んでおり、数年前までは毎日家にやって来ました。数年前に交通事故に遭い、一年近く入院し、その甲斐もあって、今は歩けるようになりました。それでも、自転車に乗れなくなってしまい、今は週に1日、決まってやって来ます。

実の姉が2000年に亡くなり、今はこの人が自分の姉に近い存在です。

小さかった頃に私を自転車に乗せ、どこへでも連れて行ってくれました。私はふざけて、この人のおさげ髪を引っ張ったりしたものです。それでも私を怒ることはありませんでした。

カポーティの短編を読んでいるうち、胸が苦しくなりました。少年と彼女の友達関係が長く続くことがないだろうと思ったからです。

今から百年近く前の話で、その頃に60歳を過ぎていれば、今で考えている以上の老人でしょう。人には寿命があり、60を過ぎた彼女の寿命がいつ終わるかわかりません。

ふたりに愛嬌を振りまいた犬のクイーニーは、物語が描かれた翌年の冬、馬に蹴られて死にます。前の年のクリスマスには、彼女が用意したとっておきのプレゼントの牛の骨に喜び、穴を掘って埋めたりしていたのにです。

冒頭に紹介した投稿の女性も、この世のはかなさに気がつき、それでもどうしようもないことを知り、それが女性を悲しい気持ちにさせているのかもしれません。

私もそれなりに歳をとり、同じような思いをすることが増えました。

夜になり、部屋の電気を消して布団の中に入ってると、ときとして、胸の底が苦しく感じることがあります。

どんな生き物にも寿命はあり、必ず終わりが訪れます。明るい昼間には意識しない心の奥底に潜む悲しみが、夜の暗さに乗じて首をもたげてくるようです。

ふたりはクリスマスにプレゼントを交換します。期せずして、ふたりの贈り物は同じでした。丹精込めて作った凧です。彼女は凧あげの名人です。

「僕」は「彼女がこれまでやったこと、あるいは今やっていること」として次のようなことを挙げています。

この土地で人目に触れた中でいちばん大きなガラガラ蛇を鋤でついて殺したし(ガラガラが十六も付いていた)、嗅ぎ煙草をやっているし(こっそり隠れて)、ハチドリを手なずけようとして(やってごらん、むずかしいものだから)指に乗るところまでいっているし、七月でも背筋の凍りつくようなおっかないお化けの話をするし(僕らふたりとも幽霊の存在を信じている)、独り言を言うし、雨の中を散歩するし、町でいちばん綺麗な椿を栽培しているし、昔のインディアンの薬の配分法に精通しており、魔法のいぼ取り薬だって作ることができる。(193-194頁)

こんなひとつひとつを、20年以上たった今も思い出せるほど、彼女と過ごした少年の日、ふたりは濃密な時間を過ごしたのでしょう。

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