天城山中で少年が見た男と女

7月10日、伊豆半島天城峠近くを流れる川にかかる橋のたもとで、裸になった男の死体が発見されました。検死の結果、死後12日程度と見られています。

これは今年の話ではありません。大正15年にあったことです。しかも、現実に起きたことではなく、松本清張の創作です。

私はまたしても、清張の作品を、Amazonの電子書籍で読むことをしています。今読んでいるのは、清張の『黒い画集』という作品集です。

この作品集には、次の7編が収録されています。

遭難

証言

・天城越え

寒流

・凶器

坂道の家

この短編集を読み始めたのは今月の半ばです。試し読みのつもりで無料サンプルを電子書籍端末のKindleにダウンロードしました。短編集の最初に収録されている『遭難』を途中まで読むことができます。

話が動き、いよいよというところでサンプルは終わり、続きが読みたくなります。すぐに購入手続きに入ってもよかったのですが、年末年始を控えていたため、もしかしたら割引サービスがあるかもと期待し、しばらく待ちました。

予想通り、27日から新年9日にかけ、電子書籍が最大で40%以上割り引かれる「Kindle年末年始キャンペーン」が始まりました。が、その対象に清張作品は含まれておらず、それを知ってすぐに、正規の価格で作品を取得しました。

今は、4作品目の『寒流』の後半か終盤を読んでいます。

今回は、この作品を読んでみたいと思ってこの短編集を手に入れた『天城越え』を取り上げることにします。この作品は過去に映画やドラマになっていますが、私は見ていません。また、原作もおそらく読んでおらず、筋を知らない話に引き込まれました。

この作品は、昭和34(1959)年11月、『サンデー毎日』の特別号に『天城こえ』のタイトルで掲載されたそうです。

主人公は、50手前の男で、静岡県西部の中都市で印刷所を経営しています。男が生まれたのは、伊豆半島南部に位置する下田です。男は、静岡県警のある部門から印刷の仕事を受け、それがきっかけで、30数年前に自分が関わった事件を思い出します。

男は、下田の鍛冶屋の息子として生まれています。兄弟は男の子ばかり6人で、男は3男です。長兄は家業を嫌い、家を出て、県内の印刷屋で見習いとして働いています。

父母はそろって酒飲みで、母が口やかましかったため、少年はいつか家を出ようと機会を窺っていたのでした。

男が15歳頃になった6月28日の朝早く、誰にもいわずに家を出ました。あてはなく、行き当たりばったりの出帆です。紺の着物を着、足は草履です。帯に巻き付けた十六が少年の全財産です。

とりあえずは天城山を越えて向こう側へ行き、未知の世界で生きていこうという覚悟です。

そのつもりで家をあとにしたものの、山道の独り歩きが続くうち、少年の希望はしぼみ、行く手の風景に不安を感じるようになります。

空には雲が立ち込め、いつ雨が降り出すかわからなくなります。

                               「写真AC」の素材使用

伊豆の天城周辺といえば、私も思い出がなくはありません。あれは、中学を卒業し、高校入学を控えた長期休みの時期であったと記憶しています。

私の姉は2000年10月に亡くなっていますが、その姉が、前年に結婚しています。私にとっては義兄にあたる姉の夫と、天城山周辺へ一泊二日の旅行をしたのです。

おそらくは天城峠の近くでバスを降り、そこからしばらく歩きました。当日は天気が良かったものの、風が強かったのを憶えています。被っていた帽子が飛ばされるほどでした。

宿は予約しておらず、裏に小さな滝が流れる小さな宿に泊まりました。今となっては良い思い出です。

清張がこの作品を書くにあたり、伊豆を舞台にした川端康成『伊豆の踊子』をどの程度意識したのかはわかりません。

山道を独りで行く少年は、天城のトンネルをくぐり、向こう側に出ます。トンネルを出た先にも山並みが連なり、風景が様変わりしたわけではありません。それでも、15、6年過ごした自分の家がある地域とは違って見え、他国にいるような気分になったりします。

少年は途中で、呉服屋だという男と出会い、一緒に道を歩きます。その途中、道の向こうから大きな図体をした男が近づいてきます。見るからに一癖ありそうな風袋をしています。

右肩には、古いトランクと風呂敷包みを担ぎ、左肩には番傘を吊り下げています。

近づいた大男は、屈強そうな体を持ち、垢で汚れた顔には、無精ひげが目立ちます。大男は、少年らとすれ違う時、じろりと見ました。

大男とすれ違い、しばらくしてから、呉服屋は少年に、「あの男はおそらく流れ者の土工だ。何か悪いことをしでかしそうだから、あの手の人間には気をつけろ」というようなことをいいます。

少年は、修善寺まで呉服屋の男と一緒に行けると勝手に考えていたものの、途中で、呉服屋の男は少年と分かれ、横道に入っていきます。少年はまた独り歩きです。

陽が傾き、空が雲に覆われていたこともあり、辺りが次第に薄暗くなります。

少年は、あてもなく進むことを諦め、逆戻りして家に帰ることを考え始めます。空はいよいよ雲が厚みを増し、いつ降り出してもおかしくなくなります。

そう考え始めた少年の行く手に、ポッと光るものが見えます。何か光っていたわけではなく、向こうから速足で近づく人影が、少年には光っているように見えたのです。

よく見える距離まで近づくと、それは若い女で、頭にかぶった手のぐ位の下の顔には白粉が塗られ、が白く、唇には真っ赤な口紅をつけています。

歳は24、5で、端折った着物の裾からは、紅い襦袢が覗いています。足はなぜが裸足で、先を急いでいます。すれ違ったとき、大人の女の匂いが漂います。

少年は、立ち止まり、向きを変えて、女のあとを追い始めます。

このあと、少年がどんな行動を採り、それから30数年のち、男が少年時代に経験したあの日のことをどのように振り返るかなどにつきましては、原作を読んで確認してみてください。

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