村上春樹(1949~)の長編小説『1Q84』を読んでいます。
私は一冊にまとめられたAmazonの電子書籍版で読んでいますが、紙の本はBOOK1からBOOK3まであり、それぞれが前編と後篇に分かれています。
紙の本で本作を読もうと思ったら六冊になり、本作だけで置く場所を取りそうです。
前回の本コーナーで本作の途中経過のようなことを書きました。
今回はその第二弾になります。昨日時点で720ページまで読み終わりました。パーセンテージにすると42%です。ここまで、一日にだいたい10%ぐらいずつ読んできましたので、このペースで読めば、読み終わるまで、本日を入れて、6日ほどかかる計算です。
主要な登場人物は前回の更新で書いたように、「青豆(あおまめ)」という実に変わった苗字を持つ女性と、「天吾(てんご)」という青年です。
私は予備知識を一切持たず読み始め、前回本作を取り上げたときは、全体の20%を読み終わった段階でした。
本作は青豆と天吾を、それぞれの章にして、きっちり、交互に描いています。42%読み終わった時点でもまだふたりは「再会」していません。この先、「再会」するのかどうかわかりません。
20%時点で予測したように、青豆と天吾は10歳の年に、同じ小学校の同じクラスで過ごしています。
その当時のふたりは、それぞれの親の事情で、特別な境遇にありました。
天吾の父は満州からの引揚者で、天吾が育つ頃は、NHKの受信料の集金人をしていました。多くの人が望まないような仕事を父は黙々としています。
日曜日になると天吾を集金に連れて歩きました。そのことも含め、天吾は父を嫌い、早く父から逃れたいと考えていました。
一方の青豆は、「証人会」というキリスト教系の宗教団体の信者となっている両親に育てられています。青豆も毎週日曜日は、信者の母に手を引かれ、幼い頃から布教活動のため、家々を訪問することに付き合わされていました。
青豆は小学校で誰からも阻害され、ひとりで過ごしていました。給食の前に青豆は、宗教の尊師のような「お方さま」に感謝するような祈りを捧げ、クラスの中で完全に浮いた状態です。
そんなクラスの中にあり、天吾はできることなら、青豆と心を通わせたいと心に描いています。しかし、それを行動で示すことができないまま、青豆は小学校5年のとき、学校からいなくなります。
誰からも心を閉ざしていた青豆が、放課後の教室で天吾とふたりきりになったとき、天吾の傍に近づき、天吾の眼を見て、左手を握りました。
青豆と天吾は、それぞれに、そのときの記憶を二十年後まで持ち続けています。互いが互いに強い想いを寄せながら、「再会」のときを信じているというわけです。
本作を読み進めるうち、もしも映像作品にするのであれば、それぞれを誰が演じたらいいだろうと想像しました。
天吾は30歳目前の青年で週三日、予備校で数学の講師をしています。その傍ら、小説を書いていますが、まだ一冊も出版できていません。
小説家志望というと痩身のイメージが持たれやすいですが、天吾は高校まで柔道に打ち込んでおり、背が高く、がっちりした体格です。
私はふと、小島よしお(1980~)が適任のように思いつきました。身長も高く、体格も申し分ないでしょう。
「クールでタフ」な青豆に誰がいいかは迷いました。
しばらく考え、「榮倉奈々」(1988~)が適しているように感じました。小島とは歳が少し離れているように思いますが、元同級生に見せることもできるでしょう。
榮倉も女性としては身長が高めです。体格的にも、青豆を演じるのに似合っていそうです。スポーツクラブのインストラクター役も違和感なくできそうです。
42%まで読み進める中で、オウム真理教がモデルとしか思えない宗教団体が登場し、今後の成り行きに大きな影響力を持ちます。実際、村上はオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件の被害者に直接取材し、一冊の本にまとめています。
この宗教団体の成立に大きく関わった深田という大学教授の娘に深田絵里子がいます。彼女は17歳で、「ふかえり」の名で小説を著わし、それがベストセラーとなります。
17歳の「ふかえり」に誰が相応しいか私には思いつけません。
過去のタレントでいいのなら、デビュー同時の岡田奈々(1959~)はどうでしょうか? カメラの見習いのようなことをした私は、彼女に撮影所で会ったことがあります。
40%ぐらいになって、「牛河」という実に興味深い四十男が登場してきました。「牛河」という男は、村上の『ねじまき鳥クロニクル』(1994・1995)にも登場します。
『ねじまき鳥_』のときは、千葉の船橋在住という設定であったと記憶します。
身長は150センチぐらいで、寸胴です。左右が非対称で、頭は扁平です。脳天には毛が少なく、側頭部に残った毛は、100人の内98人には陰毛のようにか見えない毛です。歯並びが極端に悪く、口には唾液が溜まっています。着ている背広はしわだらけです。
牛河は饒舌で、いったんしゃべり始めると、いつ終わるのか見通しが立ちません。言葉遣いは丁寧ですが、初対面の天吾に馴れ馴れしい話し方をします。
村上は牛河の見かけをこれ以上ないほど醜悪に描きます。そして、その描写に喜びを感じていることを窺わせます。『ねじまき鳥_』のときもそうでした。
『1Q84』の実写版を作るとしたら、牛河を誰に演じさせるか難航しそうです。
一度更新を終えてから、牛河が演じられそうなタレントが思い浮かびました。出川哲朗(1964~)です。彼なら、饒舌な台詞も似合いそうです。
「ふかえり」の父とかつて親交を持った文化人類学者で、今はアカデミックから離れ、東京・青梅の山の中で暮らす「戎野(えびすの)」という60代の男性が登場します。
ちなみに、戎野が住んでいる家に行くには、青梅線の二俣尾(ふたまたお)駅で降りる設定です。本当にその駅があるのかと思ったら、本当にありました。
「ふかえり」が「戎野」の前に現れ、7年間、「ふかえり」の親代わりのようなことをしています。その間、「ふかえり」の両親とは一切の連絡がつきません。
この「戎野」の役は、木梨憲武(1962~)がいいのでは、と思いつきました。
ほかの登場人物に、天吾を「騒動」に引きずり込む一碧狼の編集者・小松がいます。彼には、ワイドショーの司会をする宮根誠司氏(1963~)が合っているのではと感じました。
全編を貫く音楽はヤナーチェク(1854~1928)の『シンフォニエッタ』(1926)です。
天吾が高校2年のとき、楽器の経験がなかったのに、コンクールでこの曲のティンパニを担当しています。
それを聴いた可能性のある青豆が、この曲のティンパニの音色が心身に刻印され、本作の冒頭部分、大渋滞する首都高速のタクシーの車内で偶然聴き、感応するのです。
文字で描かれる小説は、それを読む人が、自分の頭の中で自分好みに描写して愉しむべきです。今回は、私の思いつきで配役を当ててみましたが、これはすぐに忘れてください。私も忘れることにします。
本作には「ふたつの月」と「リトル・ピープル」という「謎の現象」があります。この先、読み進めることで、その謎が解かれていくでしょう。
想像できそうな結末にならないことを願いながら、残り、60%を読むことにします。