村上春樹(1949~)の作品を読むことに時間を割いています。
今は、村上の12作目の長編『1Q84』を読んでいるところです。紙の本として、2009年と2010年に出版されています。私は紙の本の実物は見ていませんがBOOK1からBOOK3まであり、しかも、それぞれ前編・後篇の二冊構成になっているということは、全部で六冊になりましょうか。
私はAmazonの電子書籍版で読んでいます。すべてが一冊になった号本版で、ひと続きに読むことができます。
昨日時点で、15章の途中まで読みました。電子書籍の場合は、フォントの大きさでページ数が変わりますが、350ページです。これで、全体のまだ20%です。
ということはまだ5分の1程度読み終わっただけで、残りが5分の4あることになります。
ここまで読んできて感じたことを書いておきます。
主要人物には、スポーツのインストラクターをする30歳目前の「青豆(あおまめ)」という実に変わった苗字を持つ女性がまずひとりいます。ここまで読んだ限りでは、下の名前はわかりません。
都立高校を出たあと、体育大学で学んでいます。生まれつきスポーツが万能で、高校と大学時代はソフトボールに打ち込んでいます。
大学を卒業後、スポーツ飲料などを扱う会社に就職し、そこでもソフトボールの選手を続け、大会でも好成績を残しています。この生活を4年ほど続け、今は東京・広尾にあるスポーツクラブで筋力トレーニングとマーシャルアーツなどを教えています。
女性が男性に対して使える唯一最大の護身術として、男性の睾丸(こうがん 精巣)を無慈悲に蹴り上げる術を教え、生徒には好評でした。しかし、クラブの対面状差し障りがあるとして、やめさせられました。
もうひとりの主要人物は「天吾(てんご)」という名の、やはり30歳目前の男性です。こちらは、天吾が下の名前で、苗字が「川奈」であることが途中でわかりました。
読み始めた当初は、彼が作家を目指していることもあり、ペンネームかもしれないと考えたりしました。
彼は、一匹狼的な編集者の小松に文章の腕を見込まれ、「詐欺」的な企みに引き込まれています。小説の新人賞コンクールに応募されたひとつの作品を天吾が改良し、その小説を書いた少女に賞を取らせ、権威主義が蔓延(はびこ)る文壇の連中に一泡吹かせようという魂胆です。
天吾はその話に躊躇します。その一方で、それに使われる作品に魅力を感じ、自分の手で完璧な形にしたいという欲求が強まります。
青豆と天吾の章が規則正しく、交互に登場し、それぞれの人物の周りで起きることが別々に描かれます。
舞台は1984年の東京です。今のところ、天吾にはその認識がないようですが、青豆は、自分が知っている現実と目の前の現実に歪みのような違和感を感じています。
そんなことから彼女は、自分が生きている時代の1984年に「1Q84」と名づけます。村上にとっては、何か、印象深い年だったのかもしれません。
ここまで、青豆と天吾は同じ年の東京で生活をしていますが、交わりは一切なく、互いは互いの存在を知りません。
しかし、ここまで書かれた中にも、実は、ふたりは過去にどこかで出会っていることを匂わせています。
本作の出だしは青豆の章で、青豆は大渋滞に巻き込まれた首都高速の個人タクシーの中にいました。カーラジオから流れてきたのはヤナーチェク(1854~1928)の『シンフォニエッタ』(1926)です。
先まで読み進めないと断定的なことはいえませんが、これが、青豆と天吾を結ぶ糸のひとつでしょう。
祝祭的なファンファーレに打楽器が、心臓の鼓動のように、土俗的なリズムを刻んでいます。その旋律を耳にした瞬間、青豆の中で眠っていた何かが呼び覚まされたのだろうと思います。
同じとき、天吾は別のところで暮らしています。育ったのは千葉県の市川ですが、高校も千葉の県立高校だったか、それとも、都内の高校だったかはわかりません。
天吾は父とふたり暮らしをしたのち、毛嫌いする父から逃げるように、高校の寮で生活しています。彼は体格がよく、柔道に打ち込んでいます。
高校二年のそのとき、彼は怪我をして、柔道の練習をできずにいました。その彼に学校の音楽教師が声をかけます。ティンパニを担当する生徒が演奏会に出られなくなったので、代わりにティンパニを演奏してくれないか、と。
天吾はそれまで楽器の演奏をしたことがありません。しかし、打楽器のリズムに、天吾の熱中する数学と相通じるところがあることに気づき、短期間で、教えてくれた音楽教師が驚くほどの腕前になります。
天吾の高校の音楽部がコンクールに出場します。天吾らが演奏した曲がヤナーチェクの『シンフォニエッタ』でした。
もうひとつ、青豆と天吾を結び付けそうなのは、小学校時代の日曜日の過ごし方に共通点があることです。
天吾の父は満州からの引き上げ者で、そのときは、NHKの受信料の集金人をしていました。学校が休みの日曜日は、天吾を集金に連れて歩きました。
そのことを天吾は嫌い、それでも嫌々父について集金先の家庭を回ることをしていました。そのため、日曜日が巡る来るたび、憂鬱になりました。
天後は父について回る集金の道すがら、同級生の少女を見かけます。少女も母親に連れられ、家々を回っていました。少女の母はある宗教の信者で、布教活動をしていたのです。
少女はクラスの中でみんなから無視されていました。彼女が宗教の信者の娘で、自分たちとは異質な存在だったからです。天吾は、彼女を仲間外れにする友達から離れ、できれば、彼女を助けたいと思っていました。
天吾の子供時代は書かれていますが、青豆の子供時代は詳しく書かれていません。恵まれた少女時代でなかったことを匂わせるだけです。
30歳を前にしても、青豆は独身です。天吾もまだ結婚していません。
青豆は、東京・麻布にある由緒ある屋敷に住む老婦人から、結婚する気はないのかと訊かれます。青豆は、結婚したい人はいるけれど、その人は、自分の存在を知らないと謎めいた答え方をします。
その青豆が、「お方さま」と祈る場面があります。「お方さま」というのは、天吾が小学校の同じクラスにいた信者の娘が給食の前に祈ったときにも必ず聞いた単語でした。
自分が信心する宗教の一番偉い人を「お方さま」と敬うのでしょう。
そういえば、少し前に読んだ村上の短編集『神の子どもたちはみな踊る』(2000)の表題作である『神の子どもたちはみな踊る』でも、「お方さま」の単語が登場しました。
その短編の主人公である善也(よしや)は母親とふたり暮らしをしています。母はエキセントリックで、ある宗教の熱心な信者です。
その母がまだ幼い善也に、「お前のお父さんはお方さまなのよ」といってきかせました。
はじめに書いたように、本作はとても長いです。今後、読み進めることで、青豆と天吾がどのように交わるのか、楽しみにとっておくことにします。
作家デビューしてしばらく、村上は一人称で作品を書きました。それが本作は三人称です。村上は作品を書いていくことで、小説の書き方を自分なりに発展させていったのでしょう。
初期の作品に比べ、読みやすいように感じます。
何か進展があったら、本作の途中経過を「第二弾」として、本コーナーで取り上げるかもしれません。
現実の1984年、あなたは何をしていましたか? 何か思い出すことはありますか?
個別の思い出はありませんが、私はその一年前の4月から、NHK FMで平日午後6時から生放送していたリクエスト番組「サンセットパーク」の洋楽の日を中心に聴き、番組宛にリクエストカードを書いていたことを思い出します。
ハガキの裏には、途中から、アクリル絵具で絵を描くようになりました。
自分がリクエストした曲を確認することで、当時のことが思い出せるかもしれません。