今年も残すところ3週間ほどです。私は代わり映えしない一年でしたが、松本清張の作品に多く接した年でもありました。
清張作品は、昔、文藝春秋社から出た全集をおそらくすべて読んでいるはずです。これらは長編小説が主であったと記憶しています。その後も、時々は清張の作品に接していますが、今年は、Amazonの電子書籍版で短編小説にも多く接しました。
まだ、締めくくりというのには早すぎますが、安売りのキャンペーンにつられ、また、清張の長編『地の指』と短編集2冊を手に入れ、『地の指』を読み終え、短編集を半分ほど読み終えたところです。
本日は、まだ半分ほど残っている短編集『三面記事の男と女』から、ある作品を取り上げてみることにします。
この短編集には、次の5作品が収められています。
・記念に
・不在宴会
・密宗律仙教
おそらくは、最後の『密宗律仙教』がそれにあたるのでしょうが、短編集の紹介に、のちのオウム真理教事件を予言するような作品が収められていると知り、それを主に読んでみたいと思い、手に入れました。
『危険な斜面』はほかの短編集に収められたものをすでに読んでおり、『たづたづし』を読み終えたあと、『危険な斜面』は飛ばして次の『記念に』に移りました。
ちなみに、『たづたづし』というのは少々風変わりな作品に私は感じました。肝心なことを書いてしまいますと、これからこの作品に接しようという人には不親切になりますので触れませんが、こんなことがあるのだろうか、と読みながら感じました。
今回は、本短編集のちょうど真ん中に収められている『記念に』についてしばらく書くことにします。
登場人物は極めて限られます。ですので、映像化するのであれば、出演する役者の数も制限できますので、予算的には楽かと思われます。
主な登場人物は、主人公の寺内良二と福井滝子の二人です。この男女の心模様が描かれ、事件が起きなければ、恋愛小説として成立するような話の展開になっています。
良二は26歳で、全国に展開する銀行で外回りの仕事をしています。目下独身で、銀行の外で、新たな顧客の獲得や、顧客の要望に応える仕事をしています。彼は実家に住んでおり、優柔不断なところが玉に瑕といったところです。
10歳年の離れた兄には、その点をたびたび指摘され、良二としても、それは自覚しています。
良二が外回りの仕事で出会ったのが滝子です。歳は滝子が4歳上で、出会ったときは31歳になっていました。目下は一人住まいをしていますが、結婚生活を2年経験しており、夫と別れた離婚歴を持つ女性です。
私個人の話をしてしまいます。
唯一の姉弟だった姉は、2000年10月に亡くなりましたが、姉とは8歳違いでした。良二が兄と10歳違いとあり、姉を重ね合わせました。私の場合は、姉と私との間に姉がもう一人いるはずでしたが、死産で、この世に生を持つことはできなかったのでした。
姉はしっかりし者で、正反対の私はいたって頼りなく(逆に見れば母性本能をくすぐらずにはおかない?)、依頼心が強く育ち、何かあると姉に頼むようなσ(^_^) ボクちゃんでした。母が中途失明の全盲だったこともあり、私が子供の頃は、姉に連れられて遊園地などへ行ったものです。
良二と滝子は、滝子が4歳上で、しかも、結婚歴があり、良二は付き合い始めたときから、滝子に頼るような気持ちが強かったでしょう。滝子も良二のそんな思いを優しく受け止め、恋人同士でありながら、母性で良二を包むような接し方をしています。
成人の男女ですから、性愛行為は欠かせません。ここでも主導権を握るのは滝子です。年齢的にも熟しており、おそらくは滝子が初めての相手だったのかもしれない良二にとっては、代えがたい存在になったのでした。
それだから、勢い、良二は滝子と所帯を持ちたいと考え、それを両親や兄に話しますが、滝子が4歳上であることや、離婚歴があることなどで、反対されます。
それを素直に滝子に伝えると、滝子は快く受け止め、良二が良縁に恵まれたなら、喜んで身を引くとまでいってくれました。
二人の交際は続き、滝子は良二に弁当を作り、毎朝、駅で手渡すようになります。はじめは嬉しく感じた良二でしたが、次第にそれが重荷に感じるようになっていったのでした。
滝子の手作り弁当だけでなく、滝子の自分への接し方が疎ましく感じるようになる良二です。
このまま話が続けば、どこにも事件は起きようがなく、読者としては、どんな形でこの話が終わるのか気になり始めます。
清張の作品にいくつか接すれば、作品の特徴はすぐに気がつきます。あるところまで話が進み、急展開して、終わることです。話の構成としては、「序破急」になるでしょう。
本短編集の前に読んだ『地の指』は上下2巻の長編でしたが、本作は、おそらく清張作品の中でも死ぬ人間が多い作品の一つといえるでしょう。7、8人死んでいるはずです。
中には自殺と思われる死もありますが、これだけの人間が事件に巻き込まれながら、あっけないラストです。論理立てて真相を詳しく書くことはせず、犯人の一方的な供述で事件の全体像を語らせて終わりです。
このあと、オウム真理教事件を予言したような作品ともいわれる『密宗律仙教』を読み、感じるところがありましたら、また、本コーナーでとりあげることになるかもしれません。