台風や記録的な雨に見舞われ、身の危険を感じることが増えています。自分が住んでいるところから離れたところで起きた災害を見ていた自分に、いつその災難が降りかかるかわかったものではありません。
強い台風が近づくと、昨今のNHKは、公が国民の生命を守る役割を放棄し、「生き延びたかったら自分でなんとかしろ」とばかりに、NHKのアナウンサーは「命を守る行動を」と連呼するように変わりました。
しかし、そう命じられても、それに従うことができないで困っている人に思いを致すべきです。
昨日、Yahoo!ニュースに上がっていた次のニュースもそんなケースのひとつといえましょう。
記事が伝えているのは、台風19号で大きな被害が出た宮城県丸森町に暮らす家族です。
台風が近づいて雨が恐ろしい勢いで降り続き、テレビでは早急の避難を呼び掛けていたそうです。しかし、それを見る女性は躊躇せざるを得ない状況に追い込まれていました。
彼女の長男は自閉症で、長女は手足が不自由だったからです。そうしているうちにも危険は迫り、長女の部屋のドアは土砂によって開かなくなりました。さすがに身の危険を感じた女性は、同居している母と長女を町役場へ避難させました。
依然として自宅に留まり続けたのは、女性と同居する父、そして、長男の3人です。決死の覚悟といえましょう。
午後11時頃には大きな音と共に二度目の土砂崩れが起き、長女の部屋に大量の土砂が流れ込みました。廊下には水が漏れだし、あとは運を天に任せる心境であったろうと思います。
彼女の長男は自閉症で、自室を出るのにも抵抗を持ちます。ですから、見知らぬ人が多数同居せざるを得ない避難所へ息子を連れて行くのは考えられないことなのでした。長男は自閉症特有の生活ぶりで、毎日決まりきったペースで進まないと、途端にパニックを起こします。
このような家族を抱える人は、避難せざるを得ないような災害を一番恐れているでしょう。
もうひとつ、ネットで見つけたニュースを紹介します。次は、NHKオンラインのNEWS WEBに上がっていたニュースです。
最近は「ひきこもり」について取り上げられることが増えました。ひきこもりを起こさず、“正常”に生活している人(「正常」の度合いは人によって異なるでしょうが)は、ひきこもりをする人々に冷たい視線を向けがちです。
それが端的に表れたのが、今年6月はじめに起きた衝撃的な事件です。農林水産省で事務次官を務めた元エリート官僚の熊澤英昭容疑者が、自宅で実の息子をめった刺しにして殺す事件がありました。
事件そのものも衝撃的でしたが、病的な世の中を映したのが、熊澤容疑者をマスメディアが好意的に報じ、それに影響を受けたと思われる多くの一般国民が、マスメディアと同じ考え方であることがわかったことです。
実の父に、体を数十カ所刺された末に絶命した息子は、ひきこもりの傾向があったとされています。
障害者を襲った事件としては、3年前の7月末に神奈川県相模原市で起きた事件があります。
この事件では、被告が障害者福祉施設へ行き、持っていた刃物やハンマーで入所者を次々襲い、19人の入所者の命を奪い、施設の職員も含めた26人に重軽傷を負わせています。
被告は犯行を起こす前、「障害者は不幸を作ることしかできない」などとつづった手紙を衆議院議長公邸へ持参していたことが明らかになりました。
私は当時のネット、中でも大規模な掲示板「2ちゃんねる」でどんな書き込みがあったのか確認していませんが、漏れ聞くところでは、被告に同調するようなものが少なくなかったようです。
そうした考えを持つ者は一定数いると諦めざるを得ないのかもしれません。熊沢容疑者が息子を惨殺した事件では、容疑者に同情する者が相模原の事件に比べて一般化し、たとえばYahoo!ニュースの記事に書き込みをする者の大半が、殺された息子に同情する者が皆無であった印象です。
しかし、2日前に上がったNHKのニュースを見ますと、もしかしたら熊澤容疑者に殺された男性にも、何らかの自閉症的傾向があったのではないかと私は考えます。
事件のあと、事件を取り上げた『週刊文春』の記事を読み、今も保存していますが、その短い記事の中にも、学校時代の男性を知る元同級生の話として、男性が強いこだわりを持つことを語っており、私の考えを補強してくれています。
世の中で自閉的傾向を持つ者が家族にいる割合は、想像するより多いかもしれません。そして、そんな家族を持つ者が、さまざまな問題に直面させられたとき、どう考え、行動するかです。
本日前半で紹介した家族では、自分の身に危険が迫っていたにも拘わらず、自閉症の息子と自宅に留まりました。今回は結果的に生き延びることができましたが、息子と共に命を落としても不思議ではない切羽詰まった状況だったといえましょう。
後半で紹介した息子殺しの熊澤容疑者は、自閉的傾向を持っていたのかもしれないひきこもり傾向の息子を、自分の判断で“私刑”にしてしまいました。
思いがけず命を奪われた男性にもいい分はあったでしょう。今回紹介したNHKの記事にも、「たびたび、父親と衝突。騒ぎを聞いた近所の人が警察に通報し、そこで精神保健福祉センターに行くよう勧められました」といったことが書かれています。
ひとつ屋根の下で暮らしていれば、世間からは円満家族と思われている家族であっても、内情は外部にはわからないもので、他人にはいえない問題を抱えていたりするものです。
元エリート官僚の熊澤容疑者が導き出した回答が息子の命を奪うことで、それが惨殺であるのは、あまりにも酷すぎはしませんか。殺された男性には、自分の寿命まで生き、実現させたい夢があったかもしれません。
それなのに、それを想像することができなかった熊沢容疑者は、相模原の事件の被告と同じような短絡的な思考と偏見を持ち、「 ひきこもりの息子は不幸を作ることしかできない 」とばかりに、妻を安全な場所へ避難させたのち、計画的に命を奪ってしまった、と私は考えています。
ひきこもりの問題を考える時、私は『レインマン』という映画を反射的に思い出します。
ダスティン・ホフマンが演じた男にも自閉的な傾向がありました。男は毎日が決まったペースで進まないと途端にパニックを起こします。ある場面では、決まった時間に放送されるテレビ番組が見るのだといって弟を困らせます。
弟は兄が持つ驚異的な記憶力を発見し、米国のラスベガスにあるカジノで大金を掴む夢を持ちます。
もしも映画のストーリーを変え、なんの取り柄もない自閉的な兄を弟が見捨て、挙句の果てに、自分が得るはずだった親の財産を盗み取った憎い奴だ、と兄を刃物で惨殺したら、観客の後味は悪くなるだけです。
元エリート官僚が起こした惨殺劇に喝采した人々は、そんな後味悪い作品を好む傾向を持つといえましょうか。