一週間前の朝日新聞に「入試差別発覚した女性医学生が増えた」の見出しで、今年度、医学部に入学した女性の割合が初めて四割を超えたことを伝える記事が載りました。
入試の判定に男女の差別があってはならないことです。その入学試験において、女性の受験生を一定の割合で意図的に不合格にしていたことが2018年に発覚しました。
この報道を知った人は、なんて酷いことをすると考えるでしょう。私もそのように考えます。
その一方で、受け入れる医療現場と、医療の提供を受ける患者のことを考えると、一概にそのようにもいえないところがあるように考えます。
この問題が発覚した時、文部科学省によってその不正が確認されたある大学の関係者が朝日新聞の取材に、女性受験者の得点を一律に減点した理由を次のように語ったと伝えています。
(女性受験者の得点を減点したのは、医学部合格者の割合を)3割程度に抑えるのが目的。女性は出産や子育てで、(医療)現場を離れるケースが多い。医師不足を解消するための暗黙の了解だった。
この不正が報道されたことで、過去にそのような対応をしていた大学がそれを改めたことで、結果的に、医学部に入学する女性が今年度、初めて、全体の4割を超える結果になりました。
医療現場に限らず、どんな世界でも、男女が平等であるべきとの考えが、世界中で強まりつつあります。これも、本来はそうあるべきと私も考えます。
しかし、それが進むことによって生じる「問題」もあるように考えます。
医療現場であっても、診療科目によっては、女性医師が増えることを歓迎する科目もあるでしょう。
たとえば、産婦人科の場合、若い世代は女性医師の割合が約七割になるということです。出産を控えた女性としても、自分を担当してくれる医師が同性であることで、安心できる面もあるでしょう。
これは、男性の私も理解できます。
逆に、現時点では、外科や泌尿器科などは、女性医師の割合が低いそうです。
出産を控えた女性が同性の医師に診てもらいたいと考えるのとは逆に、泌尿器科を訪れた男性患者が、女性医師に診てもらうのは、逆の意味で躊躇われることもあるでしょう。
どんな診療科目でも、男女差を一定にしろというわけにもいかない面があるように素人の私は勝手に考えたりします。
一番の「問題」は、女性医師といえども、結婚すれば、出産や子育てと無縁ではいられないことです。今は夫も育児に協力するようになってはきていますが、夫が妻以上に育児に精を出せない現実があります。
そのため、女性医師は出産や育児の期間は、どうしても、職場を離れなければならなくなります。大きな大学病院であれば、代わりの医師を揃えられるかもしれませんが、地方の小さな医療機関であったりすれば、代わりの医師が簡単に揃えられなかったりするかもしれません。
この「問題」を考えると、医科大合格者の割合で女性の合格者が増えたことを手放しで喜べない面があるのも現実ではないでしょうか。
この状態がさらに進み、医師の男女差が同じになったとしましょう。女性は働く職場が増え、男女差は縮まります。
それでも、既婚女性の出産や育児の負担が今と変わらないのであれば、女性医師が増えれば増えるほど、出産や育児で医療現場を離れる医師が増えることにはなりませんか?
この「問題」を「放置」したまま、女性医師を増やすことだけをするのは、将来の「禍根」にはなりませんか?
そのときになって「医師不足」がマスメディアによって「問題」にされても、取り返しがつかないように考えないでもありません。
記事には、医系学部専門予備校の関係者の話として、次のようなことが書かれています。
以前は面接で女子受験生にだけ、「仕事と育児、どちらが大事?」などと不適切な質問をすることがあった。
意地悪な質問と指摘することができます。その一方で、「現実」に即した、やむにやまれない質問と見ることもできるように私には思えます。
医師と赴任して来た女性に、仕事だけに専念しろとはいえません。その結果、結婚して子供が出来、職場に穴を開ける医師が出てくるかもしれません。
その場合、医療現場を預かる責任者は、穴を開けた彼女の代わりの医師をどこかから呼ばなければならなくなります。これはこれで、担当者はそのたびに、苦労させられることになります。
そんなことが予想されても、医学部に合格する女子受験者が増えたことを、朝日の記事は一方的に歓迎しています。
こんなことを書くと女性からは顰蹙(ひんしゅく)を買いそうですが、男女で能力に差があるのは歴然とした事実です。
将棋の世界では、未だに、女性騎士がひとりも誕生していません。マラソン競技にしても、世界や国内の最高レベルのレースで、男女を同じ条件で走らせたら、女性マラソンランナーが男性マラソンランナーより速くゴールテープを切ることは考えられません。
それぞれの性がそれぞれの姓を補いながらやっていくのがいいように思います。自己主張が強くなりすぎると、そのバランスが崩れるように考えなくもありません。
女性が医師になりたい、結婚もしたい、子供も産みたい。けれど、「後始末」のことには関心がない。
病気になった人が医療機関を訪ねます。その人のかかりつけ医は女性で、出産のために診てもらえませんでした。
これはこれで、「不幸」なことではありませんか?
不正が正されるまで、医科大学は、「現実」を踏まえた上で、医療現場で将来的に「問題」が起きないよう、女子受験生の合格者を三割程度に抑えていました。
そうすることで保たれていた「現実」が、その抑えを失うことで、壊れる心配はないのですか?
そんなことより、男女差別は絶対にいけません。将来のことは、将来になってみないとわからない。
そんな風にいわれているように感じるのは私だけでしょうか。