前回の更新に連なるような話を書いてみたいと思います。「芸能とヤクザ」の結びつきについての話です。
今回も参考資料として、宮崎学氏(1945~2022)がヤクザの成り立ちや歴史について豊富な史料からまとめられた本を使わせてもらうことにします。
この本は、「何か面白い本はないかな?」と書店に入り、偶然手に入れました。ヤクザについて書かれた過去の文献から得た資料が大量に散りばめられており、この世界について何も知らなかった私には「ヤクザ事典」のように感じられます。
さて、前口上はこれくらいにしまして、早速話に入っていこうと思いますが、一般の人も観念的に、「芸能人て、裏でみんなヤクザとつながってんじゃねーの?」(←「2ちゃんねる」風)というようなことは考えると思います。私もこれまで、根拠もなしにそんな風に考えてきました。
著者の宮崎氏は次のように書いています。
昭和初年代の社会と昭和50年代の社会と、どちらが身近に感じられるか。圧倒的に昭和初年代の社会のほうなのである。
私はその違いが実感としてはわかりませんが、思うに、そのふたつの年代の間に、日本の社会は大きく変貌してしまったのだろうと思います。
宮崎氏がお書きになるには、前の年代にも社会に変化はあったものの、それは「公式部分の変化」であり、庶民の暮らしにはそれほど変化がなかったのではないか、ということです。それが大きく変化したのは、敗戦から日本が立ち直り、世界有数の経済大国になっていく高度経済成長の過程ではないか、という風に書いています。
では、と、庶民の暮らしが大きく変わる以前の暮らしぶりを私が勝手に想像してみます。当時の庶民が現代人より生活が貧しかったことは間違いないでしょう。
突然話が飛びますが、昨夜のことです。突然、家の電気がすべて消えました。結果的には漏電遮断器が作動したわけでしたが、いきなり真っ暗になり、難渋しました。
今は当たり前にある電気ですが、昔はこんなものもない中で人々は暮らしていたのです。「昔は良かった」などと口では簡単にいいますが、今の人では暮らしていけないほど不便で貧しい中で人は生きていたのです。
それでも、これは現代と比較するからそう感じる部分もあり、はじめから何もなく、またそれが当たり前で、周りのみんなも豊かでないのであれば、貧しいことを貧しいと感じることもなく、日々の何気ないものに楽しみを見つけて人々は暮らしていたのではないか、というような気がします。
たとえばある貧乏人は、貧乏人である自分を自覚してそのまま受け入れたでしょうし、また、ほかの貧乏人を見ても、良くも悪くもなく貧乏人だと当たり前に受け取っていたでしょう。
そうした受け止め方や考え方で庶民のあれやこれやは回り、ヤクザはヤクザなり、部落民は部落民なり、といった自覚といいますか覚悟のようなものを持って生きていたのではないか、という風に想像してみました。当たっているかどうかはわかりません。
以上は私が観念的に想像しただけで、現実の生活は口では言い表せられないほど過酷であったかもしれません。差別も今よりもずっと激しかったでしょう。しかし、何といいますか、差別を受ける人間がそのことを今よりも自然に受け入れていたのではないか。いい悪いは別にして、そんな風に想像したりもします。
私も学校で昔の身分制度社会を「士農工商」などと教わりましたが、宮崎氏がおっしゃるには、これは明治時代になって「四民(=士農工商)平等」を賛美する一方で、過去の身分格差をことさら問題視する都合上象徴的に教えられた面があるようです。
それで、前時代の現実はといえば、公家などの特別階級は別にして、大雑把には武士と農民のふたつに分かれていたに過ぎなかったのではないか、というようにも書かれています。そして、このどちらにも属さないことを仕事にするような人間は「身分的周縁」として扱われていたようです。
たとえば浪花節(なにわぶし)を民衆に聴かせることで生活の糧(かて)を得る浪曲師(ろうきょくし)がいます。彼らも周縁にいる人間と見なされたかもしれません。
これは地方で興行する性格を持ち、旅から旅で各地を回って興業をしたそうです。その際、彼らが頼ったのは、土地土地にいるヤクザの親分だったそうです。
親分衆が浪花節好きだったこともありますが、何より、縄張りとする映画館や劇場に用心棒や警備として彼らが入っており、小屋側とのスケジュール調整に打ってつけだったことが大きいようです。
このような仕組みは全国各地に見られたようですが、これはあくまでも小さな縄張りの中での話で、全国の興業を一手に握るようなヤクザはまだいませんでした。
そんな中、日本全国を”興業の縄張り”にしようと考えるヤクザが登場してきます。山口組です。それを実現したのは、同組の3代目組長に就任した田岡一雄(1913~1981)という男です。
昭和歌謡を代表するといわれる歌手に美空ひばり(1937~1989)がいました。
彼女もヤクザに引き立てられることで飛躍していったのでした。きっかけは、田岡が川田晴久(1907~1957)のファンだったことにあるようです。
戦前、川田は「あきれたぼういず」などで有名になったボードビリアンだったそうです。その川田がまだ無名だった少女時代の美空ひばりの才能を見出し、彼女のマネージメントを田岡に託したということです。
山口組の芸能部門は神戸芸能社となり、芸能人もそこを通すことで仕事がスムーズに得られることからスターたちが集まり、当時の同社は、「民放テレビ局全部を束にしたよりも強かった」と宮崎氏は書きます。
テレビやラジオがない時代、民衆が歌や芝居を楽しみたいと思えば、小屋に自分で足を運ばなければなりません。それが地方であれば、そうそう機会のあることではなく、それは逆に芸能に非日常性を持たせ神聖化させもしました。
それが、テレビやラジオの登場、普及により、芸能が本来持っていた神聖の要素が薄れていき、日常的に消費されるアトラクションへと堕落していきました。
それでも、昔からヤクザに仕切ってもらうことで仕事をスムーズにしてきた芸能人は、未だにその性格を色濃く持つ団体によって仕事を得ている現実があります。
それだからこそ、先頃発覚して「問題だ!」と今さらのように驚いてNHKが番組から閉め出す素振りを見せざるを得ないような交流が、昔から途切れることなく面々と続いているのです。
民放はいざ知らず、国民の受信料という準税金で経営が成り立つ公共放送のNHKは、どの勢力からの影響も受けず、不偏不党・公平公正であって欲しいとほとんどの国民が願っていると思います。
そうであるのに、NHKは多方面から影響を受けまくり、各方面に愛想を振りまかざるを得ないという体たらくに陥っています。ひとつには年々強まるNHKの民放化があります。
私が子供だった頃のNHKは、今よりもずっと硬派であった印象です。それが年々民放のようなおちゃらけた番組が増え、今では平気な顔をして芸能人を多数番組に出演させています。黙って受信料を納めている国民は、NHKのこの呆れた経営姿勢にいつまで黙っていられるでしょうか。
芸能人と関係を持つということは、本日分で書いてきましたように、ヤクザ組織とつながりなしには成り立ちません。今も昔もそれは同じです。
そのことを、NHKの上層部はどのように考えているのか、聞かせて欲しいものです。そのくせ、「暴力団との付き合いは悪」式の報道姿勢を恥ずかしげもなく採っているのです。
NHKの看板番組である大相撲中継も「紅白歌合戦」もヤクザ組織との交流なしには成り立ちません。
この辺りで、本来あるべきNHKになってみませんか?