朝日新聞には、読者から寄せられた投書を紹介する「声」というコーナーがあります。昨日、「声」で紹介されたある投書を読み、切ない気持ちになりました。
投書者は、29歳の女性会社員です。本当者者を、以後は「Kさん」と呼ばせてもらいます。
30代を目前に控え、Kさんには友人から結婚や出産の報告が増えたそうです。Kさんにも結婚を約束した人がいるようですが、結婚を諦めていると書いています。
どうして諦めなければならないのか、気になりますね。
Kさんには、障害を持つ母親がいるそうです。それは、昔からで、Kさんはひとりで母親の面倒をしてきたそうです。母と娘のふたり暮らしをずっと続けてきたということでしょうか。
Kさんによれば、Kさんの母親は自分の障害を認めず、他者の世話になることを恥ずかしく考えたそうです。そのため、Kさんがひとりで世話をすることになったのでしょう。
数年前、母親が行政や福祉の支援を受け入れてくれるようになったそうですが、それでも、今もそれを恥じるところがあるようです。
はじめのほうに書いたように、Kさんには恋人がおり、その恋人のことは、「こんなにいとしい人にはきっと二度と出会えない」と投書の中で書いています。
しかし、その人が好きであればあるほど、「普通の家庭で生きてきた彼に、私と同じ負担をかけたくない」(カギカッコの部分はKさんの投書から)と考え、「愛しているから別れる」と覚悟を決めているようです。
Kさんの母親が平均寿命に達するのが30年ほど先のこととすれば、そのとき、Kさんは60歳ほどです。母と生きた家でひとり、孤独に生きていかなければならないのだろうかと自問されています。
幼い頃から障害を持つ親の世話をしながら生きてきたため、世話をする大変さとともに、母との絆が、他者には理解できないほど強くなっているのでしょう。
部外者の私に勝手なことをいわせてもらえば、Kさんの愛する人ですから、Kさんの境遇もそれなりに理解しているでしょう。その恋人にKさんの思いを伝え、恋人も含めた三人で暮らしていくことはできないものかと考えたりします。
親と子の関係は、それぞれで全く異なります。こればかりは、他者から勝手なことはいえません。当人にしかわからないことがあるからです。
それでも、Kさんの投書を読み、何とかならないものかと考えてしまいました。
私のことを書きますと、母は病気がちでした。私を産んだのが37歳の時です。今はそんなことがありませんが、昔であれば高齢出産になりましょう。
それもあってか、私を産んだあとから病気がちとなりました。私が一歳にもならない頃も、入院したりしていました。そのため、父親に添い寝されて眠ったりしたようです。
私が幼い頃、母の耳たぶを触り、もみもみするようなことが好きでした。これは、母が入院して家にいないとき、父の耳たぶで同じようなことをした名残です。
もしかしたら、母が傍にいない寂しさを、父の耳たぶで代用したのかもしれません。
こんなことを書いていたら、当時のことが思い出され、涙が出てきました。
その後、母は眼病を患い、私が小学生のときに、片方の眼球を摘出し、義眼を入れました。
義眼といえば、米国のテレビドラマ「刑事コロンボ」でコロンボを演じたピーター・フォーク(1927~2011)も、右眼が義眼でしたね。
その手術の前になると思いますが、両親と三人で東京の虎ノ門かどこかにある病院へ行き、その帰りに、東京モノレールに乗ったり、東京タワーへ昇ったりしたことを憶えています。
母のもう片方の眼も悪くなり、私が中学生の時に失明し、全盲となりました。私の成長していく姿も母には見てもらえないのだと、哀しい気持ちになりました。
その母は、1992年に亡くなりました。
Kさんの投書から離れ、私と母親について書いてしまいました。私と母親が経験したのとまったく同じ経験をした人がほかにはいないように、KさんとKさんの母親の関係も、他者には窺い知れないところがあります。
それでも、Kさんには幸せになって欲しいと無責任に祈るばかりです。