東京五輪が始まって2週間。大会が残す期間は、今日を入れて3日となりました。
私は東京五輪に反対の立場です。反対の理由は、新コロ騒動ではありません。これを理由に、大会が始まってからも中止を訴える活動があると聞きますが、私の反対理由は、新コロとは別です。
五輪そのもに反対の私ですから、それが日本で開かれることは大反対で、大会招致のロビー活動の話を漏れ聞くたびに、苦々しく感じていました。
これほどまでに五輪を嫌うのは、私が個人的に、たとえば五輪のような、世間を挙げての馬鹿騒ぎが嫌いだからです。同じ理由で、国を挙げて応援するようなスポーツのイベントはどれも嫌いで、FIFAワールドカップも嫌いです。
国民が関心を持つイベントが始まると、日本のマスメディアは、大きなところから小さなところまで、狂ったような騒ぎになります。
そうした世の中の動きを嫌う人は昔からいます。今思い出すのは、孤高の画家、高島野十郎(1890~1975)です。
前回の東京五輪を前に、東京の街が即席で改造された時代、それを嫌った野十郎は、東京の青山にあったアトリエを引き払い、当時はまだ開発が進まず、不便でしかなかった千葉県柏市の人里離れたところに移り住んでいます。
私はテレビを、外国を中心とする映画やドラマ、将棋など一部の興味のある分野の番組を除き、見ることはありません。
東京五輪のテレビ中継も、2週間となる今まで、まったく見ていません。今後、8日に予定されている男子マラソンだけは楽しみにしていますが、それ以外の競技を見ることはしません。
こんな風に、テレビの中継は無視できても、防ぎようのないのが新聞です。嫌でも目に入って来ますから。家では、昔から数紙とっており、今は朝日と日経、産経、地方紙の4紙が毎朝配達されます。
それらの紙面にも、これでもかというほど、五輪の結果を大々的に報じられており、ほとほと困っています。ですから、一日も早く大会が終わることだけを願っています。
五輪が終わったら終わったで、今度はパラリンピックでもうひと騒ぎとなるのでしょう。うんざりです。
日本は他国に比べて、マスメディアの五輪熱が高いことで知られています。そうなる原因は、日本のマスメディアの特殊事情にあります。
他の国では、新聞社とテレビ局がタッグを組むことはないでしょう。それが日本では、大手新聞社と大手テレビ局がことごとく系列を組んでいるのですから、目も当てられません。
米国は、三大ネットワークのひとつのNBCが五輪利権を一手に握り、それだから、開催時期と放映時間がその利権に縛られています。そんな米国であっても、同国内のほかのメディアは、五輪とは距離を置くため、日本のように、国を挙げた五輪一色にはならないと聞きます。
マスメディアは、商業主義に染まった五輪を批判しますが、それが極まっているのが日本で、それを導くのがマスメディア自身であることを自覚し、強く自己批判すべきです。
さて、そんな私とは無縁のところで開催されている東京五輪ですが、名古屋市でひとつの騒動が起こり、問題視されています。
本日の朝日新聞の記事もそれを報じていますが、見出しは「メダルかじり抗議4000件 名古屋市長『宝物汚した』」です。
見出しを書くだけで、騒動のあらましがどんなものであるか、想像がつきます。
それでもなお補足しておきます。
五輪に参加し、努力の甲斐あってメダルを獲得した選手は、自分の出身地や、自分が所属するチームのある自治体を表敬訪問する習わしがあります。
その習わしの一環として、5日、名古屋市を訪問したのは、女子ソフトボール競技で、代表チームの一員として金メダルを獲得した後藤希友(ごとう・みう)氏(2001~)です。後藤氏の守備位置は投手のようです。
後藤氏の訪問を待ち受けたのは、何かと問題行為や発言が多い印象のある、同市で市長をする河村たかし氏(1948~)です。
後藤氏が首に下げていた金メダルを、河村氏は自分の首に下げてもらいます。問題行為を釈明する会見で、河村氏は自分が高校時代はバドミントン部で活動したといい、金メダルには強い憧れがあった、と話したそうです。
それはそれでわからなくもありません。わからないのはそのあとです。なんと、後藤氏が手に入れた金メダルを、河村氏がかじる真似ではなく、本当にかじり、河村氏の歯がメダルに当たる音が聞こえたといいますから、驚きの行為というよりほかありません。
このように問題行為であることはわかります。しかし、その場の雰囲気は、新聞の記事だけではわかりません。
そこで、テレビのニュースを見ない私は、ネットの動画共有サイトのYouTubeで、その時の模様を伝える動画を見ました。その後、本動画はYouTubeから削除され、見ることができません。
上に埋め込んだ動画が、その出来事を伝える動画のひとつですが、これを見て、河村氏の問題行為は別として、あることに違和感を持ちました。
それは、 東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会の会長をしていた森喜朗氏(1937~)が、その職から離れざるを得なくなった出来事と構造が同じです。
森氏は、女性を蔑視する発言をしたことが問題になりました。しかし、その発言が飛び出した 日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会には、 森氏に問題とされた女性も参加していたのでした。
あとで、その女性が朝日の取材を受け、会場で森氏の発言を聴いたときも、特別問題視することなく、笑って受け流してしまった、と当時の心境を明かしました。
その女性も含め、他の役員らも、おそらくは笑って受け流し、特別に問題に感じることもなかったのでしょう。ところが、『週刊文春』に炊きつけられる形で世間に知られ、問題になっていなかったことが問題だとされ、森氏が発言の責任をとって辞める事態となりました。
当事者が本当に問題に感じたのであれば、発言が飛び出したすぐあとに、抗議の意思表示をしてしかるべきです。それをせずに笑って済ましたのなら、発言の当事者も、そのように自分の発言が受け取られたと判断しても、文句がいえません。
それが、あとでそれを問題視されたことに、当事者が遅れて尻馬に乗って「問題発言だ」といったのでは、「それなら、どうしてそのときに『問題だ』といわなかったの?」という話になってしまいます。
今回のメダルかじり騒動でも似た雰囲気を感じます。
今回の騒動が起こったその場には、それを取材する新聞社やテレビ局の人間が多数おり、やり取りの一部始終を見ています。
その状況の中で、河村氏が後藤氏の宝物である金メダルをいきなりかじりました。それは、誰が見ても、冗談では済まされない行いです。
ところが、動画元のニュース映像を確認したところ、解せないものを感じました。
取材していた人たちから、河村氏の行為を咎める様子はなく、むしろ逆に、面白いリアクションを見せてくれたと喜ぶ雰囲気さえ漂っています。
もうひとつ不思議なことは、当事者である後藤氏が、「アハハハ・・・」と声をあげて笑っていることです。
これはどう解釈したら良いのでしょう。
森氏に問題発言された当の女性が、それを聴いても笑ったように、自分のメダルをかじられた後藤氏も、笑いが飛び出す程度の「大したことがない」行為だった、と理解しても良いのでしょうか。
当人が笑って許せ、周りを囲んでいたマスメディアの取材陣からも、むしろ好意的な反応があったのであれば、第三者があとであれこれいうのはおかしい、と受け取れなくもありません。
ところが、それを知った一般の人々の反発は非常に強いものでした。ネットのSNSなどでは、河村氏を非難するコメントが殺到しました。また、名古屋市には、5日夕までに電話やメールなどで、4000件を超える苦情が寄せられました。
世間からの批判が並大抵でないことを知ったマスメディアは、自分たちがその場で示した態度を翻し、河村氏の行為を問題視する記事を慌てて連発しているのが今の状況です。
こんな背景を見ますと、河村氏が批判されるのは当然のことですが、その行為に何の反応もせず、むしろ喜んで見ていたマスメディアの人間には、唖然するよりほかありません。
また、自分のメダルをかじられたのに、嬉しそうに「アハハハ」と笑った後藤氏は、本当のところ、どんな風に受け取っているのか、本心をどこかのメディアが取材し、記事にまとめて欲しいです。
その結果、もしも後藤氏が何とも感じていないことがわかれば、もう一度河村氏を表敬訪問し、取材陣に囲んでもらい、再びメダルをかじってもらったらどうですか。
そのときは、「アハハハ」と声に出して笑うことをお忘れなく。「いい子」ぶっての笑いなのであれば、これを機会に、そのあざとい行為から卒業し、ご自分の意思を前面に出す生き方を選ばれることをお勧めします。あなたももう成人なのですから。
そもそもの話をしますと、私は五輪選手たちがメダルをかじることに違和感を持っています。
それが、メダルを獲得した選手本人が、嬉しさのあまりに思わずかじってしまったのなら、当人にしかわからない苦労が報われた現れと見ることもできます。
しかし、それ以外の選手は、マスメディアのカメラマンに囲まれ、かじるよう指示されてかじる例が多く見られます。
報道の写真や映像として絵になるのかもしれませんが、個人的には褒められた行為ではないと考えています。
五輪のメダル以外のもので、当人がある宝物を他人に見せる時、それをかじったら、それを見た人はどのように感じるでしょう。どんな紳士淑女であっても、そんな行為をした瞬間、幼稚な人間に成り下がってしまいます。
それが世界のトップレベルのスポーツマン、スポーツウーマンであっても、成熟した一個の人間であってしかるべきで、それは、ちょっとした仕草からも感じさせて欲しいです。
私はない物ねだりをしているのでしょうか。