2002/04/10 高島野十郎に見るゆとりある生活

この4月から、公立学校の学校完全週5日制(「学校週五日制」)がスタートしました。これまで各月の第2、第4(だったかな?)のみ土日が休みでしたが、今年度からは毎週の土日が休みになります。

この制度の導入を巡っては賛否両論が見られますが、私個人の関心はむしろ、制度実現の真の目的にあったりします。

もちろんその根幹には「ゆとりある教育を実現するため」というもっともらしい理由があるのかもしれませんが、それよりも、教師のゆとりを実現するためというような気がしないでもありません。

公立学校の教師という、公務員の働く環境の改善です。

教師以外の一般的な公務員は週2日休みなのが当たり前で、同じ公務員なのに、どうして教師だけが日曜日しか休めないのかといった不満が出ても不思議ではありません。

そうした大人の論理が主たる理由で、学ぶ子供たちへの配慮は付け足しといったらいい過ぎでしょうか?

「ゆとり」に関することでいえば、昨夜、NHK総合の番組「クローズアップ現代」(月曜~木曜19:30~20:00)では、今静かなブームになっているという「スローライフ」な生き方を取り上げていました。

番組では、そのテーマに沿って、それを実践した生き方をされている人々や、そうしたコンセプトを仕事に反映させている人たちが紹介されました。

彼らに共通しているのは、これまで大量生産・大量消費・大量廃棄という産業構造によって押し進められてきた経済や社会の在り方をここで一度見直し、本来あるべき人間の生き方を模索している点です。

日本の世の中を振り返ったとき、その分岐点となったのは、東京オリンピックが開催された1964年前後ではないでしょうか。

オリンピックを控え、都心には首都高速道路網が次々に延び、東京・大阪間を短時間で結ぶ“夢の超特急”といわれた東海道新幹線も営業運行を開始しています。高度経済成長時代の幕開けです。

ついでまでに書いておきますと、先日も本コーナーに書いたばかりの『鉄腕アトム』のテレビ・アニメの放送が開始されたのもちょうどこの時期です。

ここで話は少し逸れますが、高島野十郎(たかしま・やじゅうろう/1890~1975年)という人物の話を書きます。

高島野十郎を取り上げた「日曜美術館」の録画ビデオから抜き出した静止画

彼は九州・久留米出身の画家で、彼を特集した『日曜美術館 ~孤高の精神・高島野十郎~』(NHK教育/1993年12月19日放送)の録画ビデオが今手元にあるのですが、その中には、当時司会をされていた斎藤季夫アナウンサーによる次のようなナレーションがあります。

昭和50年、千葉県野田市の老人ホームで85年の生涯を閉じた高島野十郎は、生涯、家族も師も弟子も持たず、画壇とは無縁のままに絵を描き続けた画家でした。

彼が生まれた家は酒造りをしていた土地の大地主で、彼は子供の頃から絵の好きな少年でした。彼は東京美術学校(現在の東京芸術大学)への進学を夢見ますが、両親の反対を受け、旧制第八高等学校を経て明治45年東京帝国大学(現在の東京大学)農学部水産学科へ入学します。

彼はそこで魚の神経の研究を続け、大正5年に主席で卒業し、親兄弟や恩師から将来を大いに期待されます。

しかし、彼自身は絵の世界への思いを断ちがたく、学問の道を捨て、独り絵の世界へ進むことを決意することになります。

番組ではその辺りのことは詳しく語られていませんが、その経緯を巡っては、実家との間に様々な軋轢もあったであろうことが想像されます。

生前の高嶋野十郎と親交を結んでいたという早稲田大学教授の川崎浹氏が番組のゲストとして出演されていますが、川崎氏によっては次のような人となりが紹介されています。

高島さんはその当時、東京の青山にアトリエを持っていらっしゃいましたが、そのアトリエは剣道場のような雰囲気でした。高島さんは「真理を追究したい」とおっしゃっていましたが、そうした言葉がピッタリと似合う方でした。

今も書きましたように、高島野十郎は東京・青山などで絵の制作をしていましたが、先にも書きました東京オリンピック開催へ向けて東京の街が急ピッチで変貌していく騒々しさに嫌気がさし、千葉県柏市の一軒家に居を移します。

彼はその人里離れた家に独り住み、そこで蝋燭の灯火や太陽の光、月明かりの光景、静物画などの静謐な小品を描きます。中でも自然の源である太陽と月を描いていることは高島野十郎の人となりをよく表しているように思います。

高島野十郎は日の出とともに起き、そして日の入りとともに一日を終わる生活を続けています。当時としては珍しく彼の住んだ家には電気は引かれていず、夜になるとランプの明かりを灯していました。

そんな高島野十郎の生活ぶりを想像しますと、それこそが「スローライフ」の典型であり究極の姿であるように私には思えます。

ほんの少し脱線するつもりが、ついつい長々と書いてしまいました。ともあれ、私には野十郎のような生き方は真似ができませんが、その精神は学びたいと思います。

世の中効率のよさばかりが重んじられ、その結果、ますます時代や流行の移り変わりが激しさを増しています。このままいったら人間の精神は擦り切れてしまうでしょう。

そうした傾向は、家族という最小単位の暮らしぶりにも見られ、女性も男性と肩を並べて仕事をすることが尊ばれ、推奨する空気が充満しています。もちろんそれはそれで女性自身の生き甲斐にはつながるのかもしれません。が、その半面、尊い何かが失われるような気がしてなりません。

それは果たして、多くの人が望んでいる理想の姿といえるのでしょうか。

ここで一度立ち止まり、本当の意味でのゆとりある生き方とは何かについて、ゆっくりと考えてみるのも無駄ではないような気がします。

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