2002/10/12 ノーベル賞ダブル受賞

二日連続となる日本人二人のノーベル賞受賞決定のニュースは、最近停滞気味の日本に久方ぶりの明るいニュースとなりました。

お一人目は小柴昌俊さんで、カミオカンデ、スーパーカミオカンデという大がかりな実験装置を使い、ニュートリノの研究をされている東京大学名誉教授です。

門外漢の私には、「ニュートリノ」も「スーパーカミオカンデ」も名前は聞いたことがありましたが、実際にはどんなものなのかはよくわかりませんねぇf(^_^;)

そんな私からは、ノーベル賞を受賞されるような方は、子供の頃から優秀で、神童だったのではと思いきや、ご本人がおっしゃることには、むしろ出来の良くない子供だったというのですから意外です。

それはともあれ、書物に書かれていることを鵜呑みにするのではなく、何でも自分で実験して確かめてみないと納得できなかったという性格が、その後の成果につながったといえそうです。

もうお一人の田中耕一さん(43)はさらに異色の存在です。現在は島津製作所という民間の企業で現役のサラリーマン生活を送られています。

孤高の画家 牧野邦夫

まさかないだろうという気持ちで「まきのくにお」と入力し、「牧野邦夫」と変換してみる。続いて検索のボタンをクリックする。思いがけず、彼牧野邦夫のサイトが見つかった。正直いって驚いた。まさか本当に見つかるとは思っていなかったからだ。ネットを始めて3カ月(1999年11月下旬時点)、これまでこの名前を検索しないでいたことが不思議なほどだ。

私が初めて彼の名前を知ったのは、「日曜美術館」(NHK教育)でだった。今回彼のサイトで確認したら、その放送があったのは1989年であったらしい。ちょうど10年前ということになる。その放送を見て、鳥肌がたったのを今でもよく憶えている。「こんな画家がいたのか」と。その時の放送はビデオに収めてあり、その後何度も繰り返して観ることになる。

その放送があった翌年、彼の作品を実際に観る機会に恵まれた。新宿の小田急百貨店内の「小田急グランド・ギャラリー」で開かれた『牧野邦夫展』でである。

それまで彼の作品を幾度となくビデオで見ていた私は、会場で実物を目にしたとき、何とも不思議な懐かしさを覚えた。また、その会場内で自分ほど彼の作品を識る者は他にいないだろう、というヘンな自負も持った。

その時に会場脇の売店で買った『見る人間・牧野邦夫』(牧野千穂 著)は今も手元にあるが、繰り返し読んだこともありボロボロになってしまった。この本の中に、次のようなことが書かれている。牧野邦夫という人間を端的に表現していると思われるので、引用させていただく。

Nちゃんからおおよそのことは聞いていたので、普通の絵描きさんとは少し違う人だろうとは思っていたが、ドアを開けてくれた牧野の顔を見て、これまでに出会ったことのない、まったく異質の世界の人だと感じた。強く鋭い視線で見られると、そこが痛くなりそうな気がした。澄んだ目と、身体全体から髪の毛が逆立ちそうなピリピリした緊張感が伝わり、ただでさえ固くなっている私は怖いと思った。(『見る人間・牧野邦夫』p.4)

私は、レンブラントよりもスタートが30年遅れている。従って、彼のような絵を描くためには、63歳で死んだレンブラントよりも30年余計に生きなければならない。

これは彼が残した言葉だ。彼はレンブラントを心から尊敬し、少しでも彼に近づこうとしていたのだ。残念ながら牧野は90過ぎまで生きることはできず、61歳でこの世を去っている。先に書いた「日曜美術館」の中でゲストの秋山祐徳太子氏は、「それは、牧野さんが師であるブラントの影を踏まずの精神で、師よりも2年早くこの世を去ったということなんでしょう。この辺りにも牧野さんの優しさを感じます」といい表している。

2002/09/29 ドキュメンタリー「スタンリー・キューブリック」

本コーナーで書こう書こうと思いつつ、今日まで書かずにいたものを書く気になりました。

ちょうど1週間前(21日)にNHK衛星第2で放送された映画監督スタンリー・キューブリックの実像を描いたドキュメンタリー『STANLEY KUBRICK:A LIFE IN PICTURES』2001年/ワーナー・ブラザース制作)についてです。

キューブリックといいますと、何といっても『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』といった作品でよく知られた監督です。

私のレーザー・ディスク(LD)版『2001年宇宙の旅』

2002/08/25 代理母出産に異議あり

ちょうど一週間前にもそのコーナーの記事に触発される形で書きましたが、今日も産経新聞の「双方向プラザ」に書かれていた文章から感じたことを書いておきます。

前回の時にも説明しましたが、そのコーナーは、一般読者から寄せられた疑問や質問に対し、産経新聞の担当者が回答をする、いわば読者側と新聞社の交流の場となっています。

今週分で私の関心を引いたのは以下の質問です。

(2002)8月11日付朝刊で、代理出産(代理母出産)を大きく取り上げた記事がありました。しかし、日本では代理出産は“違法”だと思いますし、“違法行為”を外国で行うことを助長するようなニュースに違和感を覚えます。(男性読者)

これは各マスメディアでも取り上げられ話題を呼んだニュースで、癌で子宮を摘出したタレントの向井亜紀さんが、アメリカで代理出産に臨んだ際の報道を指しているものと思われます。

2002/08/01 人間・渥美清

本サイトには、私が個人的に関心を持ったテレビ番組を紹介する誠に手前勝手なコーナー「テレビ番組」があり、そこの本日分にも書いておきましたが、今夜、渥美清さんの寅さん役でお馴染みの『男はつらいよ』シリーズの放送(テレビ東京/21:00~22:54)があります。

あの国民的な人気シリーズは全部で48作品あるそうですが、今夜放送されるのは1977年に製作されたシリーズ第20作目の『男はつらいよ・寅次郎頑張れ!』です。

配役を見ますと、マドンナ役が藤村志保さんということで、寅さんは藤村さん扮する女性に恋心を抱くもののあえなく撃沈してしまう、のでしょうか。

それはともかく、その番組紹介欄にもありますが、今年は寅さんこと渥美清さんが亡くなって七回忌(命日は8月4日)だそうです。

そんなこともあり、今日の朝日新聞には寅さんを演じた渥美清について書かれたコラムが載っています。朝日新聞・東部支局長の小泉信一氏がお書きになったコラムです。

そのコラムを読みますと、スクリーンの上で国民みんなから愛される“寅さん”というスーパースターを演じ続けた渥美清という一人の役者の実人生の苦しみが伝わってきます。

2002/07/11 天才を生む条件

今日は、昨日の産経新聞から書いてみます。

「正論」のコーナーに寄せられた文章で、「天才を生む土壌を失いつつある日本」と見出しの付いた一文で、それを寄せられたのはお茶の水女子大学教授の藤原正彦氏です。

そこには氏の写真が添えられているので私はすぐに彼であることに気付きましたが、名前だけだったなら、すぐに氏とは結びつかなかったかもしれません。

私がすぐに氏だとわかったのは、あれは昨年でしたか、NHK教育の『NHK人間講座』で世界的な天才学者の栄光と挫折の講義をされた番組『天才の栄光と挫折』(2001年8月6日~9月24日まで。毎週月曜日に放送)を見ていたからです。その番組で語られる天才の真の姿の話が面白く、また、それを面白く聞かせる藤原氏の魅力もあって、その番組は未だに私の記憶に鮮明に残っています。

で、今回氏が関心を寄せるのは、またしても、天才学者です。

その最も代表的と思われる天才を一例としてあげていらっしゃるわけですが、その選ばれし天才は、シュリニヴァーサ・ラマヌジャンという名の天才数学者です。この天才については、もちろん氏が担当されたNHK教育の番組でも取り上げていました。

今回の一文を参考にして、ラマヌジャンについて簡単に書いておきますと、ラマヌジャンが生まれたのは南インドのチェンナイ(旧マドラス)から南へ250キロほど行ったところにあるクンバコナムという小さな町だそうです。

2011/09/10 荒木経惟 東京人生 動画

通常、本コーナーは、はじめに“気まぐれトーク”をそれこそまったくの気まぐれにし、それを録音した音声ファイルを聴き返して文章に書き起こす手順で更新を行います。が、今回はトークなしで、文章のみの更新です。トークをするまでもない内容だからです。

私は、昨日一日かけて動画の編集をしました。今回編集しましたのは、2006年に東京・両国にあります江戸東京博物館で催された“アラーキー”こと写真家・荒木経惟さんの写真展「荒木経惟 東京人生」の会場を撮影してきたビデオです。

今から5年も前の催しで、なぜ今頃になって動画を編集したのかといいますと、実は、これを見てきたあとに動画化し、本サイトで紹介してきました。それが今回、ネットの動画投稿サイトYouTubeを通じて紹介する形に改めようと思い、作り替えたのです。

2006/10/24 荒木経惟 東京人生

遅ればせながら、この土曜日に行ってきました展覧会と展示会について書いておくことにします。

当日は展覧会を見たあとに展示会へ回りましたが、なぜか、展示会から先に書くことにします。その展示会とは、18日から21日まで東京ビッグサイトで催された「WPC TOKYO 2006」です。

なぜあとに行った展示会を先に書くのか? なぜなら、あとに行った展示会へは先に行ったからです。て、意味不明ですね。

でも、確かに先に行ったのです。それも、一週間も早く、、、(´Д`;;)

てことで、同催し物に“一番乗り”を果たした私は、一旦家に戻り、一週間後の21日午後に会場を目指し直しました。今度は、周りに同展示会を目指すらしい“同志”が大勢おり、今度こそ間違いないことを確認しました。ま、2回続けて間違ったら目も当てられませんが。

と、ここまで、私の大きな勘違いで一週間早く「WPC TOKYO 2006」の予定会場へ行ったことについて書きました。が、当日はすぐに別の会場へ向かいました。今、東京・両国の江戸東京博物館で開催中(2006年10月17日~12月24日)の企画展・「荒木経惟 東京人生」です。

2011/10/26 小林桂樹の動画「YouTube版」に

今回も、トークはナシで、いきなり文章での更新です。

内容は、3日連続して同じようなものになってしまいます。ということで、今回も、本サイト内で私が作った動画を中心に紹介しています「私の動画アーカイブス」コーナーで紹介してきました動画のひとつを、ネットの動画投稿サイトYouTubeを通じて紹介する形に変更した告知です。

今回変更しました動画は、2007年11月18日に、東京・東池袋にあります「新文芸坐」で行われた俳優・小林桂樹さんのトークショーの一部始終を収録したものです。

2007/11/21 「小林桂樹トークショー」動画

私は一度口にしたことは、出来るだけ実行するようにしています。

今回も、先日(18日)見て、その翌日に本コーナーで感想を書いた中で「その時に撮影してきたビデオを動画で紹介する」云々と口にしてしまいましたので、その約束を今日、果すことにします。

繰り返しになりますが、先週の土曜日から、東京・東池袋にあります名画座・新文芸坐では、「演技者・小林桂樹映画祭 俳優生活65年の軌跡」(11月17日~30日)と題した、小林桂樹さん出演作品の特集上映が始まりました。