2002/09/29 ドキュメンタリー「スタンリー・キューブリック」

本コーナーで書こう書こうと思いつつ、今日まで書かずにいたものを書く気になりました。

ちょうど1週間前(21日)にNHK衛星第2で放送された映画監督スタンリー・キューブリックの実像を描いたドキュメンタリー『STANLEY KUBRICK:A LIFE IN PICTURES』2001年/ワーナー・ブラザース制作)についてです。

キューブリックといいますと、何といっても『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』といった作品でよく知られた監督です。

私のレーザー・ディスク(LD)版『2001年宇宙の旅』
私の『時計仕掛けのオレンジ』のDVD

しかし、作品ほど監督自身の人となりは知られていないのではないでしょうか。その理由の一つには、生前の彼はマスメディアを毛嫌いし、プライベートを隠していたせいもあるかもしれません。

その彼の実像に迫ったのが今回放送された番組(全3回シリーズを一挙に放送)で、彼の子供時代の写真や家庭用ムービーの貴重な映像に始まり、実際の映画製作の現場のフィルムや彼にゆかりのあった監督・スタッフ・俳優そしてもちろんのこと、彼の家族などなどのインタビューが全編にちりばめられ、彼を知る上で非常に貴重な作品となっています。

クレジットによりますと、このフィルムを編集したのはメラニー・ヴァイナー・クオネという人だそうですが、おそらくは山のように積まれた膨大な数のフィルムに囲まれての編集作業であったと思います。ちなみに、ナレーションを行っているのは、キューブリックの遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』(1999)に主演したトム・クルーズです。

番組は、彼の子供時代の話から始まりますが、彼は1928年、ニューヨークの裕福な家庭の長男として生まれています。6歳下に妹が一人おり、彼女の証言によりますと彼はお茶目なところがあり、妹の面倒見も良かったそうです。また、性格的には女っぽかったかもしれないというようなことも述べています。

彼は子供の頃から、自分の興味がある対象以外には一切関心を示さなかったそうです。それは徹底されており、学校の宿題には全く興味を持てなかったようで、宿題は毎日友人に見せてもらった、というようなエピソードが紹介されています。

当時の彼の関心事は写真でした。

彼の父親が大の写真好きで、生活にもゆとりがあったため、自宅には自家用の暗室まであり、知らず知らずのうちにキューブリックも写真好きに育っていったものと思われます。

その彼16歳の時に写した写真が当時の有名な写真雑誌「ルック」に認められ、その縁もあってか、高校を卒業すると同時に「ルック」の編集部に就職し、まずはスチル写真家としての創作活動が始まります。

彼がスチルからムービー・フィルムへ移行するきっかけとなったのは1950年に初めて撮った自主製作映画『拳闘試合の日』(日本未公開)です。これについては注意して見ていなかったため、あとでもう一度ビデオテープを確認してみようと思いますが、実在のプロ・ボクサーを撮影した作品であったと思います。

彼はムービー・フィルムによる創作の可能性に目覚め、雑誌社を辞め、映画の世界へ移ります。しかし、無名である彼に出資してくれる人はおらず、好きだったチェスで賭け試合をしては生活費を稼ぐといったような生活をしばらく続けることになります。

その後、彼の才能は徐々に認められ、『突撃』1957)のラスト・シーンに出演していたドイツ人女優のスザンヌ・クリスティアーヌ・ハーランと結婚し(前年に離婚し、これが3度目の結婚らしい)、以後、終生変わらぬ愛情を彼女に注ぎ続けた、と妻自身が述べています。

やがて彼は『2001年宇宙の旅』(1968)『時計じかけのオレンジ』(1971『シャイニング』1980)と代表作になるような作品を発表し続け、大監督となっていきます。

ただ、いずれの作品も今でこそ傑作と評価されていますが、上映当初は批評家を中心に手厳しい評価だったそうです。

彼の演出方法について、『シャイニング』で主演したジャック・ニコルソンが次のような興味深い話をしています。

キューブリック監督の作品では演技をしやすかった。というのも、監督からは自然な演技を求められなかったからだ。ある時、監督の口からこんな話を聞かされた。『映画というものは、決して現実を映すものではない。映像的現実を映すものなのだ』と。

今回の番組で私が興味を引かれた箇所があります。それは私自身が写真好き、カメラ好きということも大いに関係しているのですが、キューブリックのカメラ(ムービー、スチル)への執拗なまでのこだわりです。

それを端的に表すエピソードが、1975年に完成した作品『バリー・リンドン』での話です。

ヨーロッパの貴族の話をその時代そのままに描いて見せた作品ですが、その中にロウソクの炎の明かりのみで撮影したシーンがあります。

そのためにカメラは特別に改良され、レンズにはNASA(アメリカ航空宇宙局)が衛星写真を撮影するために特別に製作させたドイツの有名レンズ・メーカー ツァイス社の非常に明るいレンズを使いました。

そのレンズの明るさを計るF値は実に0.7といいますから驚きです(この数値が小さいほど明るい)。

これは専門的な話で、写真やカメラに関心のない方にとってはどれほど驚くべき事か想像できないと思います。私が所有していますスチル・カメラにはカール・ツァイス製のレンズがついていますが、この焦点距離50ミリのレンズのF値は1.4で私が持っているレンズの中で最も明るいレンズです。

私のフィルムカメラ コンタックス RTS Ⅱ ボディ
私の単焦点レンズ カーツ・ツァイス50ミリ F1.4

その1.4よりもさらに明るい0.7を彼は映画撮影の現場に持ち込み、ロウソクの炎の明るさだけで俳優たちの演技をカメラに収めたわけで、撮影現場を想像するとワクワクしてしまいます。

ついでですが、私が所有しています家庭用8ミリムービー・カメラ(フィルム幅8ミリのフィルムを用いる)の一つに富士フイルムの「フジカ・シングル8 AX100」があります。

私の8ミリムービーカメラ フジカシングル8 AX100

これも「闇夜のカラスも写せます」とかいうキャッチ・コピーで売り出された暗さに強いカメラで、レンズの明るさは一応F1.1です(もっともフィルム面積が狭いので実現できているわけですが)。これにフィルムのISO感度が200のフィルムを使うことで、ロウソクの炎の下でも撮影可能となりました。

話が逸れてしまいましたが、キューブリックは、カメラ機材も含め、映像的現実を表現することに心を奪われていたのかもしれません。

キューブリックは、遺作となる 『アイズ・ワイド・シャット』 を完成させ、主演俳優二人とワーナー・ブラザースの重役のためだけの試写会を1999年3月1日に行い、好評を得ました。

それですっかり安心し、そのことが彼の心身に影響を与えたのか、その1週間後の3月7日、突然この世を去りました。彼が『2001年宇宙の旅』でイメージした新世紀まで2年と迫る年です。享年は71歳でした。

彼を記録したこのドキュメンタリーは、それ自体がとても美しく素晴らしい出来映えで、手持ちのDVDやLDで彼の作品をもう一度見たくなります。

スタンリー・キューブリックは子供の頃から自分の興味の対象だけをとことん追い求め、結果的に自分の最も得意とする分野であるムービーの世界で芸術的表現を思う存分できたわけで、幸せな一生であったといえるのではないでしょうか。

彼自身は、作品本数の少なさ(全16作品ですが、その内はじめの4本までは自主制作作品であることを考え併せると確かに寡作です)を唯一嘆いていたそうです。

【本日の豆知識】:スタンリー・キューブリック監督作品一覧
・『拳闘試合の日』(1950)
・『空飛ぶ牧師』(1951
・『海の旅人たち』(1952
『恐れと欲望』1953
『非常の罠』1955
『現金に体を張れ』1956
『突撃』(1957)
『スパルタカス』1960
『ロリータ』1961
『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』1963
・『2001年宇宙の旅』(1968)
・『時計じかけのオレンジ』(1971)
・『バリー・リンドン』(1975)
・『シャイニング』(1980)
『フルメタル・ジャケット』1987
・『アイズ・ワイド・シャット』(1999)

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