本サイトには、私が個人的に関心を持ったテレビ番組を紹介する誠に手前勝手なコーナー「テレビ番組」があり、そこの本日分にも書いておきましたが、今夜、渥美清さんの寅さん役でお馴染みの『男はつらいよ』シリーズの放送(テレビ東京/21:00~22:54)があります。
あの国民的な人気シリーズは全部で48作品あるそうですが、今夜放送されるのは1977年に製作されたシリーズ第20作目の『男はつらいよ・寅次郎頑張れ!』です。
配役を見ますと、マドンナ役が藤村志保さんということで、寅さんは藤村さん扮する女性に恋心を抱くもののあえなく撃沈してしまう、のでしょうか。
それはともかく、その番組紹介欄にもありますが、今年は寅さんこと渥美清さんが亡くなって七回忌(命日は8月4日)だそうです。
そんなこともあり、今日の朝日新聞には寅さんを演じた渥美清について書かれたコラムが載っています。朝日新聞・東部支局長の小泉信一氏がお書きになったコラムです。
そのコラムを読みますと、スクリーンの上で国民みんなから愛される“寅さん”というスーパースターを演じ続けた渥美清という一人の役者の実人生の苦しみが伝わってきます。
彼は転移性肺癌のために68歳で亡くなります(1996年没)が、60歳を過ぎた頃、医師からは癌を告知されていたそうです。
しかし、それを家族以外の誰にも打ち明けず、みんなに愛される寅さんを演じ続けました。それでも、肉体の衰えは進みます。髪は薄くなり、首筋は衰え、それを少しでも隠すため撮影中はマフラーを着用するようにしたそうです。
そして亡くなる前年、遺作となった第48作『男はつらいよ・寅次郎紅の花』の撮影では、トレードマークの四角いトランクを提げて立っているだけでも精一杯の状態にまでなっていました。
それでも撮影となれば威勢のいい啖呵を切ることになるわけですが、抗癌剤の副作用のせいか、全盛期の甲高く良く通る声は聞かれず、終始力なくかすれがちであったといいます。その無念さは本人が一番強く感じていたことと思います。
ロケ地では、スクリーン上の寅さんを知るファンから次々にサインや握手を求められるものの、撮影の合間の渥美は笑顔を見せることもなく、ファンを一切無視し続けました。取り囲んだファンからは「愛想ないぞ!」の罵声も浴びせられたそうです。
それを見かねた渥美を良く知る関敬六さんは、「おい、天皇陛下だって手ぐらい振るぞ」と忠告したそうですが、渥美から返ってきた返事は「もういいんだよ」の一言だったそうです。

今回のコラムにも書かれていますが、マスコミ嫌いの渥美がその遺作の撮影中、珍しくテレビ番組のインタビューに応じました。
私もそれを見ました。NHKのドキュメンタリー番組です。細部まではさすがに憶えていませんが、コラムを読むことで思い出しました。
そのインタビューで、渥美はアメリカの国民的ヒーローを演じた『スーパーマン』に自分をなぞらえて、次のような皮肉混じりの言葉を残しています。
スーパーマンの撮影の時に、見ていた子供が「飛べ、飛べ、早く飛べ!」っていったってことだけど、ご苦労さんなこったね。スーパーマン、飛べないもんね。針金で吊ってんだもんね。
同じような人々の視線を、人間・渥美清は常に肌で感じ取っていたのかもしれません。
今回のコラムには書かれていませんが、私は渥美が亡くなったあと、ある週刊誌で彼に関する裏話的な記事を読んだことを思い出しました。
生前は決して明らかにされなかった(週刊誌などのマスメディアも知りつつ敢えて記事にしなかったのか?)密やかな愉しみについて書いたものです。それは、寅さんのイメージとは結びかないSMの世界の話です。熱心さのほどはわかりませんが、生前、渥美は都内のSMクラブの客であったということでした。
私自身はそうした場に足を踏み入れたことがないので、中でどんな行為が行われているのかは想像するしかないわけですが、いずれにしても、およそ国民的ヒーロー寅さんイメージには似つかわしくない性的趣味とはいえましょう。
だからといって、私は渥美さんを非難する気にはなりません。寅さんを演じるのはあくまでも仕事であって、プライベートをどのように過ごそうと当人の勝手だからです。渥美さんはそこで文字通り裸の自分に戻り、バランスを取ることに必死になっていたのかもしれず、そう考えると痛々しささえ感じます。
今回のコラムには『男はつらいよ』シリーズのメガホンを取り続けた山田洋次監督の述懐が紹介されていますが、そこで山田監督は「渥美さんはどんなにきつかったか。ああ、悪いことをした。後悔しています」と心境を吐露しています。
当初はこんなにも長く続く大人気シリーズになるとはスタッフも誰一人思ってもいなかったのではないでしょうか。それがその後すっかりドル箱シリーズとなり、「もう一作、いやもう一作」と会社からもファンからもせがまれ、ついには渥美清が完全に燃え尽きるまで撮影は続けられました。
今から考えると、渥美清という一人の役者は、国民の楽しみのために生贄されたようなものかもしれません。
渥美は私生活を公にされることを人一倍嫌い、親しい人にも自分の住んでいる家さえ明らかにしなかったそうで、その態度は徹底しています。
そんな彼のエピソードを一つ思い出しました。どうしても家まで車で送るという相手の申し出を断り切れなかった渥美は、家から遠く離れた場所で車から降ろしてもらい、車が走り去ったことを確認したのち、徒歩で家へ向かったそうです。
このエピソードからも、スクリーンの笑顔からは伺いしれない人間・渥美清の暗い陰の顔が浮かんでくるようです。
彼は病気に臥せったあと、妻と息子にあることを固く誓わせます。それを守った妻と息子は、渥美さんが息を引き取ったあと、二人だけで荼毘に付し、すべてば終わったあとに初めて渥美さんの死を公にしました。
そんな渥美清の生き様を知るにつけ、スクリーンの寅さんの笑顔の瞳の奥には、ある種の凄みが潜んでいたことを今更ながらに気づかされます。
昨今の有名芸能人は、自らのプライベートさえも商売に結びつける傾向にあります。その点渥美清という役者は、スクリーンの上だけの自分であり続けたともいえるわけで、他とは一線を画する役者であったといえそうです。