海外で、日本のように、純文学とそれ以外の大衆小説とに分けられているか知りません。
日本ではそれが分けられ、それぞれを書く小説家自身も、自分は純文学の作家だ、自分は大衆に向けた小説を書く作家だと考えているふしがあります。
また、それぞれを読む読者も、そのような気持ちで作品に接しているのではないでしょうか。
このように分けられた場合、大衆小説よりも純文学のほうが「高尚」に考えられています。しかし、個々の作品を比較すれば、必ずしもそうでないことが少なくないのではありませんか?
私は電子書籍版でだけ本を読むようになりました。私が使う電子書籍端末にある本は読んでしまったので、新たな一冊を入手しました。読みたい本が決まっていないときは、読み慣れた松本清張(1909~1992)の作品で、まだ読んでいない本を探し、それを読むことが多いです。
表題作を含む短編集『共犯者』を見つけ、それに決めて読み始めたところです。全部で十の短編小説が収録されており、その中には、別の短編集で読んだ作品もあります。
その三番目の『愛と空白の共謀』を読み終えたあとに本コーナーの更新を始めました。