2014/06/30 “出たがり人間”中野信子

ちょっと乱暴ですが、人間をふたつのタイプに無理矢理に分けるとすれば、あなたならどんな基準で分けますか?

本日分で、私は「出たがる人間」と「出たがらない人間」に分けてみました。この基準で分けた場合、私は疑いようもなく「出たがらない人間」になります。とにかく目立つことが大の苦手です。これは子供の頃から一貫しています。

他人(ひと)よりも前へ前へ出たがる人間は必然的に目立ちます。人生に成功も失敗もありませんが、何かと注目されることが多い人間を“成功”と捉えるのなら、目立つ人間がそれをつかむ可能性が高いでしょう。上から何かが落ちてくるとき、誰よりも腕を高く突き上げた人がそれをつかみ取る可能性が高いのと同じ理屈です。

私は昨日の午後6時台、典型的な出たがり人間を見ました。その人を見たのは、久米宏さんと檀蜜さんが司会を務める「久米書店 ヨク分かる!話題の一冊」というテレビ番組です。

2011/07/27 再び動き出すか「東電OL殺人事件」

本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新しています。なお、トークは前日の夜に行っています。

本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。

なお、音声ファイルはMP3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができるますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ

2001/06/18 安倍晴明知ってるつもり?

昨夜は「知ってるつもり?!」(日本テレビ系列/日曜日21:00~21:54)という番組を見てみました。陰陽師安倍晴明が取り上げられていて、ちょっとばかり興味を引かれたからです。

最近、何かと話題になっていますよね、晴明(「安倍晴明神社」)。

恥ずかしながら、私は今年の初めに本コーナーで彼について書くまで名前すら聞いたことがありませんでした。

それまでにも、夢枕獏の小説やそれを下敷きにして描かれた岡野玲子(今年の手塚治虫漫画大賞、だったかな?を受賞されましたよね。ちなみに、彼女は手塚氏のご子息である手塚眞氏の夫人です)の漫画などにより、若い層を中心に、広く知られてはいたようです。

私は、付け焼き刃的な浅い知識から、晴明という人はもっとオカルトティックな“技”を縦横無尽に操った人物、といったイメージを勝手に持っていたわけですが、昨夜の番組を見る限り、それほどの派手さはないようです。

2002/02/25 ブラッドバリーの名言

【本日の名言】

「帰りの飛行機をラスベガス経由に変えようかと思った」

今回の「名言」の主は、冬季オリンピックソルトレイクシティ大会「男子ショートトラック」の選手・スティーブン・ブラッドバリー選手(2002年時点28歳/オーストラリア)です。

ショートトラック・スピードスケートという競技は狭いリンクを滑るため、転倒や失格が実に頻繁に発生する競技です。そのため、不可解な判定で失格になったり、あるいは転倒に巻き込まれるなどの不運とは常に隣り合わせの状態にあるわけですが、彼ブラッドバリー選手にとっては、それらが逆の意味で全て幸運に働きました。

2012/07/24 自分で考えて自分の道を歩もう・吉田秀和さんの番組を見て

昨夜、NHK総合で放送になったばかりの「クローズアップ現代」の話をしておきます。

昨夜は、放送が始まってから録画の予約を入れていなかったことに気づき、始まってから録画のスイッチを入れました。昨日取り上げられたのは、今年の5月22日に98歳で亡くなられた音楽評論家の吉田秀和さんで、吉田さんが66年にも及ぶという評論生活で示された「周囲に流されない生き方」が描かれました。

吉田さんが注目を集めるきっかけとなったのは、グレン・グールドを真正面から評論したことだそうです。今でこそ日本人が最も愛するピアニストの一人になっているそうですが、彼が登場してきた当時は、彼独特の“解釈”や彼自身の特異なパーソナリティもあって、突飛な印象が強かったといいます。

2002/04/07 らんぼうさん母への想い

来月の「母の日」(5月の第2日曜日。今年は5月12日)まではまだ間がありますが、昨日の日経新聞に、シンガーソングライターのみなみらんぼう氏(1944年12月13日宮城県栗原郡志波姫町出身。法政大学卒業後、ラジオ台本作家を経て1971年『酔いどれ女の流れ唄』で作詞・作曲家デビュー。1973年には『ウイスキーの小瓶』で歌手デビューも果たす。作詞作曲した『山口さんちのツトム君』はミリオンセラーとなる)が母への想いを綴った一文が載っていました。

https://youtu.be/tihHNnVkZwk

「青春の道標・母の死 悲しみの夏」と題された文章がソレです。

2009/04/28 正直な人だった手塚治虫

手塚治虫と聞いて、どのようなイメージと共に手塚さんを思い出すでしょう。今や、手塚治虫といえば、“漫画の神様”と祭り上げられ、下へも置かぬ扱いです。

たしかにそれだけの価値がある人物で、私も手塚治虫は、作品世界以上にあの人物像が好きだったりします。あれだけの人物はそうそういないであろうと考えることもあります。

その一方で、世間に流布する一面的すぎる手塚治虫像に居心地の悪いものを感じたりするのもまた事実です。しかし、テレビで手塚さんの特集が組まれますと、誉め上げるだけで、居心地の悪さの理由について語られることは多くありません。

その点、先週、NHK衛星第2で放送された「週刊・手塚治虫」は見もの、聞きものでありました。

この番組では、毎週ゲストをひとりお迎えし、手塚治虫と作品について語ってもらっています。その日(24日)ゲストにお招きしたのは、映画監督の大林宣彦さんです。

2008/7/17 創価学会の理論的支柱だった原島嵩

「原島嵩(はらしま・たかし)」という名前を見聞きし、創価学会の関係者ならいざ知らず、一般の人で「ああ、あの原島さんか」とすぐにわかる人はごく少ないのではないでしょうか。

一般人のひとりであるσ(^_^)私もまったく存じ上げていませんでした。その死亡記事を載せた記事(『週刊新潮』2008年7月24日号)を目にするまで。

「創価学会の理論的支柱」(元創価学会広報部副部長・小川頼宣氏の証言)的人物であるのなら、その訃報を主要新聞が取り上げて然るべきと考えますが、なぜか、どの新聞にも死亡記事は載っていないそうです。その原島さんがこの6日お亡くなりになっています。享年69歳だそうです。その関連で調べていましたら、父親の宏治氏は55歳で亡くなっています。しかもウィキペディアには「急死」とあり、何か引っかかるものを感じます。なお、この宏治氏は、公明党の初代委員長を務めているそうです。

私はまったく知識を持ち合わせていませんでしたが、そもそも創価学会という新興宗教団体は、日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)の信徒団体なのだそうですね。

2001/11/26 デジ紀信

スポーツ新聞(スポーツニッポン←たまにスポーツ新聞をサービスで置いていってくれるのです(^-^))をパラパラとめくっていると、女性のヌード写真が目に入りました。

そのヌードの女性は、上半身裸で顔にはサングラスをかけ、下半身は共に黒いレザーのショーツとブーツだけを身にまとっています。

問題は撮影場所ですが、この寒空の中、都心上空のヘリコプターの中です。しかも、サイドのドアは全開にされ、モデルは肢体を半身外に乗り出した形で写真に収まっています。よく見たら、寒さと恐さで鳥肌が立っていたりして(^_^;

それでそれで、この写真を撮った写真家は誰かといえば、、、「やはり、そうでしたか」。篠山紀信(しのやま・きしん)でした。

2015/08/11 横尾忠則の「美しい」を形にした大阪万博パビリオン

時代を象徴するようなことがありますと、何年経ってもそれを繰り返し振り返ります。先の大戦がその象徴ですが、戦争が終わって今年が70年目にあたります。

それがあって今年で45年経つものがありますが、何が思いつかれるでしょう。当然のように、45歳以下の人には遠い昔の出来事に感じられるでしょうが、今から45年前の1970年といえば、「大阪万博(日本万国博覧会)」があった年として多くの人に記憶されています。期間は、同年3月14日から9月13日までの183日間です。来場者数が【6421万8770人】だったことから、どれほどの熱狂に包まれたか想像できるであろうと思います。

万博の会場に選ばれたのは、大阪の吹田などに広がっていた千里丘陵です。ここに、100を超えるパビリオンが立ち並び、その周囲をモノレールが走り、さながら“未来都市”が出現したかのように見えたでしょうか。

本日は、その万博会場でひときわ目を引いたであろうパビリオンをデザインした人の話を書くことにします。日経新聞には日曜日の紙面で2ページを使った美術コーナー「美の美」があります。このところは「戦後70年」と題した連載をしていまして、9日分は第6回にあたります。

見出しは「若者たちの大阪万博」です。