2008/10/01 「春の楽しい電車」からリクエスト

本サイト内で、私が制作した動画を中心に紹介するページ「私の動画アーカイブス」(※ 該当ページはありません)に本日、新しい動画をひとつ追加しましたのでお知らせします。

動画のタイトルに付けましたように、これは今からちょうど20年前、1988年に放送になった番組の一部を抜き出して作った動画です。

問題は、なぜ今、20年前に録画したビデオに注目することになったのか? です。

これには理由があります。ただ、それは、理由のもとになっている放送が今夕に控えていますので、明らかにすることはできません。しかし、それでは何ですので、今回のビデオのもとの番組と、それについての思い出話をすることにします。

まず、今夕に控えている放送は、NHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」です。

2008/11/16 浦山桐郎の『キューポラのある街』

やっぱり私は極端な人間にできている、のでしょうかf(^_^)

映画にしても見るときは立て続けに何本も見たりしますが、一旦見ないサイクルに入りますと、今度はまったく見なくても平気な時期が続いたりします。昨日までは見ないサイクルに入っていたようで、今のサイクルに入る前で最後に見たのはいつで何を見たのか? と調べてみましたら、自分でも驚いてしまいますが、昨年の11月の今頃に見た『ブレード・ランナー ファイナル・カット』でした。

いやー、懐かしいとさえ思ってしまうほど“昔”です。これまでの期間私は何をしていたかといいますと、まあ、たいしたことはしていません。強いて挙げれば、歯科医院通いに精を出していたぐらいです(^m^)

本日の豆誤変換
×「歯科医院が良い」→ ○「歯科医院通い」(^O^;

誰でも同じだと思いますが、しばらく休んだあとに再び動き出すのは腰が重く感じると思います。今回私の重い腰を上げさせたのは、ある映画監督の作品が上映されると知ったからです。知ったのは11月に入った頃でしたか、朝日新聞の映画紹介ページにある広告が載り、それを目にした瞬間、私の腰の辺りに羽でも生えたかのように、「この映画を見に行きたいかも」という気持ちが芽生えました。

そう私を思わせた監督は、浦山桐郎(うらやま・きりお)です。

2007/06/01 父と子・松岡さんの場合

昨日の続きで、故・松岡利勝前農水相について書いてみることにします。

私は今、松岡さんが自分で命を絶たれる前日、5月27日の産経新聞に載った記事の切り抜きを持ち出してきました。これは、その日の1面と29面に載ったもので、その1面の見出しには「緑機構談合 農水相支援者 調整か」と大きな活字が踊っています。

世事に疎い私は、そもそも前提となる「緑資源機構」という組織はどのような性格を持ち、また、どんな仕事をしているところかもまったく理解できていません。

産経の記事のリード部分は、以下のようになっています。

2001/01/10 家族ヌード

新聞をめくっていましたら、ある見出しが目に飛び込んできました。

「家族ヌード」

「家族ヌード?」と興味を引かれ、記事を読み始めることに。

話題の主は、長島有里枝という女性写真家で、これまでの彼女の活動を総括する個展が開かれている(開かれていた?)という内容の記事でした。

彼女は、1993年に“家族ヌード”で衝撃的なデビューを飾ったことから「“家族ヌード”写真家」などとも呼ばれているようです。私も彼女の名前は聞き覚えがあると思い、重ねた本の小山を捜していましたら、見つかりました。彼女の写真が収められた写真集”Shutter and Love”が。

2006/06/28 甲斐庄楠音

本日は、先日(25日)の「新日曜美術館」(日曜美術館 NHK教育/日曜09:00~10:00 再放送20:00~21:00)で取り上げられた日本画家甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと)について書いておきたいと思います。

当日の番組タイトルは_「穢(きたな)い絵だが生きている 大正画壇の奇才・甲斐庄楠音」です。

のちに先輩画家に「穢い絵」と烙印を押される楠音が描く女性像。私は当日の番組にはそれほど興味がわかず、習い性で見始めました。

それが変わったのは、楠音が描いた絵が紹介されたとき、ではありません。

たしかに、「大正画壇の奇才」と称されたのも頷ける画風ではありました。しかし、あまりにも「作り絵」っぽいのがどうも私の好みに合わないことを感じていました。

楠音は、「男が詩想した女ではなく、針でつけば真っ赤な血潮が吹き出るような、生身の女そのものを描きたい」と願い、それを絵筆に込めたということですが、それでも日本画の画材が制作に制約を課し、少なくとも私の眼には、生身の女を描いたようには映りませんでした。

大正9(1920)年に描いた絵に『幻覚』があります。

2010/07/23 『ライトスタッフ』スクリーン鑑賞

本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新をしています。なお、トークは前日の夜に行っています。

本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。

なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ

インディの鞭の気まぐれトーク-2010.7.22

トークを要約した書き起こし

今回も夜にトークをしている。明日(23日)は「大暑」。年によっては冷夏で、「大暑」らしくない涼しさになったりすることもあるが、今夏は文字通りの「大暑」となるだろう。今日も各地で気温が上がっている。

夜になっても気温が高いままで、東京では熱帯夜が8日続いているという。私個人の話で恐縮だが、熱い夏になることを見越したわけではないがf(^_^)、部屋にエアコンを入れたため、室内にいる限りは暑さが苦にならずに過ごせている。

でも、当たり前だが、部屋を一歩出れば暑い…(#+_+) 今日も「大暑」のような暑さとなった。そんな今日、私はまた映画を見に行った。「海の日」であった今週の月曜日(19日)にも映画を見ているので、1週間に2本見たことになる。

今回私が見たのは、1983年のアメリカ映画『ライトスタッフ』。私はこの作品が好きで、レーザーディスク(LD)でも持っていて、NHK衛星第2で放送になったときには録画してDVDメディアに保存することもしている。

2009/01/15 勇気をくれる映画『ライトスタッフ』のミニ動画

このことには昔から気づいていましたが、σ(^_^)私はサービス精神が旺盛な人間に生まれついているようです。

そのサービス精神は、たとえば年賀状を書く際にも発揮されました。私は今も昔も年賀状を書く習慣を持ちませんが、中学3年の暮れ、同級生の女生徒に出すため1枚書きました。彼女とは中学時代の3年間同じクラスで、私は彼女にずっと片思いしていたのでした(*´д`)

で、いきなり熱烈なラヴレターを送っては相手もさぞかし重苦しく感じるであろうということで、年賀状にかこつけて自分の気持ちを相手に伝えようと、15歳なりの智恵を働かせました。その時に作成した年賀状は今でも憶えていますが、次の年の干支をイラスト風に大きく描き、右下にある細工を施しました。

当時はプラモデル作りにも熱中していましたから、必要不可欠な接着剤「セメダイン」はいつでも手元にありました。そのセメダインを使った細工です。

まあ、細工といいましても、子供が思いつくことですから大したものではありません。セメダインの透明性を活かし、ポチョン、ポチョンと点を置くようにして、「LOVE」という文字を描きました。乾くと透明になるセメダインで描いた文字は、ちょっと見には気がつきません。

そこで、その脇に小さくこんな注意書きを添えました。

2011/04/11 ホキ徳田と水森亜土の思い出回帰線

本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新しています。なお、トークは前日の夜に行っています。

本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。

なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ

インディの鞭の気まぐれトーク〔2011.4.10〕

トークを要約した書き起こし

今回も夜にトークをしている。前回のトークでお話したように、トークに使うマイクが少し上等なものになった。トークでは値段的には【2倍】ほどといっているが、これは単純な計算間違い。正確には約【3倍】。

3倍の値の筆で絵を描いたからといって、腕前が急に3倍増しにはならないように、3倍高価なマイクでトークをしても、お粗末なトークはお粗末なまま(´Д`;)トークが上手になりたいとはちーとも思わないが、道具に費やした分ぐらいは元を取りたい、かな(^Q^)

今回は、土曜日の昨日(9日)、午後6時台に聴いたFM番組について話してみることにする。とっても面白い番組だったので。

その番組名とは、NHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」

この番組名では13年間続いたが、先月の25日で番組は終了してしまった。しかし、東日本大震災が発生したことで、11日金曜日と翌週1週間は番組が休みになってしまった。

そこで、特別プレゼントとして、今月の土日は、午後6時台に「サンセットパーク」が復活した! というのはσ(^_^)私の単なる希望。“みなさまのNHK”であるはずなのに、こんな気の利いたサービスはしてくれそうな気配は微塵もない。

まあ、それはともかく、私は昨年の11月下旬まで、FM放送(超短波放送)を聴くための機器であるチューナーは、長いことスイッチの壊れた状態で使っていた。スイッチを入れても戻ってしまうので、テープで止めて使うといったありさまだったf(^_^)

2014/11/15 将棋界に君臨したYによる悲劇

前々回、前回に続き、今回も将棋日本将棋連盟)の世界で繰り広げられた“Yによる悲劇”について書きます。

関わりを持つ人間をことごとく悲劇に巻き込む“Y”とは、2005年から亡くなる年まで将棋連盟の会長を務めた米長邦雄永世棋聖です。生前、米長さんは関係者からの人望を著しく欠いていたようですが、氏の実像が新聞やテレビで報じられることはありませんでした。

2014/11/14 人望のなさを物語るYの逸話

本コーナーの昨日分は、将棋日本将棋連盟)の世界で密かに繰り広げられた人間模様めいたことを書きました。今回はその続編です。いずれも、ネットの事典「ウィキペディア」から貼られた先にある過去の週刊誌記事をもとに書いています。

昨日は、米長邦雄永世棋聖との腐れ縁ができてしまったことで、ほぼ20年間にわたって米長さんに仕え、挙げ句の果てに婚約者を寝取られてしまった元プロ棋士の桐谷広人さんについて書きました。

女流棋士のための「女流名人戦」実現のために動いていた桐谷さんに米長さんが近づき、自分の力で「女流名人戦」を作ってやるといわれた桐谷さんは、その言葉に感激したのでしょう。「それが実現したら20年間米長さんに尽くします」といってしまったことで米長さんとの間に生じた縁でした。