昨夜、NHK総合で放送になったばかりの「クローズアップ現代」の話をしておきます。
昨夜は、放送が始まってから録画の予約を入れていなかったことに気づき、始まってから録画のスイッチを入れました。昨日取り上げられたのは、今年の5月22日に98歳で亡くなられた音楽評論家の吉田秀和さんで、吉田さんが66年にも及ぶという評論生活で示された「周囲に流されない生き方」が描かれました。
吉田さんが注目を集めるきっかけとなったのは、グレン・グールドを真正面から評論したことだそうです。今でこそ日本人が最も愛するピアニストの一人になっているそうですが、彼が登場してきた当時は、彼独特の“解釈”や彼自身の特異なパーソナリティもあって、突飛な印象が強かったといいます。
まず演奏スタイルですが、強いこだわりを持ち、ピアノの前に座る椅子にしても、通常の高さの椅子ではなく、父親に頼んで作ってもらったという特製の折りたたみ椅子以外には座りたがらなかった、といったようなエピソードが残っています。この椅子は一般的な椅子に比べて高さが異常に低く、それがため、極端に前のめりになって演奏したそうです。しかも、演奏中に自分の手を振ってリズムを取り、ハミングしながら演奏したといいますから、ほかのクラシック演奏家とはずいぶん違ったパーソナリティを持っています。昨夜の「クローズアップ現代」でも、そんな彼の若き日の演奏の様子がごく一部紹介されました。
今でも、クラシック音楽の演奏会といいますと、聴衆には静寂を求め、わかっていない人もさもわかったような顔をして静かに聴かなければならない、といったような場の雰囲気が強要されています。
グールドはそういったことにも批判的な考えを持っていたようで、ときには自分が気に入っているセーターを着て演奏会に現れることもあったそうです。
音楽というものは、日本語の文字が示すように、音を楽しむ行為であるはずです。それなのに、クラシック音楽のコンクールで入選をめざすような人は、一音のミスも許さないとばかりに、正確に演奏することを主眼に置き、楽譜通りに完璧な演奏をすることをめざして日夜練習します。もちろん、そうでなければプロの演奏家にはなれないでしょうが、その結果、正確さだけが命になってしまったのでは、その音楽家から自由さは奪われてしまうでしょう。
グールドはそうしたことにも批判的だったそうで、やがて演奏活動を止め、自分の演奏を録音して後世に残すことだけをするようになっています。私も、彼について書いた本を昔に買って持っていたと思いますので、あとで探して読み返してみたくなりました。
そのグールド流の解釈で演奏したバッハの『ゴルトベルク変奏曲』は、テンポからして、それまでのゆっくりとしたものではなく、まるでレコードを速回ししたかのように、ポンポンポン♪…と演奏され、評論家の多くは面食らったようです。
そんな中にあり、吉田秀和さんはグレン・グールドが解釈したバッハの演奏を評価し、そのことで、吉田さんという音楽評論家の名が世に知れ渡ったそうです。
ただ、吉田さんがグールドをいち早く認めたことはいいとして、また、グールドの演奏スタイルも“あり”としても、だからといって、今度は世の中の人がみな吉田さんの評論になびき、グールドの演奏を手放しで絶賛するというのでは、逆の意味で“権威お墨付き”に無条件になびく一般聴衆というものを悪い意味で象徴している、ように私には感じられてしまいます。エラい人がそういっているから、一緒になって賞賛しているだけでしょう? と。
これを、今開催中の絵画の展覧会になぞらえますと、17世紀のオランダの画家・フェルメールに対する態度にも見て取れます。
絵画の長い歴史で見れば、ほんの少し前まで、日本人の多くは、フェルメールという画家を知りませんでした。それが、彼の生涯が映画になったりしたこともあり、急速に認知度が高まりました。これは一種の“バブル”というべき現象です。
美術が専門でないけれど売れっ子というだけで引っ張り出された学者が、自分の専門分野から彼にアプローチし、テレビの番組や書物、新聞紙面などでフェルメールについて、もっともらしいことを語るといったことがあり、それを見聞きした一般大衆は、知識としてフェルメールを知り、賞賛する、といった具合に見えなくもありません。
吉田さんの話に戻りますと、今から30年ほど前、新聞に寄せた評論が“騒動”となります。
日本経済がバブル景気に沸く少し前の1983年、“20世紀最高のピアニスト”と賞賛された音楽の神様が来日します。78歳になったウラディミール・ホロヴィッツが来日し、日本の聴衆にピアノの腕前を披露しました。
番組では当時の映像が流されましたが、演奏会のチケットを求める長い行列や演奏会場で聴衆が総立ちになる様子から、いかに当時の日本人が“ホロヴィッツ熱”に浮かされていたかわかります。普段はクラシック音楽にそれほど興味のない人も、数万円のチケットを買い求めるために行列に並んだそうです。
おそらくは、NHKのクラシック音楽番組「N響アワー」も間違いなくこの時の演奏を取り上げていると思いますが、どのように評価したか確認したいものです。あくまでも想像ですが、その番組でもホロヴィッツを諸手を挙げて賞賛したのではないでしょうか。
日本中がホロヴィッツに熱狂していたさなか、演奏会場でホロヴィッツの演奏を聴いた吉田秀和さんが、6月17日の朝日新聞に寄せた批評が世に知られ、のちに“ホロヴィッツ事件”といわれることになりました。そのときの批評の一部を、番組では次のように紹介しました。
今私たちの目の前にいるのは、骨董(こっとう:種々雑多な古道具。また、希少価値或いは美術的価値のある古道具=広辞苑)としてのホロヴィッツにほかならない。その価値は、つきつめたところ、人の好みによるほかない。この芸術は、かつては無類の名器だったろうが、今日(こんにち)最も控えめにいっても、ひびが入っている。それも一つや二つのひびではない。忌憚(きたん:いみはばかること。遠慮=広辞苑)なくいえば、この珍品には欠落があって、完全な形を残していない。
それを見抜くこともできず、ただ絶賛した専門家や聴衆は、いきなり冷水を浴びた感覚になったでしょう。「私が信じていたものは何だったの?」と。
ホロヴィッツもそのことを自分自身で知っていたのか、この演奏から3年後、ふたたび来日を果たし、前回の演奏を挽回するような腕前を披露し、今度は吉田さんも好意的に評価したそうです。
吉田さんはホロヴィッツの才能をまったく認めていなかったわけではありません。良いところは認めつつ、78歳という年齢を差し引いてもミスタッチが多いなど、絶賛するのはどうか? と自分の正直な感想を述べただけのようです。
それはホロヴィッツの日本公演についてだけではなく、あらゆる場面で、日本人に疑問を感じていきます。次のような吉田さんの文章も番組で紹介になりました。
私たち今日の日本人は、「流行」に恐ろしく敏感になっている。何かがはやると、誰も彼も同じことをしたがる。こんな具合に、流行を前にした無条件降伏主義、大勢順応主義と過敏症を、これほど正直にさらけ出している国民は珍しいのではないかと、私は思う。
私もこうしたことは常々感じています。たとえば、ある出来事があり、それをマスメディアが一斉に取り上げると、彼らの掌の上で転がされた一般大衆が、みんな同じ方向を向き、同じように反応しているように感じることが多くあります。そのことに、吉田さんも「それでいいのか?」と疑問を呈していたのだろうと思います。
吉田さんが亡くなる前年、福島原発事故が起きました。
結局は、“原子力ムラ”といわれるような支配構造に多くの日本人が疑いを持たずに生活してきた結果起きてしまった事故、といった見方もできるでしょう。
私も本コーナーで繰り返し、世間で信じられているような“レール”からは降りましょう、というようなことを述べてきました。私がいいたかったことも、吉田さんのお考えに近いものであると思います。
日本の学歴社会でいえば、東京大学へ進学することが“勝者”のように未だに信じられています。それに疑いを持たない人は、一所懸命に受験勉強をしてそれをめざします。そこで学んだ人の多くが原子力の推進側に多いそうですね。これが物語ることは何でしょうか。
クラシックの演奏家をめざして一所懸命に楽器の練習に打ち込み、一音のミスもしないような演奏スタイルを身につけ、音楽コンクールで入賞することを目指します。しかし、それだけでいいのか? と疑問を感じたなら、“レール”から降り、たとえばグレン・グールドのように、独自の道を歩むことになるでしょう。
レールにのったまま生きていくのか。それともレールから降りるのか。一度、損得を抜きにして考えてみるといいように思います。
私の考えは別にして、吉田秀和さんの場合は、「自分はこんな風に考えるけれど、あなたはどうかな?」といったニュアンスを、お書になられた文章からも、実際にお話しされたことがある人へも感じさせたそうです。それだからこそ、それに接した人の心に届いたといえましょう。
番組では、最晩年の吉田さんの姿も伝えられました。亡くなる5年ほど前の映像です。吉田さんは、著名な音楽評論家でしたが、豪華なオーディオルームやオーディオ機器は持たず、特別高価ではなさそうな装置で音楽を聴き、簡単なメモを取っていました。そのことについて取材の記者に訊かれたのでしょう。そのときの吉田さんは次のように答えました。
僕は機械にはあまりこだわらないんですよ。いい機械の方がいいのかもしれないけれど、そうでなかったらいけない、とも思わないんですよ。
吉田さんの長女が、父の教えを次のように述べていました。
自分の思ったことを、自分の言葉できちんと伝えなさい。