今日は写真の話題でも。
私は下手の横好きで自分で撮るのも好きですが、写真集を観るのも好きです。中でも、一時期ちょっとしたブームになったときの“アラーキー”こと荒木経惟の作品集は見まくりましたね。
よくアラーキーというと、「あ、あのエロ写真家」といった誤解をされている向きがありますが、実は、誤解が“正解”のエロ写真家です、、、(^.^;
ただ、写真というメディアに対する考え方は、群を抜いていると思います。
彼の作品集を何冊かご覧になればわかっていただけると思いますが、彼は、それまでのように、写真を一枚の完成作品としては扱っていないのが最大の特徴だと思います。彼は一冊の作品集の中に膨大な数の写真をこれでもかというほど詰め込み、なおかつ、それらすべてを故意にグチャグチャに混じり合わせています。彼にとっては、一冊の作品集が丸ごと“一枚の作品”でもある、かのようです。
私が勝手に考えるに、一番のポイントは、未完成である点だと思います。いつでも造りかけ。いつでも制作途中。とりあえず、です。
ごく普通の写真家であれば、膨大なフィルムの中から使えるカットだけを選びます。しかし、彼のある作品集では、撮ったまんまのフィルムをそのままの形で載せているものがありました。これまでだったら成立しなかった方法です。それもアラーキーにいわせれば、
「だって、アタシゃ天才だからさ。撮ったものがみんな傑作になっちゃうわけよ」となりそうですが。
確か、彼は学生の頃16ミリ映画も撮っていたそうですから、そういった影響もあるのかもしれません。でも、天才かぁ? そうですね、ある意味、間違いなく。
ところでアラーキーの話が出たついでに、もう一冊の写真集についても書いてみたいと思います。
作品集のタイトルは『部屋と下着』(小学館)。下着とついているからといって、アラーキー作ではありませんよ。アラーキーの場合は下着がない?(^.^; 宮下マキという女性写真家の作品集です。
私はまだそれを見ていないわけですが、書評によると、タイトルに下着とついている以上、やっぱり、下着姿の女性が出てくる写真集であることには変わりないようです。ただし、日常生活の中での下着姿。
その写真家の彼女は、「新幹線の窓から眺めた夜の東京の灯りからこの写真集の着想を得た」とのことです。それぞれの灯りの下には、それぞれの生活があり、そのことにある種の感慨を抱く、という人類共通の想いですね。
彼女は70人の女性の日常をファインダー越しに覗くことで、“そこにある日常”への共感を表現したかったのかもしれません。
それにしても、そこに載っている一枚の写真。なんと、日常感覚に溢れていることか(^.^;
若い女性の部屋は、ファンシーで二十四色のクレヨンがないと描けないような華やかさがある、といった類の甘~い幻想を木っ端みじんにしてくれるほどのインパクトを持っています。
女の子といえども、男と一緒。他人から見たらガラクタのような生活必需品の中で暮らしいるんだな、、、といった当たり前のことに改めて気づかせてくれます。
で、彼女の作品集のことをあれこれと考えていたら、やっぱりアラーキーの影響を色濃く反映していることに気づいてしまいました。
【荒木経惟作品展情報】東京・大塚のTaka Ishii Galleryで『写真私情主義』と題する作品展(7月15日まで)が開催中です。日頃「え? アラーキー? ちょっと、どぎついところがねぇ、、、」と二の足を踏み気味の方も、お暇でしたら覗いてみてはいかがでしょうか? もしかしたら、新しい発見があるかも、、、です。