マスメディアは、組織や個人の責任を追及しますが、マスメディア自身が犯した問題の追及は誰がするのでしょうか?
昨日、ある“報道系”番組を見ました。『スクープ21』(テレビ朝日/日曜18:56~19:54)という番組です。
昨日の放送でメインに取り上げられたのは、昨年の10月に埼玉県桶川市で起こった「桶川ストーカー殺人事件」です。
私はこの事件にことさら関心はなかったため、事件のあらましやその後の報道についての知識はありません。しかし、断片的ではありますが、テレビのワイドショーをはじめ、一部の雑誌、新聞などで、被害者の女性に対しての名誉毀損的な報道がされていたことは記憶しています。
そのことにより、両親をはじめとする関係者は深く傷つき、外部との接触を断つような生活を強いられることとなったようです。そうした状況を打破するため、『スクープ21』(以前は『ザ・スクープ』という番組名でした)のキャスターを務める鳥越俊太郎氏は、家族との接触を試み始めたようです。以来1年あまり、両親はテレビカメラの前に素顔をさらし、思いの丈を述べるまでになりました。今回の番組の副題には「事件から1年・私たちは立ち上がる猪野詩織さんの両親の姿を見つめてきました」とあるほどです。
それはそれで良かった、とは私も思います。しかし、番組を見ながら、何とも釈然としない思いも一方にありました。
番組では、盛んに当時の警察の捜査のあり方を批判していました。もちろん、批判されるべき点は多々あったのも事実であろうと思います。しかし、どうしても私には、マスメディア自身の責任転嫁、論点のすり替えのように思えてならないのです。警察が犯した罪同様、マスメディア自身も責任を取るべき罪を犯していると思うからです。
先にも書きましたが、全てのマスメディアとはいいません。一部の心ないメディアが興味本位に彼女の私生活を暴き、肉親を傷つけているのです。だとするなら、警察を批判する一方、自身の報道のあり方をも強く批判すべきなのです。それをなかったことにして、批判の対象を警察にだけ向けさせているとしたら、視聴者をミスリードしていることになるでしょう。
同じようなことは、1997年に起こった神戸の小学生殺害事件(「神戸連続児童殺傷事件」)のあとにも感じました。あのときも、テレビのワイドショーをはじめとする一部マスメディアは、連日、「犯人の推理合戦」に終始していました。ところがいざ真犯人が逮捕されてみると、それまで“推理”されていた犯人像からはほど遠い犯人に、一般国民は唖然とさせられました。
結果、それらのマスメディアは総懺悔するのかと思いきや、呆れるくらいの論点すり替え作戦に出ました。「少年がなぜそのような残虐な犯罪を起こしてしまったのか?」という点に論点を移し、少年法や教育の問題へと国民の目を向けさせました。結局、マスメディアのいい加減さは最後の最後まで追及されることなく時は流れていったのです。
今後はネットの普及が急速に進むものと思います。それにつれ、それまでは受け手の側にいた一般国民自身が発信する側にも回れるようになります。そのとき、発信者である各人は、誰に惑わされることなく、自分の考え方を素直に発信すべきです。その結果、物事には多様な見方があるのだということに、気づいていくことでしょう。また、そうあって欲しいものです。