2014/11/14 人望のなさを物語るYの逸話

本コーナーの昨日分は、将棋日本将棋連盟)の世界で密かに繰り広げられた人間模様めいたことを書きました。今回はその続編です。いずれも、ネットの事典「ウィキペディア」から貼られた先にある過去の週刊誌記事をもとに書いています。

昨日は、米長邦雄永世棋聖との腐れ縁ができてしまったことで、ほぼ20年間にわたって米長さんに仕え、挙げ句の果てに婚約者を寝取られてしまった元プロ棋士の桐谷広人さんについて書きました。

女流棋士のための「女流名人戦」実現のために動いていた桐谷さんに米長さんが近づき、自分の力で「女流名人戦」を作ってやるといわれた桐谷さんは、その言葉に感激したのでしょう。「それが実現したら20年間米長さんに尽くします」といってしまったことで米長さんとの間に生じた縁でした。

桐谷さんは律儀な人のようで、どんなに嫌な思いをさせられても自分が交わした約束を守り、20年間は米長さんに尽くすことを続けたようです。

約束の20年が過ぎたあと、桐谷さんは米長さんとの師弟関係を解消しています。その上で、身近で見聞きしてきた米長さんの本性を週刊誌で告白しています。今回参考にさせてもらっています桐谷さんの告白が載った週刊誌で、一番古い号は1998年の4月2日号です。米長さんと約束したのが1974年ですので、24年目になります。

米長さんとの縁を絶ちきった桐谷さんは、米長さんの本性を多くの人に知ってもらいたくて、将棋関係者に話し始めたそうです。その噂は米長さんの耳にもすぐ入ったことでしょう。すると、昼夜を問わず、桐谷さんの電話に無言電話が入るようになります。陰湿な嫌がらせをしているのは、疑うまでもなく米長さんに決まっています。桐谷さんは心理的な圧迫によるストレスで病気になり、入院を余儀なくされたそうです。

週刊誌で米長さんの本性が明かされた年は、米長さんの棋士人生の転機にもあたったでしょう。前年度まで、米長さんは将棋界順位戦で最高位のA級に所属しています。ここに所属する棋士は10人で、1年をかけてA級の全棋士と対局し、最高の成績を収めた棋士が「名人戦」への挑戦権を得ます。

1998年の3月3日、米長さんがA級から降級しています。その現実を受け入れることを米長さんのプライドが許さなかったのか、「来期からの順位戦には参加しない」「棋戦にも出ない」と口走ってしまったそうです。この発言を受け、「名人戦」を主催していた毎日新聞が、当然のように米長さんの引退報道をしています。

ところが、その発言から3カ月ほどあとの6月、前言をいとも簡単に翻し、「棋戦を主催する新聞社の社長、会長から要請があれば出る」などと図々しくもいい出します。しかしこの発言は、将棋界で不評だったそうです。それはそうでしょう。将棋連盟に所属する棋士は、すべの棋戦に参加する義務があるからです。米長さんだけ特別扱いするわけにはいきません。

このときの毎日新聞の引退報道が、もしかしたら米長さんの恨みを買い、のちに起こる「名人戦」の主催新聞社を毎日新聞から朝日新聞へ移そうという米長さんの企みにつながった、のでしょうか。

米長さんは性欲と共に強い支配欲もお持ちだったようです。1997年5月、将棋連盟会長への就任を目指し始めます。会長は、6月にある通常総会で、理事の中から互選されるそうです。ですから、まずは理事に選ばれなければなりません。将棋連盟のサイトで確認しますと、専務理事が1人、常務理事が3人、理事が2人という構成になっているようです。

米長さんは会長を目指すための前段となる理事選へ立候補しています。この年は6人の枠に米長さんを入れて7人が立候補したそうです。結果は、最下位で落選しました。米長さんはもともと人望がなかったそうで、反米長派が当選を阻止したようです。おそらくは、桐谷さんも反対派に回ったでしょう。

米長さんが会長を目指した頃に会長を務めていたのは、羽生善治さんの師匠としても知られる二上達也さんです。

次の世代の会長になるべく、米長さんはライバル視していた中原誠さんには並々ならぬ対抗意識を持っていたようです。その中原さんより先に自分が会長職に就くという“野望”を持ったものの、結果的には、中原さんが先に会長に就任しています。

そもそも、中原さんと米長さんでは、棋力の点でも、人格の点でも大きな開きがあったそうです。その一例が週刊誌でも書かれます。

1980年代から90年代の半ばにかけ、中原さんは将来の将棋界を担うことになるであろう奨励会(新進棋士奨励会)に所属する会員のために、月1回の割合で「中原研究会」を催し、指導対局をしたそうです。これが、なんの宣伝もしなかったのに人気となり、毎回多くの会員が集まったそうです。

これに米長さんが嫉妬という条件反射をし、同じような「米長道場」を始めます。しかし、始めてはみたものの、人望のなさは覆いようもなく、1年足らずで幕を閉じたそうです。

それもそのはずです。主に指導対局をするのは米長さんがお気に入りの女流棋士で、米長さんは集まった女流棋士たちにちょっかいを出したりしていたようですから。この道場をNHKが取材してドキュメンタリーにしているそうですが、おそらくは米長さんの本性を隠し、さも素晴らしい人間として描いていることでしょう。

今回は、米長さんの最大の被害者ともいえる人について書くつもりでしたが、そこに辿りつくまでに長々と書いてしまいましたf(^_^) そこで、この続きは次回以降ということに致します。

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