前々回、前回に続き、今回も将棋(日本将棋連盟)の世界で繰り広げられた“Yによる悲劇”について書きます。
関わりを持つ人間をことごとく悲劇に巻き込む“Y”とは、2005年から亡くなる年まで将棋連盟の会長を務めた米長邦雄永世棋聖です。生前、米長さんは関係者からの人望を著しく欠いていたようですが、氏の実像が新聞やテレビで報じられることはありませんでした。
将棋には7つのタイトル戦(将棋のタイトル戦結果一覧)がありますが、いずれも主催するのは新聞社です。また、日本のマスメディアで特徴的なのは、大手新聞社と在京テレビ局がグループ関係にあることです。そのため、会長であった米長さんについてマイナスなことを報じ、ヘソを曲げられたら大変という事情もあったのでしょう。
組織内では米長さんの人間性を云々する話もあったでしょうが、それが表だって報じられることはなかったように記憶しています。そこに風穴を開けたのが、元プロ棋士の桐谷広人さんであることはすでに書きました通りです。
今からちょうど40年前、女流棋士のための「女流名人戦」実現に動いていた桐谷さんに米長さんが近づき、その実現に力を貸してくれるといわれたことに桐谷さんが応え、「実現した暁には米長さんに20年尽くします」と誓い、師弟関係を結んだのでした。
以来、間近で米長さんを見ることになり、世に知られた顔に隠された裏の顔も知ることになります。そのことを、20年以上経ったときに米長さんとの縁を切った桐谷さんが週刊誌に告白し、米長さんの裏の顔が世に出るきっかけとなりました。米長さんの極めて悪い女癖などについて桐谷さんが語ったことを米長さんが知り、桐谷さんは無言電話など精神的な圧迫を受けたそうです。
将棋界の醜聞として多くの人が記憶しているであろうことといえば、当時、将棋界を代表する棋士であった中原誠さんの愛人報道でしょう。それが『週刊文春』で報じられたのは1998年4月です。
そういえば、桐谷さんが米長さんについて告白した記事が『週刊新潮』に載ったのが同じ年の4月2日号ですから、発売されたのは3月の最終週になり、こちらが早く世に出ています。ということは、もしかしたらそれを打ち消すような意味合いで、週刊誌に何者かが報じさせたと考えられなくもありません。
私は当時、裏の事情は知りませんでしたが、中原さんの愛人報道を知ったとき、その裏で米長さんが動いたのではないか、と密かに考えていました。その当て推量が真相からそう離れていなかったことになりそうです。
中原さんの愛人として注目を集めたのは林葉直子さんです。
林葉さんの全盛期、彼女は将棋が強いだけでなく、その美貌とタレント性や作家業などでも高い評価を受けていました。今にして思えば、当時のマスメディアが人気者に群がり、彼女を商売道具に使っていたといえなくもなさそうですが(´・ω・`)
林葉さんは子供の頃から将棋が強く、女流棋士を目指しますが、あとにして思えば、一番近づいてはいけない棋士の内弟子になってしまいました。
19歳のときに“1000人斬り”といって、1000人の女性と肉体関係を結ぶと自分に誓ったという米長さんです。その米長宅に、林葉さんが住み込む生活が始まってしまいます。いくら病的とはいえ、まだ子供の林葉さんに米長さんが手を出すような鬼畜な真似はしなかったでしょう。
その林葉さんが高校生になったとき、米長さんは林葉さんに一人暮らしを命じたそうです。おそらく、その頃までには、林葉さんのご両親も米長さんの素性を噂で聞いていたでしょう。それだから、一人暮らしを命じられた娘の身を案じます。
林葉さんの父親は一人暮らしに反対し、米長さんに手紙を五度も書いたそうです。しかし、それらは無視されました。いよいよ不安に駆られたのであろう父親は上京し、米長さんに面会を求めます。おそらくはそこでもはぐらかされたのでしょう。父親が将棋会館へ行き、公衆の面前で米長さんを罵倒する出来事が起きたそうです。
そもそも、なぜ一人暮らしさせたかったかといえば、自宅では林葉さんとは愛人関係に持ち込めないからだったようです。米長さんが、林葉さんの母親にした説明は、「(林葉さんが)年頃になって色気づき、女房が自分(米長)との関係を疑うから家に置けない」だったそうです。
米長さんは、内弟子の林葉さんを自分のものにできなかったことと、林葉さんの父親との関係が完全に壊れたことなどから、林葉さんを破門しています。皮肉なことに、米長さんとの師弟関係を解消したあと、林葉さんは将棋のタイトル戦でタイトルを取り、タレントや作家としての人気を得ることになります。プライドが高いであろう米長さんにしてみれば、許すことのできない相手で、復讐の機会を狙うことになります。
成長した林葉さんが憧れたのが中原誠さんです。尊敬が恋心に変わったのだろうと思います。いつしか、ふたりは肉体関係を持つようになります。1994年5月、中原さんの子を身ごもったと勘違いした林葉さんは、将棋連盟に休業届けを出します。
桐谷さんは、小学生の林葉さんが中原さんの家に来たときから知っていました。着いてすぐ、指導対局をしたのも桐谷さんだったそうです。以来、ふたりは年の離れた友人のようだったそうです。ですから、休業届けを出すときも桐谷さんは林葉さんから相談を受けたそうです。事情を知る桐谷さんによりますと、将棋連盟の理事会としても、1年間ほど休業させるということで当初は話がついていたそうです。
ところが、米長さんが事態を混乱させてしまいます。復讐の機会を窺っていた林葉さんと中原さんふたりに一度に恨みを晴らせる機会に思えたからです。米長さんは、理事会が開かれていた将棋会館に突如乗り込み、次のようなデマを飛ばします。
林葉の失踪の原因は父との近親相姦だ。放っておくと自殺してしまうかもしれない。サイ・ババに会いに行くといって消えた。
米長さんは、自分の思い通りにするためならどんなこともする印象です。将棋連盟でもめたときは、自分に反対する職員を退職に追い込んだり、怪文書をばらまくこともしたそうです。
中原さんと林葉さんのスキャンダルを『週刊文春』が報じたのは、途中でも書きましたように1998年4月ですから、失踪騒動があった4年あとぐらいになります。桐谷さんが米長さんの本性を暴く告白が『週刊新潮』に載ったのが同じ年の4月2日号ですから、世間の目をそらし、同時に積年の恨みを晴らすために米長さんが裏で手を引いたと考えるのが自然であろうと私には思えます。当時、米長さんは『週刊文春』でコラムを連載していたそうです。
そういえば、桐谷さんが米長さんと師弟関係にあったとき、米長さんの名前で出る本のゴースタイターもさせられたそうです。
中原さんと林葉さんの関係が『週刊文春』でスキャンダラスに報じられたとき、『週刊新潮』でコラムを書いていた当時NHKのアナウンサー、広瀬久美子さんが、次のようなことを書いたそうです。
林葉氏は、本来、一年間の休養だったが、千人切りを自負する、元師匠の米長氏に、”彼女は近親相姦だ”などと理事会に吹き込まれ、追放になってしまった由。何なの一体。この足の引っ張りようは。
それを知った米長さんは激怒されたでしょう。NHKに猛烈な抗議をしたそうです。その上で、自分へのバッシングを封じ込める目的でか、男女間の噂を流す者があれば、棋士や職員を問わず、除名処分にするというようなことを書いた私信を女流棋士会へ送ったそうです。米長さんはご自身は、林葉さんの父親が娘を近親相姦したというようなデタラメな作り話をまき散らしておきながら、自分への噂には厳しく対処するというのですから、開いた口が塞がりません。
以上、3回にわたって米長さんという“怪物”が引き起こした出来事とそれに翻弄された人々について書きました。いずれも、ネットの事典「ウィキペディア」で桐谷広人さんについて書かれたページからリンクを貼られた先にある昔の週刊誌記事をもとに書いています。
これらのことから私が感じたのは、マスメディアのご都合主義です。彼らは悪を暴くなどといいながら、実際に彼らが日頃やっていることといえば、自分たちの不利益になることであればそれが悪であっても暴かないだけでなく、悪を善であるかのような報じ方をして人々の目を欺くようなことばかりです。
今後、マスメディアが今は亡き米長さんを取り上げるとき、どのように扱うか、私は注目していくつもりです。