本コーナーでは将棋(日本将棋連盟)について何度も書いていますが、今回は将棋界のダークな人物について書いてみます。
私は人との付き合いが極めて少ないためによく知りませんが、どんな世界にも背中に「取扱注意」と貼られているような人間が存在するでしょう。この場合の注意の度合いも千差万別で、厄介程度で済む場合もあれば、最悪の場合は、関わりを持ったがために人生を破滅させられてしまう! ようなこともあるでしょう。これから取り上げる人物は、極めて危険な人物のように思われます。
この人はすでにこの世から去りましたので、今後は危害が及ぶことはありませんが、生前、テレビなどで取り上げられることも多かったその人物は、人々に好印象を残したように思います。
あれは、今期「竜王戦」第3局の1日目でした。私は午前の対局の模様をネットの動画共有サイト「ニコニコ動画」で見ていました。
この動画サイトを利用している人には今更いうまでもありませんが、このサイトで特徴的なのは、映像を見たユーザーが思いついたことを随時書き込みでき、それが自分の見ている映像上にテロップとして表示されることです。このような仕掛けを設けることで、ただ見るだけでなく、自分もその“イベント”に参加しているような一体感が得られているようです。私はネットの掲示板に書き込みをしないのと同じ理由で、この種の書き込みをすることもまったくありません。
今ではあらゆる番組にテロップが登場します。それがたとえば、会話が聞き取りにくいときにテロップが表示されるのであれば助かることがあるでしょう。しかし、テロップそのものが表現手段のひとつになってしまっているケースが目立ち、映像そのものを落ち着いて楽しみたい私などのような人間には目障り以外の何物でもありません。
そんなわけで、ニコニコ動画を見なくてはならない場合は、極力テロップの表示を切っています。ただ、「竜王戦」第3局1日目の午前は、テロップを表示させる時間がありました。対局が始まったばかりで、どのような戦い方になりそうなのか、将棋に詳しいユーザーなども書き込むであろうということで、今後の展開を確かめたかったこともテロップを表示させていた理由です。
どんなつながりでその棋士の名前がテロップで表示されたのかは憶えていません。あるユーザーがひとりの棋士の名前を書き込みました。私はそれを見ながら、どんな棋士かよく知らなかったので検索し、検索結果のページを読みました。棋士の名前は桐谷広人さんです。
桐谷さんは7段まで昇段されていますが、7年前の2007年に引退をされています。現在のお年は65歳です。投資家としてのお顔もお持ちだそうですので、テレビで桐谷さんをご覧になった人もいるかもしれません。
桐谷さんは“取扱注意”の人物に人生を狂わされたひとりといえましょう。
私は、ネットの事典「ウィキペディア」に載っている記述に目を通し、「そうか。こういう棋士もいたのか」と思っていましたら、私生活について書かれた記述が気になりました。婚約を解消し、2014年現在まで結婚経験がない、とあったからです。それで、そのページにあったリンクから、昔の週刊誌記事を読みました。
結果的には人生を狂わされた桐谷さんによる、「怒りの告発」の体裁で週刊誌載った記事です。私はそんなことがあったことなど知りませんでしたので、非常に驚きました。
桐谷さんという棋士は、ご自分がプロ棋士として将棋を指すことと同時に、将棋界がよりよくなるようなことも考えていたのでしょうか。1970年代のはじめ頃は、女流棋士たちのための「女流名人戦」を作ってあげようと活動していたそうです。
そんな桐谷さんにある有力棋士が近づいてきます。1974年秋のことです。その人が「俺が反対派を押し切って、名人戦を作ってやる」といってくれたそうです。桐谷さんはその人に、「実現したら、20年間あなたに尽くします」と協力を仰いだそうです。
それが、桐谷さんと米長邦雄永世棋聖との腐れ縁の始まりとなったのでした。
米長さんは今から2年前の12月に69歳で亡くなっていますが、生前は将棋連盟の会長を2005年から亡くなる年まで務め(将棋連盟会長の任期は改選ごとに2年だそうです)、国から紫綬褒章を受けるなど、実績を残した印象です。
また、亡くなる年の1月に、コンピュータの将棋ソフトと対局して敗れるなど、何かと話題を集めることがありましたので、将棋に関心をお持ちでない人も米長さんをご存じの人が多いかもしれません。
米長さんは「さわやか流」などといわれたりしましたが、その実像が「さわやか」どころではなかったことはテレビや新聞で報じられることはなく、ほとんどの人が米長さんの実像を知らなかったことになります。私もほとんど知りませんでした。
桐谷さんは、米長さんに忠誠を誓ったことで、様々な“雑用”が増えたそうです。その最たるものが、米長さんの病的ともいえる女癖が引き起こす雑用です。とにかく、何かの機会で会った女性に好意を持ってしまうと、最後までいかないと気が済まないようなのです。ですから、米長さんにいい寄られた女流棋士も大勢いるに違いありません。
携帯電話が普及していなかった時代、桐谷さんは米長さんの愛人との連絡役をしばしばやらされたそうです。米長さんの女好きは妻にも当然知られていたでしょうが、それでも、愛人と密会するとき、桐谷さんは米長さんのアリバイ作りをさせられたそうです。
そんな桐谷さんに婚約相手ができます。1983年のことでした。桐谷さんは広島のご出身で、郷里に近い尾道に住む女性とは文通で交際していたそうです。いつしか互いの心が通じ合い、結婚しようということになったそうです。そのことを米長さんに報告しました。
桐谷さんの婚約者が上京することを知った米長さんは、驚いたことに「俺に会わせろ」といったそうです。
米長さんの女好きを知っていた桐谷さんはその要求を断りたかったでしょうが、どうしても断り切れず、将棋会館内のレストランで一緒にランチを食べたそうです。
同席した米長さんは上機嫌になり、「これからは、私の本妻とも愛人とも家族付き合いをしよう」といったりしたそうです。そう聞かされた桐谷さんと桐谷さんの婚約者はどう感じたでしょうか(´・ω・`)
婚約者は日帰りの予定で東京に出てきたようで、その日の夕刻、桐谷さんは東京駅で近い将来自分の妻になる女性が乗る新幹線を見送りました。その足で将棋会館に戻った桐谷さんに、米長さんが意外なことをいいます。「お前たちは結婚できない。賭けてもいい」。そういわれた桐谷さんは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするしかなかったでしょう。
米長さんが断言したように、桐谷さんは彼女と結婚できずに終わっています。彼女から婚約解消をいい渡されたからです。驚いたことに、将棋会館で一緒に食事した米長さんが、桐谷さんの婚約者に一目惚れしてしまったというのです。そのあとは、桐谷さんの目を盗んでは尾道通いを続け、いつしか一線を越え、ふたりは肉体関係を結んでしまったのでした。
桐谷さんと文通を続けて結婚を誓い合っていたのに、桐谷さんに内緒で米長さんの愛人になってしまった女性は桐谷さんを裏切ったことになり、それで婚約解消をいい出すしかなかったのだろうと思います。この話は、あとになって彼女から聞かされたそうです。
桐谷さんが米長さんから被った悲劇はこれだけではなかったのでした。
2度目は1988年です。その頃、桐谷さんに二度目の結婚話が持ち上がりました。今度こそ結婚して幸せになろうと思っていたでしょう。そこへ、またしても米長さんが割り込んできます。
桐谷さんが米長さんに、「明日、彼女が両親に挨拶に行きます」と伝えると、米長さんが「同席する」といってきかなかったそうです。またしても、横取りして自分の愛人にしようとしたのでしょう。
そのことが婚約者に悟られたのか、婚約者から、自分を取るか、それとも米長さんを取るのかと決断を迫られ、桐谷さんは泣く泣く結婚を諦めざるを得なかったそうです。
1990年、桐谷さんは米長さんから「最初の婚約者と結婚しろ」といわれます。その頃まで、元婚約者と米長さんの愛人関係は続いていたのでしょう。しかし、東京から尾道まで行くのには交通費がかかります。米長さんは、熱が冷めてくるとお金をケチる癖があるそうで、お金を節約するため、桐谷さんと尾道の愛人を結婚させ、東京で生活させれば交通費を浮かせる、と考えたようです。なんとも浅ましい人間に思えてなりません。
今回は、桐谷さんについて書きましたが、米長さんに人生を狂わされた人はまだまだいます。この続きは明日以降の本コーナーに書くことにしましょう。