「恥の上塗り」は多くの人が少なからず経験しているだろうと思います。私も、思い出すだけで赤面するようなことが過去にはあります。
ときには、当人にとっては恥ずかしいことが、世間で広く知られる人がいます。たとえば、新コロ騒動が起きたことで一躍知られるようになった西浦博氏(1977~)がそうです。
騒動を盛り上げたいマスメディアに利用された面もなくはありませんが、騒動の早い段階で、感染拡大を防ぐには「3つの密」、いわゆる「3密」を避け、他人との接触を8割削減することが厳格に求める必要があると主張し、「8割おじさん」などと呼ばれるようになりました。
また、感染防止を蔑ろにすれば、日本国内だけで約42万人が新コロウイルスによって命を落とすと述べ、危機感を煽りました。
西浦氏の一連の発言を未だに信じている人がいるでしょうか?
騒動はほぼ終わっていますが、日本で新コロウイルスによって亡くなった人は約1万人程度です。西浦氏の「説」の約1/42の死者数です。
しかも、この約1万人が、実は何で亡くなったのかは不明です。政府や専門家、騒動に加担する識者、マスメディアによって、新コロウイルスによって亡くなったとされているだけです。
新コロウイルスとされたウイルスが未だに世界中の誰も存在を証明できていません。
存在しないであろうウイルスがどうやって人に「感染」し、「感染」したとされた人の命を奪うことができますか? そんなことはできませんね。
存在しないウイルスを存在するように人々に錯覚させるのに悪用されたのがPCR検査です。この検査を受けて陽性になると、存在しないウイルスに「感染」したことにされました。
これにより、症状がまったくない「無症状感染者」などという実に奇妙な分類がされました。
PCR検査では、検査に適用した遺伝子の断片を検査した人が持つかどうか確かめるものです。今回の新コロ騒動では、新コロウイルスの断片を使い、それと同等の遺伝心を持つかどうかで、陽性と陰性の判断をしました。
すでに書いたように、新コロウイルスの存在が証明されていないのですから、診断のしようがありません。ウイルスが存在しなければ、遺伝子の断片が得られないわけですから。
結局のところ、この検査を受けて、検査キットに含まれる遺伝子の断片が見つかったからといって、それが何の遺伝子断片なのかわかりません。
何が何だかわからないものが検査で見つかったのに、騒動に加担する政府や似非専門家、マスメディアが「新コロウイルス感染者」としていただけです。騒動の本質を理解しない人は、テレビや新聞の報道を真に受け、恐怖に慄く図式が出来上がりました。
日本国内で、新コロウイルスによって約1万人亡くなったとされていますが、私はそれによって亡くなった人はひとりもいないと書きました。ここまで書いたことでわかるように、問題のウイルスの存在が確認されていない以上、それによって亡くなった人の数が証明されていないのですから、そういうよりほかりません。
漏れ聞く話では、交通事故で亡くなった人にPCR検査をし、その人が陽性と出れば、事故で内臓が破裂して亡くなった人も、新コロウイルスで亡くなったとカウントされた例もあるようです。
約1万人の死者の多くが高齢者です。それぞれの人が持病を持ったり、年齢が重ねることで体力が衰え、その結果として亡くなっていっただけの話でしょう。新コロウイルス云々とは関係ありません。
当時、新コロ騒動の報道で、医療機関の人々が物々しい防護服で対応にあたっている写真や映像を眼にしました。存在しないウイルスのため、あんな面倒くさい恰好をさせられたわけですね。本当にご苦労様というよりほかありません。
騒動の本質に気づいた人に、西浦氏の言動はどのように映ったでしょう。恥ずかしいことを世の中にばら撒くピエロのように見えたのではありませんか?
立場をなくした西浦氏が、今再び、恥ずかしいことを主張しています。
騒動にうまくのることにより、京都大学教授に「栄転」した西浦氏が、自分に栄転をもたらした騒動に感謝を示すように、今度は、ありもしないウイルスのために作られたことにされているワクチン(似非ワクチン)を接種したからこそ、新コロウイルスに「感染」して亡くなったかもしれない人の9割の命を守ることができたと述べています。
この西浦氏の発言を知り、冒頭に「恥の上塗り」の話を持ち出しました。
ここまで書いたことでわかってもらえたように、新コロウイルスの存在が証明されていないのですから、それに「感染」することはできません。
「感染」しようと思ってもできないものに「感染」しないことを、似非ワクチンが防ぎ、結果的に、「感染」したら亡くなっていたであろう人9割の人の命を救ったという西浦氏の主張は、恥ずかしい発言というよりほかありません。
西浦氏は、似非ワクチンに「感染防止効果」がないことを未だにご存知ないのでしょうか? このことはすでに世界的に証明されています。
もっとも、「感染」する恐れのある新コロウイルスが存在しないのですから、似非ワクチンを接種しようがしまいが、「感染」のしようがないことに変わりはありませんが。
二重の意味で意味のないことを西浦氏は主張していることになります。
そもそも「感染」するウイルスがないのに、それに「感染」する恐れを主張し、最悪の場合は、日本国内だけで約42万人が亡くなると述べました。
結果的には、新コロウイルスで亡くなった人はひとりもいません。それで亡くなったとされた約1万人も、新コロウイルスで亡くなったわけではありません。問題のウイルスが存在しない以上、それで亡くなること自体ありません。
その存在しないウイルスへの「感染」を似非ワクチンが防いだと西浦氏は今新たに述べ始めたわけです。
似非ワクチン誕生の経緯を調べると、今回の騒動が始まる前に開発が始まっています。そして、開発目的は、それを接種した人々の命を奪うことと、障害を与えることです。生物兵器として似非ワクチンは作られたのです。
紛争地や戦地で命の危機に瀕している人の9割を、爆弾やミサイルなどの殺傷兵器が守ったなどと述べる人が現れたら、狂人扱いされます。
西浦氏が今述べ始めたことも同じと理解すべきです。まさに、それが今世界で展開されていることだからです。
人々の命を守るどころか、大量の人々を似非ワクチンが奪っています。
京都大学は、こんな狂人のいい分を野放しにしていていいのですか? 大量殺戮を西浦氏は礼賛しているのです。
自分の立場を守るために、騒動当初に盛大に世間に披露した恥を上塗りするように、今、新たな恥ずかしい「説」を述べています。それがいかに恥ずかしいことかを、西浦氏はご自分で証明されています。
ご自分の恥ずかしさを証明される前に、新コロウイルスの存在証明をなさってくださいませんか?