本日は、前回の続きで、小説家・樋口毅宏(1971~)が書かれた『タモリ論』と、それを番組1回目の放送で取り上げたBS日テレで日曜午後6時台に放送中の「久米書店 ヨク分かる!話題の一冊」について書いていきます。
本場組は、久米宏(1944~)を店主、檀蜜(1980~)を店員に設定し、架空の書店に話題の新書の作者を招き、そこに書かれていることをもとに、話をふくらませていこうという番組です。
その記念すべき第一回目の放送に登場したのが樋口の『タモリ論』であったということは、前回分に書きました。また、なぜ今頃になってその放送に注目することになったのかについても昨日分に書きました。そんなわけで、その辺りの説明を省かせてもらい、続きの話に入ります。
話題の主のタモリといえば、今年の3月で終了した「森田一義アワー 笑っていいとも!」について書かないわけにはいきません。
私個人は、この手のみんなでゲラゲラ笑うような番組はまったく好みではありませんで、ほとんどいっていいほど見ることはありませんでした。番組が始まったのは1982年の10月です。
久米の番組に招かれた樋口が話されていましたが、タモリはこの「笑っていいとも」が始まったとき、年末の予定を入れていたそうです。たしか、タモリご夫妻にはお子さんがおらず、夫婦水入らずの旅行の予定だったのでしょう。航空券もすぐに手配したということです。
ところが、番組の人気に火がついてしまい、休みが一切取れなくなってしまったという話です。以来、今年の3月いっぱいで番組が終わるまで、平日の月曜から金曜まで、昼の時間の生放送に出ざるを得なくなりました。
この間、1995年以降は、船舶免許を取得するためと、ゴルフボールの直撃を受けたときと、あとは白内障の手術を受けたときに休んだだけだそうです。超人的ですね。
しかも、タモリの凄いところは、通常の人間であれば到底耐えられないような環境に置かれているのに、その大変さをテレビを見る人や周りの人間にはまったくといっていいほど感じさせなかったあたりにあるようです。
『タモリ論』の作者の樋口は今年41歳だそうで、ずっと「笑っていいとも」のタモリをウォッチングしていたようです。ということは、9歳の頃から番組を「観察」していたことになります。番組であった様々なエピソードが本の中には書かれていることと思います。
樋口がタモリの凄さに気づくきっかけの話を、興味深く聴きました。
その話に登場するのは、佐々木教というカメラマンです。私はお名前だけは聞いたことがあるように思いますが、実際にどんな写真を撮る人なのかは知りません。
樋口がおっしゃるには、佐々木教というのは軟派なカメラマンで、テレビの番組では取り上げにくいような部類の写真だそうです。
佐々木はカメラを構え、街を往く素人の女性に声をかけては写真を撮影します。今のご時世、見ず知らずの人、それも女性に顔を撮影させてもらうだけでも大変です。それであるのに、佐々木は、スカートの中まで写させてもらうというのですから驚きです。
だからといって、普通の写真を撮る振りをして近づき、隙を狙ってスカートの下にカメラを忍び込ませて盗撮する。わけではありません。
ある意味おおらかといいますか、街中で会ったもちろん初対面の(おそらく)若い女性に、「スカートをめくってみて」とリクエストし、そのリクエストに応じてくれた女性がスカートをパーッとか、チラッとか知りませんが、めくった瞬間を撮るのだそうです。
私が想像するに、佐々木が撮りたいのはスカートの中の様子ではなく、そうするときに女性たちが見せる恥じらいであったり、開けっぴろげな明るさなどではないのか、などと個人的には解釈してみました。
日本国内だけでなく、ニューヨークへも行って「プリティ!」と「グッド!」だけでアメリカ女性のスカートの中も撮影したことがあるという話です。
そんな佐々木が、どれぐらい昔のことかわかりませんが、タモリの番組で今も続いている「タモリ倶楽部」に出演したことがあるそうです。
「タモリ倶楽部」といえば、あれは相当昔だったと思いますが、女性の美しいお尻について取り上げた回がありました。その講師役で登場したのが、おそらく無名時代の山田五郎(1958~)です。
おそらくは、それがテレビ初出演ぐらいではなかったかと思います。個人的には感想を持ったことを思い出します。
「タモリ倶楽部」に出演したことのあるカメラマンの佐々木の話に戻します。
佐々木と話す機会を持った樋口が、タモリさんに会ったときの印象を尋ねたそうです。そして、そのときに佐々木から返ってきた答えに驚き、タモリの凄さを実感したそうです。
樋口の問いかけに、サングラスの奥の黒目をギラリとさせて佐々木がいったのは、次のようなことだそうです。
ああ、あの人(タモリ)はな、可哀想な人だぞ。恐ろしく孤独な人だ、あのタモリという人は。
タモリは終戦の年の昭和20(1945)年生まれだそうですが、タモリが醸し出す雰囲気は、生い立ちが強く影響しているように思います。ウィキペディアで「タモリ」を引いてみても、詳しい生い立ちの記述はありません。
昔にタモリが「徹子の部屋」に出たときに見ました。その中で、タモリが実家の家系図のようなもの(←だったかな?)の話をきき手の黒柳徹子(1933~)にするのですが、頭がこんがらがるとかいわれて、まったく理解してもらえませんでした。それを見ていた私にも理解できないような内容だったように記憶しています。
『タモリ論』について語る「久米書店」は、テレビの帯番組に出続けることの大変さについての話へ移りました。
久米の「ニュースステーション」が始まったのは「笑っていいとも」の3年後だそうです。
以来、10年前の3月で終わるまで、久米も月曜から金曜まで平日の午後10時台、生で映像を伝えるテレビカメラの前に座り続けています。ですから、タモリの大変さをもしかしたら誰よりもわかるかもしれません。
久米曰く、人がテレビカメラの前に立つと、本当の自分よりも賢く見せたがるという本能のようなものを必ず持つそうです。中でもニュースキャスターは、世の中の常識的なことはすべて知っている、とテレビを見る人に勘違いさせるような人でないと務まらない、と久米が持論を披露しています。
ところが、テレビを見るこちら側の中には、あらゆる分野のスペシャリストがいると考えて間違いないでしょう。
ですから、たとえばの話、会話の中に専門的な話が混じり、そこで少しでも聞きかじった程度のことを訳知り顔でいったりしようものなら、何十、何百人いるかわからない専門家たちの何人かから間違いを指摘されることになる、というような実体験に基づく話が久米から披露されました。事実、そうなのだろうと思います。
その苦労を身にしみて知っている久米がタモリを見ていて凄いと思うのは、本当は様々な才能に恵まれていながら、それをおくびにも出さないことだといいます。
「笑っていいとも」にしても、はじめの頃はタモリ自身がいろいろと芸を披露していたのが、そのうちに何もしなくなり、自分は何もできないというように、残りの20年ぐらい、タモリはただ椅子に座って、ほかの出演者の話を笑って聞いていただけではないかというような感想を漏らしました。それができたタモリは普通の人間ではない、と。
本当であれば、このように確信をつくような話を、『タモリ論』をお書きになった樋口がすべきですが、樋口の話を聞きながら久米がしてしまい、それを聞かされた樋口が大いに納得してまったりするあたりがこの番組ならではのおもしろさといえましょうか。
以上、樋口がお書きになり、「久米書店 ヨク分かる!話題の一冊」の最初の放送で取り上げられた『タモリ論』について、2日間にわたって思いつくまま書いてみました。ただ、本コーナーの更新をする私は、タモリの本当の凄さにまだ気がついていないような気がします。
いいわけめいたことを書いておきますと、もしかしたら有名人だけが凄いわけではなく、どこにでもいる普通の人にも実は凄い面があり、でも普通の人には有名人のようにスポットライトが当たることがないため、それに気づくことなく日々を平凡に過ごしているだけなのではないか、というようなことも考えたりしてみました。