まずは、次の動画の冒頭部分のみにご注目ください。
今更説明するまでもないでしょう。アーサー・コナン・ドイル(1859~1930)の「シャーロック・ホームズシリーズ」を原作とする英国のテレビドラマシリーズ「シャーロック・ホームズの冒険」の一話を動画にしたものです。
冒頭部分をご覧になって、不自然に感じることはなかったでしょう。
舞台俳優であったジェレミー・ブレット(1933~1995)が演じるシャーロック・ホームズが、エドワード・ハードウィック(1932~2011)演じる盟友にして、ホームズが扱う事件の回想録を執筆するワトスンと会話を交わす様子が数カットだけ描かれています。
いつものふたりのように見えます。しかし、これが撮影されたとき、ふたりが互いのいないところで演技をし、それをフィルムに収めたことがわかると、興味が増します。
ひとりがある人に向かって話しかけ、別のひとりが、それに応じるカットをつなぎ合わせるようにして、映像表現は形作られます。
多くの映像制作現場では、撮影の仕方は監督によって異なるでしょうが、演じるふたりの役者がその場に居合わせ、交互に撮影することもあるでしょう。
撮影する各カットが監督の頭に明確にあれば、ふたりの役者が登場する場面であっても、ひとりひとり、別々に撮ることもあります。
このあたりのことは、以前、本コーナーで書きました。
相手に対応する演技に見せながら、その相手が撮影現場におらず、相手を想定した演技をひとりですることもある、ということです。
本ページの冒頭でご覧いただいた場面が、そのように撮影されているのです。
それでいて、不自然さは感じさせません。同じことが、日本の制作現場で上手に行えるでしょうか。映像制作のノウハウを持たないと、ちぐはぐな映像になってしまいかねません。
この冒頭部分を持つのは、この土曜日(28日)に放送されたシリーズ第40話の「マゼランの宝石」(1921)です。本テレビシリーズも最終版です。残すは次回の第41話「ボール箱」(1893)のみです。
本テレビシリーズがNHK BSプレミアムで始まったのは今年の2月です。それを見始めるまで、私は「シャーロック・ホームズシリーズ」には全く縁を持ちませんでした。
理由は自分でもわかりません。原作を読んだことがなく、テレビシリーズや映画も、一度も見たことがありませんでした。これは食わず嫌いというべきことでしょう。
ドラマの一回目を見てみると、これが面白く感じられ、毎回楽しみに待つようになりました。原作を読むこともしています。
ジェレミー・ブレットのホームズにもすっかり馴染んでしまいましたが、そのブレットが、シリーズの撮影の途中から、心身の状態が悪化していたことを、あとになって知りました。
テレビシリーズは第6シリーズまでありますが、そのシリーズ最初の第36話「三破風舘」(1926)の撮影が始まる頃にも症状が極度に悪化し、撮影中に倒れたそうです。
昔に躁うつ病といわれた双極性障害が彼にはありました。また、彼の心臓は通常の成人男性の約二倍の大きさだったとされる話もあります。これは体へは負担があったでしょう。
ホームズ役を望んで引き受けたものの、人気シリーズとなった役を続けるのが大きな負担となっていきます。それに加えて、双極性障害の治療薬や愛煙家であることが、心臓の状態を悪くしてしまったようです。
第2シリーズを締めくくるのは第13話の「最後の事件」(1893)です。
原作を書いたコナン・ドイル自身も、本シリーズを執筆し続けることに嫌気が射し、ホームズを宿敵のモリアーティ教授と滝底へ突き落したように描いています。
この撮影中、ブレッとの妻が亡くなり、精神的困難に陥ったそうです。
ほかにも、シリーズ撮影中は、精神が限界を超えて入院したのに、ゴシップ紙に憶測に基づいた記事を様々に書かれるなどして、心身を傷めつけられています。
このようにして迎えた第40話「マゼランの宝石」でしたが、撮影直前に発作を起こして入院したため、ブレットが演じることを前提に書かれた脚本でブレットが演じる場面を、ホームズの兄のマイクロフト・ホームズに置き換えて撮影したようです。
ホームズをまったく登場させないわけにはいかないと考えたか、冒頭の一部分と、終盤に2カットだけ、ブレッとのホームズを挿入しています。
これについて、ネットの事典ウィキペディアに「冒頭と終盤のジェレミーの出演は別撮りである」とあったことで、私は初めて撮影の裏幕を知りました。
プロの役者と映像制作者が製作すると、不自然でない演技と演出になるものだ、と感心しながら見ました。
NHKが初めて本シリーズを放送した時は、なぜか第41話は放送せず、第40話の「マゼランの宝石」を最終話としたそうです。
ブレットは1995年9月12日、心不全によってロンドンの自宅で息を引き取ります。享年61ということですから、早すぎる死です。
ホームズのシリーズでドラマ化されなかった作品が18あります。そのどれもを、ブレットのホームズで愉しみたかったです。
制作されなかった一作に「三人の学生」(1904)があります。本作は、同シリーズ三番目の短編集になる『シャーロック・ホームズの帰還』に収められています。私はAmazonのKindle Unlimitedを利用して読み終えたばかりです。
私が読んだ電子版は『ホームズの生還 シャーロック・ホームズ』の題となっています。
番組を録画したレコーダーに、消さずに残してある回が17話あります。その中には、「最後の事件」も含まれています。
ホームズを演じたブレットの心境を想像しながら見ると、別の感慨を持つかもしれません。創作物は、それを排除して楽しむのが本来の楽しみ方ではあるのは承知しますが。